"セレクトショップ"と聞くと、御三家とも称される『SHIPS』や『BEAMS』『UNITED ARROWS』などが真っ先に頭に浮かぶだろうか。この3つの中で一番の古参は、上野・アメ横から全国へと大きく躍進した『SHIPS』なのだが、実はアメ横には、もっと古くから営業している老舗ショップがある。
戦後間もない時代から、同じ場所にどっしりと腰を据え、顧客と共に歩み続けている、アメ横最古のセレクトショップを訪れた。
終戦直後のマーケットの名残が色濃く残る、東京・上野のアメ横エリア。コロナ禍の影響もあって店舗は少しずつ入れ替わってはいるが、旧国鉄のガード下にひしめく迷路のようなアメ横商店街は、未だ不思議な魅力を秘めている。
この一角に位置するのが、今回訪れたショップ『玉美(たまみ)』だ。東京大空襲、そして終戦からわずか5年後の1950年に創業して72年、今も寸分違わず同じ場所で営業を続けているのはなぜだろうか。代表取締役を務める、3代目の相羽岳男さんに話を聞いた。
玉美を訪れるとまず目を引くのは、ずらりと並ぶカラフルな柄シャツ。他店では到底お目にかかれないような、さまざまなプリントに圧倒される。さらに、アメ横では定番のドリズラージャケットなど、こだわりのメンズウエアが並ぶ。しかし、初代は意外なものから商いを始めたという。
「初代の相羽信太郎は赴任していたシンガポールで終戦を迎え、2年ほどのちにやっと日本に引き揚げてきました。その後、1950年に現在も店を構えるアメ横の一隅で商売を始めました。
店と言っても、当時はこういった施設があるわけではなく、国鉄のガードの中で筵(むしろ)を広げて、適用に商品を置いていたという時代。そこで最初は魚を仕入れて売っていたらしいのですが、輸入の婦人用下着を仕入れたらけっこうよく売れたようです」
アメリカの進駐軍からの払い下げ品を売る店が多かったため、"アメ横"という名前で呼ばれるようになったとも言われる、上野・御徒町界隈。初代が扱っていた婦人下着のほか、化粧品などを置く店も多く、今でもその名残は残っている。そもそも『玉美』という店名も、メンズセレクトショップらしさはあまりない。
「じつは初代の連れ合いが、相羽タマという名前だったんです。それで"美しいタマ"ということで、玉美になったんですよ! 女性の下着を扱ってから、徐々に男性ものの下着も一緒に並べるようになって。『JOCKEY』とか『B.V.D』とか『ヘインズ』の下着とかTシャツも人気になりました。
そこからまたもう少し広げて、例えば『JOCKEY』のポロシャツもあるよ、といった感じで、商品が増えていったんです」
ものが無かった時代に、一気に花開いたアメリカやイギリスのカルチャーのライフスタイルへの憧れ。質が良く華やかなイメージも持つインポートの服は、大変よく売れたそう。
「そのうち、徐々にデニムも入ってくるようになりました。聞いた話ですが、アメ横で最初に"Gパン"っていう名前でデニムパンツを売り出したのは『マルセル』さんだそう(現在は江東区に移転)。当時は進駐軍の払い下げで、ジーンズを扱うお店が、至る所にありましたね。
アメ横って、何か一つ商品が売れたとなると、回りがみんな真似するんです(笑)。それでもみんな気にしないところが面白いですよね」