鷲や虎、龍などの絵柄が、緻密な刺繍で背中一面に施された衣服。いわゆる「スカジャン」と呼ばれる洋服の魅力はどこにあるのか。威圧的なイメージを持っている人も多いかもしれないが、その刺繍を間近で見てみると、非常に精細で職人の技術力の高さが窺える。絵柄も躍動感があり、絵画ではないかと思うほどだ。
そこで今回、「スカジャン」を戦後まもない1940年代から米軍の基地内に納品していたテーラー東洋(東洋エンタープライズ株式会社)の企画統括で、スカジャン研究家でもある松山達朗さんにお話を伺った。 「スカジャン」はどのようにして生まれ、ファッションアイテムのひとつになったのだろうか。そこには文化の一巡という興味深い歴史があった。
PROFILE|プロフィー ル
松山 達朗(まつやま たつろう)
1969年、石川県生まれ。高校卒業後、愛知県の有名ヴィンテージショップに勤務。そこで出会ったスカジャンに魅了され、ヴィンテージの収集を始める。そして1994年、世界初のスカジャン専門書「JAPANESE EMBROIDERED JACKETS」を上梓。スカジャン研究家として名を馳せる。その後、テーラー東洋を有する東洋エンタープライズ株式会社に入社し、ヴィンテージスカジャンの復刻を監修。2010 年には過去の著書の内容を網羅したスカジャン専門書の決定版「JAPAN JACKET」を手がけた第一人者。
前身の港商商会では、どのような活動を行っていましたか。
戦後、多くの米兵が進駐軍として日本に駐留していました。銀座界隈には連合国最高司令官総司令部(GHQ)の本部があり、デパートが接収されて「TOKYO PX」として米軍関係者に向けた商売が盛んになっていきます。すると、米兵に土産物として着物や雛人形などを売る人が出てきて、自然と露店街が形成されました。それにより、銀座は米兵相手の商売の中心地として知られるようになります。