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2023.04.14

平成のストリートブランドSUPER LOVERS、令和でも愛されるその魅力とは

平成の思い出のブランドとして、必ずと言っていいほど名前が挙がるSUPER LOVERS(スーパーラヴァーズ)
世代に関係なく、「SUPER LOVERS」というとロゴのハートマークを思い浮かべる人が多いはずだ。または、ジュニアラインの「LOVERS HOUSE」を愛用していた人は、パンダのマスコットキャラクター、「メリー&ケン」を思い出すだろう。多くの人を魅了したSUPER LOVERSの鮮やかな原色の配色やキュートなデザインは、平成の思い出のブランドとしてだけではなく、原宿を代表とするブランドの一つでもある。

東京から始まった新しいファッション

SUPER LOVERSは、代表の田中康晴が「From Tokyo with love(=東京より愛を込めて)」をコンセプトに、大学時代の友人と1988年に立ち上げたブランドだ。
1970年代から1980年代のロンドンのストリートファッションに影響を受けた洋服は、感度の高いクラブカルチャーを中心に話題になる。89年の雑誌『CUTiE』で特集された「90’sデザイナーを探せ!!」でも、「東京から発信するFASHIONのNEW WAVE」として紹介された。当時のコメントには、「デザイン、素材ともに楽しい服。ラジカルなカジュアルさが、ポップなカラーで上手にミックスされている」と綴られている。
「CUTIE別冊宝島vol.6」1989年8月31日発行 JICC出版局(宝島社の前衛の会社名)
「CUTIE別冊宝島vol.6」1989年8月31日発行 JICC出版局(宝島社の前衛の会社名)
世代によっては意外に思うかもしれないが、初期のSUPER LOVERSはクラブカルチャーに寄りの雰囲気であり、『CUTiE』だけではなく、クラブ・シーンでも話題になったブランドだ。90年代前半の原宿系は主にクラブカルチャーを中心に盛り上がりをみせ、前回のBETTY’S BLUEと同様にSUPER LOVERSもクラブやライブハウスで目立つ服として人気だった。
デビュー後はロンドンやニューヨークのクラブで開催されたファッションイベントなどに積極的に参加し、SUPER LOVERSのブランドは知名度とともに人気が急上昇する。
SUPER LOVERSが本格的に出店する前は、「原宿マット・ギャラリー」や「渋谷マット・ギャラリー」といったセレクトショップで販売され、ロンドンでも3軒のショップで購入することができた。そして、1990年に1号店が代官山に出店。テレビや雑誌を中心に特集され、瞬く間に話題になっていった。1991年以降は渋谷パルコやラフォーレ原宿といったファッションビルにも進出していき、SUPER LOVERSの知名度とともにその勢いは止まることがなかった。

音楽とアーティストとの関係性

1994年 プチセブンno.22 小学館
1994年 プチセブンno.22 小学館
SUPER LOVERSは音楽とアーティストとの関係が深いブランドでもある。
クラブで目立つ服…というだけではなく、数々のアーティストにも愛された。
「TOKYO No.1 SOUL SET」の初期メンバーで、「THE BIG BAND!!」 のボーカルを務めたDJ DRAGONは、SUPER LOVERSの企画やデザインを行った。
そして、当時「THE BIG BAND!!」のメンバーのいしだ壱成も、中性的な雰囲気でSUPER LOVERSの服を着こなしていた。
1995年 プチセブンno.1 小学館
1995年 プチセブンno.1 小学館
94年頃は、丈が短いチビTやヘソだしルックが流行っていたが、女性だけではなく一部の感度の高い男性からも支持されていた。男性の中性的な着こなしは、当時人気モデルだったいしだ壱成や武田真治を中心に流行したが、いしだ壱成がSUPER LOVERSを愛用していたこともあり、さらに話題となった。
また、90年代に活躍したイギリスの女性アイドルデュオ「Shampoo(シャンプー)」もSUPER LOVERSを日本の大好きなブランドとして公言しており、雑誌のインタビューなどでは度々SUPER LOVERSの魅力を語っていた。
東京からデビューしたSUPER LOVERSは、東京だけではなく世界で活躍する海外アーティストも虜にしていった。
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