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2022.10.31

上野・アメ横で70年超、最古参のセレクトショップ『玉美』で発見した「本当に変わらないもの」

"セレクトショップ"と聞くと、御三家とも称される『SHIPS』や『BEAMS』『UNITED ARROWS』などが真っ先に頭に浮かぶだろうか。この3つの中で一番の古参は、上野・アメ横から全国へと大きく躍進した『SHIPS』なのだが、実はアメ横には、もっと古くから営業している老舗ショップがある。
戦後間もない時代から、同じ場所にどっしりと腰を据え、顧客と共に歩み続けている、アメ横最古のセレクトショップを訪れた。
『玉美』の奥に細長く伸びる店舗。商店街からトビラもなくそのままという感じの、一見昔ながらの洋品店なのだが、そのポテンシャルには驚かされる
『玉美』の奥に細長く伸びる店舗。商店街からトビラもなくそのままという感じの、一見昔ながらの洋品店なのだが、そのポテンシャルには驚かされる
終戦直後のマーケットの名残が色濃く残る、東京・上野のアメ横エリア。コロナ禍の影響もあって店舗は少しずつ入れ替わってはいるが、旧国鉄のガード下にひしめく迷路のようなアメ横商店街は、未だ不思議な魅力を秘めている。
この一角に位置するのが、今回訪れたショップ『玉美(たまみ)』だ。東京大空襲、そして終戦からわずか5年後の1950年に創業して72年、今も寸分違わず同じ場所で営業を続けているのはなぜだろうか。代表取締役を務める、3代目の相羽岳男さんに話を聞いた。
左:1950年代、ブラジャー・婦人下着と書かれた店頭。米軍からの放出品は、戦後らしい華やかなオーラを放っている<br>右:現在のショップは、味のあるサインが目印
左:1950年代、ブラジャー・婦人下着と書かれた店頭。米軍からの放出品は、戦後らしい華やかなオーラを放っている
右:現在のショップは、味のあるサインが目印

国鉄のガード下で筵を広げて……まず売れたのは、婦人用下着だった

玉美を訪れるとまず目を引くのは、ずらりと並ぶカラフルな柄シャツ。他店では到底お目にかかれないような、さまざまなプリントに圧倒される。さらに、アメ横では定番のドリズラージャケットなど、こだわりのメンズウエアが並ぶ。しかし、初代は意外なものから商いを始めたという。
「初代の相羽信太郎は赴任していたシンガポールで終戦を迎え、2年ほどのちにやっと日本に引き揚げてきました。その後、1950年に現在も店を構えるアメ横の一隅で商売を始めました。
店と言っても、当時はこういった施設があるわけではなく、国鉄のガードの中で筵(むしろ)を広げて、適用に商品を置いていたという時代。そこで最初は魚を仕入れて売っていたらしいのですが、輸入の婦人用下着を仕入れたらけっこうよく売れたようです」
アメリカの進駐軍からの払い下げ品を売る店が多かったため、"アメ横"という名前で呼ばれるようになったとも言われる、上野・御徒町界隈。初代が扱っていた婦人下着のほか、化粧品などを置く店も多く、今でもその名残は残っている。そもそも『玉美』という店名も、メンズセレクトショップらしさはあまりない。
「じつは初代の連れ合いが、相羽タマという名前だったんです。それで"美しいタマ"ということで、玉美になったんですよ! 女性の下着を扱ってから、徐々に男性ものの下着も一緒に並べるようになって。『JOCKEY』とか『B.V.D』とか『ヘインズ』の下着とかTシャツも人気になりました。
そこからまたもう少し広げて、例えば『JOCKEY』のポロシャツもあるよ、といった感じで、商品が増えていったんです」
いわゆるパックTの先駆けとして売れた『JOCKEY』の下着。70年近く前から扱い続けている商品のひとつで、今もアメリカで生産されており、変わらぬ人気を誇る。<br>左は1950年代頃のパッケージ
いわゆるパックTの先駆けとして売れた『JOCKEY』の下着。70年近く前から扱い続けている商品のひとつで、今もアメリカで生産されており、変わらぬ人気を誇る。
左は1950年代頃のパッケージ
ものが無かった時代に、一気に花開いたアメリカやイギリスのカルチャーのライフスタイルへの憧れ。質が良く華やかなイメージも持つインポートの服は、大変よく売れたそう。
「そのうち、徐々にデニムも入ってくるようになりました。聞いた話ですが、アメ横で最初に"Gパン"っていう名前でデニムパンツを売り出したのは『マルセル』さんだそう(現在は江東区に移転)。当時は進駐軍の払い下げで、ジーンズを扱うお店が、至る所にありましたね。
アメ横って、何か一つ商品が売れたとなると、回りがみんな真似するんです(笑)。それでもみんな気にしないところが面白いですよね」
アメ横では定番人気のサーフシャツブランド、『レインスプーナー』の極東マネージャーが2011年に来店。先代とのツーショット
アメ横では定番人気のサーフシャツブランド、『レインスプーナー』の極東マネージャーが2011年に来店。先代とのツーショット

インポートブームを牽引、アメ横に降臨した昭和の大スターたち

「Gパンといえば、俳優の地井武男さんが番組の収録で来た時に、石原裕次郎さんとの思い出を話してくださったんです。裕次郎さんは足が長すぎて、普通のGパンではぜんぜん合わない。それでアメ横に来てアメリカものを買ったり、それをバラして自分にぴったりのものを作らせていたんだそうです」
本場の衣料品はなかなか手に入るものではなく、やはり払い下げ品の豊富なアメ横や、米軍基地のあった立川などに行くしかなかった時代。高倉健さんが、愛用していた英国ブランド『バラクータ』のハリントンジャケットを買いに来ていたというのも、もはやアメ横の都市伝説のようになっている。
「日本ではジェームス・ディーンではなく"裕次郎のGパン"、スティーブ・マックイーンではなく"高倉健のバラクータ"として定着したんでしょうね。さらに70年代になると、レッド・ツェッペリンやクラプトンになった気分で、花柄やペイズリー柄の、襟がすごく長いシャツを着てベルボトムを履いて。やっぱり、スターやミュージシャンと共に、ブームが訪れるのだと思います」
高倉健がカッコよく着こなしていた『バラクータ』はアメ横で調達していたという。左はイタリア資本になってからの『バラクータ』で、現代風に細身にアレンジされている。<br>往年のファンは、右のレプリカタイプを求める人が多いそう
高倉健がカッコよく着こなしていた『バラクータ』はアメ横で調達していたという。左はイタリア資本になってからの『バラクータ』で、現代風に細身にアレンジされている。
往年のファンは、右のレプリカタイプを求める人が多いそう
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