2022.09.28

「選手のためだけに衣装をつくりたい」羽生結弦らを担当するデザイナー 伊藤聡美のフィギュアスケートへの想い

芸術性と競技性を兼ね備えたウィンタースポーツである、フィギュアスケート。2022-2023シーズンが開幕するとともに、アイスショーも全国で開催され、注目を集めている。

フィギュアスケートにおいて不可欠なものと言えば、選手の個性、楽曲、振り付けと一体化した、美しい衣装。その衣装を手掛け、国内外から高い評価を得ているのが、衣装デザイナーの伊藤聡美さんだ。

今年プロ転向を表明した羽生結弦さんを長年に渡り担当するほか、鍵山優真選手、樋口新葉選手、三原舞依選手や、海外選手の衣装も製作している。

今年4月には作品集『MUSE ON ICE』を発売するとともに、出版を記念した個展も開催。衣装そのものに魅了されているファンも多い。

そこで今回、伊藤さんに「フィギュアスケート衣装」の特徴から、選手や競技にまつわる知られざるエピソード、デザイナーとしてのあり方まで聞いた。

PROFILE|プロフィール
伊藤聡美(いとう さとみ)
伊藤聡美(いとう さとみ)

高校卒業後、エスモードジャポンに入学。在学中に神戸ファッションコンテストで特選を受賞し、ノッティンガム芸術大学へ留学。帰国後、衣装会社に入社し2015年に独立。国内外のフィギュアスケート選手の衣装デザイン、製作を手掛ける。作品集に『MUSE ON ICE』『FIGURE SKATING ART COSTUMES』など。

(プロフィール写真:Shoji Onuma

はじめに、「フィギュアスケート衣装デザイナー」になったきっかけから教えてください。

フィギュアスケートはもともと好きで、よく観戦もしていたのですが、最初からフィギュアスケート衣装を手がけたいと思っていたわけではありませんでした。きっかけは、服飾専門学校の在学中に、神戸ファッションコンテストで特選を受賞した際の副賞だった、イギリスのノッティンガム芸術大学への留学です。

留学中は「このまま海外で仕事をしたいな」と考えていたのですが、1年半ほど経ったころにビザの問題で帰国せざるを得なくなりました。そのため、日本での就職を考えることになったのですが、当時憧れていたのはアレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノなどのデザイナーだったこともあり、入社したいと思う企業がなかったんです。

どうしようか悩んでいた時に、フィギュアスケート衣装について考えるようになりました。私はフィギュアスケートの中でも浅田真央さんがとにかく大好きで、留学中も演技の動画をずっと見ていました。そこで初めて、「こんなに好きなんだったら、いつか彼女の衣装をつくりたい」という夢が浮かんだんです。

ただ、そもそもフィギュアスケート衣装を製作している会社があるのかさえ、わかりませんでした。そのため、Googleで検索するところからはじめて、結果的にその時トップに表示されていた衣装会社に入社しました。

衣装に関して、これまでの経験とのギャップは感じましたか。

ものすごくありましたね。ミシンも糸も素材の種類も「こんなに違うんだ」と思いました。フィギュアスケートはスポーツなので、動きやすさを1番に考えなければいけません。ほとんど伸縮性のある素材を使い、軽量化に気を遣うので、一般的な服づくりとは全く異なります。

機能と見た目の美しさの両立が相反するように感じて、最初はすごく大変でした。

初めて競技用の衣装を手がけた選手は今井遥さんでした。そこから、多くの選手の依頼が舞い込むようになったそうですね。

ある時、会社で「桜をテーマにした店頭ディスプレイ用の衣装」をつくる機会があったのですが、「せっかくつくったのだから選手に着てほしい」と思ったんです。そこで、今井遥さんサイドに「似合いそうな衣装あるので、よかったら見てくれないですか」と電話をすると、後日アイスショーで会ってくれることになりました。

お会いした際に衣装を見せると、気に入ってくれただけでなく、サイズも奇跡的にピッタリ。その日のうちに衣装を着て滑ってくれました。それがきっかけで「次の試合の衣装をお願いしたい」と言われて、2013-2014シーズンの『恋人達の夢』の衣装を製作することになりました。

画像: 今井遥『恋人達の夢』<br>(2013-2014シーズン)
今井遥『恋人達の夢』
(2013-2014シーズン)

初めて選手から依頼をいただいたので、自分の全てをぶつけました。その結果、「遥ちゃんの衣装すごくいいよね」とフィギュアスケート業界で話が広まったそうです。この業界は小さいですし、選手やコーチもみんな知り合いみたいなところがあるんです。

おそらくそれがきっかけで、町田樹さんや羽生結弦さんサイドからも依頼が来るようになりました。

フィギュアスケート衣装製作の裏側

衣装のオーダーは選手によって様々で、細かく指定する方から、お任せする方までいるそうですね。また、様々な関係者の意見をすり合わせるのが大変だとか。

衣装製作の流れとしては、選手サイドからオーダーを受けたのち、初受注の際は採寸します。その後、プログラムの曲を理解し、デザイン画に落とし込んで提案します。最低でも3案は送り、その中から選んでもらうイメージです。

デザイン画が選ばれた後も、選手だけでなく、コーチや振付師、親御さんなどのフィードバックを受けて修正することが多いです。
 
いろんな人の意見を反映した結果、最終的によくわからない衣装になってしまった経験もあるので、デザインと意見のバランスは毎回悩んできました。

また、シーズン中の修正はどの選手もほぼ100%あります。1番多いのは「衣装のストーンを足したい」「染めをもう少し濃くしてほしい」というデザイン面。また、「一曲を通して滑ったら、緩い部分があった」とサイズを微調整することもよくあります。
 
他にも、選手がジャッジからアドバイスをもらったことを受けて、直すケースも多いです。最初は驚きましたけれど、フィギュアスケートではよくあることです。
 
「氷の色と衣装が同化して動きが見えなかったから、スカートの裾だけ色を濃くした方がいい」と言われたり、場合によっては「曲に合ってないから、衣装を全部変えた方がいい」と言われたりすることもあります。
 
そもそもの話で言うと、完成して納品したからと言って、実際に選手が衣装を着るかは試合を見るまで分かりません。最初に着ていたとしても、シーズン途中で別の衣装に変えられてしまうこともあります。
 
特に、オリンピックシーズンになると、複数の衣装会社やデザイナーに衣装を頼み、そこから最終的に決めるのは普通のことです。
 
もちろん選ばれなかった時は悲しいですし、1人で反省会をしています。

ベストオブコスチュームは羽生結弦『Origin』

その中で、羽生結弦さんの衣装は2014-2015シーズンから手掛けていて、1番長い付き合いとのことです。羽生さんならではの製作過程について教えてください。

羽生さんは、ご自身の中でイメージがほぼできていると思います。

私と羽生さんとマネージャーさんとの間でやり取りをして製作しますが、色に関してはほとんど指定があり、音楽を必ず送ってくれます。そのいただいたものを受けて、私のインスピレーションから、デザイン画にしていきます。

何回も提案しているので、「羽生さんであれば、これを選ぶだろうな」とわかりますし、実際にその通り選ばれることが多いです。

画像: 羽生結弦『Origin(紫)』(2019-2020シーズン)のデザイン画
羽生結弦『Origin(紫)』(2019-2020シーズン)のデザイン画

具体的には、色もそうですし、やはり全体の雰囲気ですね。羽生さんは他の選手には着ることができない衣装を着こなせてしまいますし、それはご本人もわかっていると思います。そして、その「羽生結弦らしさ」をジャッジや周囲に貫く強さがあります。

画像: 羽生結弦『Origin(黒)』(2018-2019シーズン)のデザイン画
羽生結弦『Origin(黒)』(2018-2019シーズン)のデザイン画

色は青が定番と言っていいほど、たくさんつくってきました。デザインでは中性的な衣装がよく選ばれますが、ロック調の音楽の時はライダース風の衣装も製作しました。全く違うテイストの衣装も着こなせるのでそういった所も羽生さんの強みだと思います。

画像: 『MUSE ON ICE』の表紙は羽生結弦『天と地と』<br>(2020-2021 / 2021-2022シーズン)
『MUSE ON ICE』の表紙は羽生結弦『天と地と』
(2020-2021 / 2021-2022シーズン)
羽生さんを採寸した際に、初めて見るようなサイズで驚かれたそうですね。

スタイルは人それぞれであることを前提にした上でのお話ではありますが、身長もあり首も長く、あの細いプロポーションは維持するだけでもすごいことですが、維持どころか年々細くなって、刀のように研ぎ澄まされていっているように思います。

伊藤さんはご自身のベストオブコスチュームとして、羽生さんの『Origin』(2018-2019 / 2019-2020シーズン)を挙げています。その理由について教えてください。

これまで青や淡い色のイメージがあった中で、黒と紫という2つともダーク寄りな色に挑戦して、装飾も自分の中で今までで1番、手が込んでいます。

楽曲は羽生さんの憧れていたエフゲニー・プルシェンコさんの『ニジンスキーに捧ぐ』をモチーフにしたもので、私もすごく好きだったので「この曲で滑るんだ」とうれしかったですし、だからこそ今までとは違う雰囲気でつくろうと思いました。

初代の黒Originはプルシェンコさんの衣装を踏襲して黒と金、羽生さんのお名前からインスピレーションを得て羽根の装飾を施しました。

画像: 羽生結弦『Origin(黒)』(2018-2019シーズン)
羽生結弦『Origin(黒)』(2018-2019シーズン)

2代目のOriginは、「黒ではなく違う色で」とリクエストがあったので、今まで羽生さんが着ていない紫を提案しました。デザインには薔薇や蝶々もあるのですが、ニジンスキーの「薔薇の精」をイメージしています。羽生さんだからこそ提案できたデザインです。

フィギュアスケート衣装は、選手本人と音楽、そして振り付けとがマッチすることで完成しますが、その意味でベストの衣装です。

画像: 羽生結弦『Origin(紫)』(2019-2020シーズン)
羽生結弦『Origin(紫)』(2019-2020シーズン)
これまで大きな失敗もあったそうですが、ずっと関係性が続いているそうですね。

衣装に穴が開いているのに気付いたりとか……思い出したくないです……。

これ以外にもミスはいくつもあります。私自身「もう来年はないだろうな」と心配した中でも依頼をいただけているのは、本当にありがたいことです。

衣装の工夫と近年の傾向

衣装において、デザインと動きやすさを両立させるために、どのような工夫をされているのでしょうか。

羽生さんの試合用の衣装として初めてつくったのが2014-2015シーズンの『オペラ座の怪人』で、衣装の重さは850グラムぐらいでした。そこから素材の使い方を改善して、今ではほぼ500グラム台で納品できています。

たとえば、ボディの素材を思い切ってメッシュにして、それを2枚重ねにすることで肌は見せずに、透け感を出す方法を考案しました。その際は、羽生さんからもフィッティングの時に「すごく軽くて動きやすい」という言葉をもらいましたね。

素材は常に新しいものが入ってきます。定番化している素材もありますが、できれば新しいものを率先して使っていきたいです。

最近で言うと、これまでは主にパワーネットという素材を使っていましたが、メッシュ状の生地なので、見た目にスポーツ感が出ます。そこで、そのイメージに合わない場合は、光沢のある綺麗なニットのような素材が入荷してきたので、そちらを使うようにしています。

ボーヤン・ジン選手が北京オリンピックでその素材を使った衣装を着てくれましたが、良い形のなびき方と、光沢感になったと思います。

画像: ボーヤン・ジン『Night Fight + Eternal Vow』<br>(2021-2022シーズン)
ボーヤン・ジン『Night Fight + Eternal Vow』
(2021-2022シーズン)
開幕した2022-2023シーズンの衣装に関して、傾向などがあれば教えてください。

今年も例年と同じくらいの30〜40着を納品しました。

北京オリンピックの影響もあり、去年から今年にかけては中国をイメージしたプログラムがすごく多かったですね。そのため、今年は特に海外選手からの依頼が増えて、漢服のモチーフや着物っぽいデザインの衣装をいくつも製作しました。

また、選手全体ではなく、私に依頼する選手限定かもしれませんが、ここ数年はワイヤーを使用した髪飾りを希望する女子選手が多い印象です。

選手にとって特別な一着をつくりたい

現在、衣装をつくるうえで課題に感じていることはありますか。

今年、羽生さんやネイサン・チェン選手などの振り付けをされていた著名な振付師であるシェイ=リーン・ボーンさんとお会いした時に、「本来なら、曲が決まったり、振り付けが始まったりする段階からデザイナーも混ざって、一緒に話をしてクリエーションができたらいいのにね」という話をしてくれて、それは私もずっと思っていたことなんです。

衣装は曲から振り付けまで、すべてが決まった後に依頼されるので、言ってみると「一番下」です。でも、最初の段階から関われたら、もっと良い衣装ができると思うんです。

また、「衣装から楽曲が決まったり、振り付けが生まれたりしてもいいんじゃないか」とおっしゃってくれて、本当にそうなれたらいいですね。

今後、どんなフィギュアスケート衣装をつくっていきたいですか。

フィギュアスケートという「アートスポーツ」のいいところは、順位が全てじゃないところです。プログラムの演技から、その選手の個性や、大袈裟かもしれないですけど、人生が垣間見えるんです。

だからこそ、衣装は選手にとって特別な一着になります。とにかく、選手に1番気に入ってもらえる衣装をつくりたいんです。

先ほどもお話ししたように、衣装はいろんな関係者の意見のもとで製作されます。ただ、私がこの仕事を続けている理由は、選手が好きで、自分の衣装を着てプログラムを滑ってくれることがうれしいから。最近は「選手のためだけにつくろう」と振り切るようになりました。

そんな想いでつくった衣装が、見てくれるファンの方々にとっても、選手とプログラムと一緒に思い出として残ってくれたらいいなと思います。

選手にとって特別な一着が、ファンのみなさんにとっても特別な一着になってくれたらいいですね。

画像: null
次にやりたいことは、伊藤さんの夢である浅田真央さんに関わる衣装を手掛けることでしょうか。

実は、今年の9月から開催されている浅田さんのアイスショー『BEYOND』で初めて衣装を製作させてもらったんです。

浅田さんの衣装をつくりたいという想いから、フィギュアスケート衣装のデザインに関わるようになって、かれこれ12年。「やっと叶った」という気持ちがありますね。

それでは最後に「デザイナー」としてのこれからの目標について聞かせてください。

これまでずっとフィギュアスケートが一番でしたし、「フィギュアスケート衣装デザイナー」として見られてきましたが、最近はもうちょっといろんなことに取り組んでもいいのかなと考えています。
 
今はちょうど、社交ダンスの衣装と自分のコレクションをつくり始めているところです。将来的には舞台の衣装を手がけられたらと思っています。あとはまた展示会をやりたいですね。

画像: 伊藤聡美さんの展示会(写真:Yoshitaka Orita)
伊藤聡美さんの展示会(写真:Yoshitaka Orita)
LINEでシェアする