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2023.07.14

ビーズインターナショナル会長 皆川伸一郎氏に聞いた「XLARGE(エクストララージ)」と歩んだ32年

1991年11月18日、アメリカ、ロサンゼルス、イースト・ハリウッドのロスフェリッツに、一軒のメンズファッション・ストアがオープンした。誰もがよく知る“ストリート・ファッション”のパイオニア・ブランドのひとつである「XLARGE(エクストララージ)」だ。
アメリカでXLARGEが立ち上がり、ほぼタイムラグもなく日本でも展開され手に入れることができたのは、ひとりの日本人の存在が大きい。株式会社ビーズインターナショナル 代表取締役会長 皆川伸一郎氏だ。彼とXLARGEの出会いが、ブランドの歴史そのものと言ってもいいだろう。今回は、XLARGEとの出会いから現在までのお話を伺っていこう。
株式会社ビーズインターナショナル 代表取締役会長 皆川伸一郎氏
株式会社ビーズインターナショナル 代表取締役会長 皆川伸一郎氏

XLARGEとの出会い

「1989年、私が25歳のとき、アメリカで流行しているものをなんでも持ってこようと思って起業しました。当時アパレルやファッションに特化するつもりはなかったのですが、最初はアメリカの店頭で買い付けてきた洋服やスニーカーの卸売りから始めました。当時の卸先は渋谷・原宿のセレクトショップでした。
アメリカのナショナルブランドや、古着、ビンテージのスニーカーなどを買い付けて、3ヶ月に一度のペースでアメリカへ行ければいいと思っていたのですが、それが非常によく売れて、毎月行かなければいけない状況になっていきました。
アメリカ西海岸は、サンフランシスコ、ロサンゼルス、東海岸はボストン界隈によく行っていました。体力的にはかなりきつい仕事でしたが、25歳だったのでむしろ楽しさを感じていました。流行りも肌感覚で分かっていましたが、10年、20年先までこれを続けられるだろうかという思いもありました。
ある時ラスベガスの大きな展示会に行ってみたら、イメージどおりのオーバーオールがあって、それがロサンゼルスの『CROSS COLOURS(クロス カラーズ)』というブランドでした。このブランドの日本代理店になり、CROSS COLOURSのブランド人気もあって、日本全国に卸先も広まっていき、それから数年間、取り扱っていました。
またある時、アメリカに買い付けではなく遊びに行こうと、会社のスタッフとロサンゼルスからニューメキシコ州のサンタフェまでドライブ旅行に来ました。ロサンゼルスに戻ったときに、スタッフの1人が行きたいショップがあると言って立ち寄ったのがXLARGE(当時の表記はX-LARGE)だったんです。XLARGEはその当時ブランドではなくセレクトショップでした。
建築とアート系の学校でクラスメイトだったアダム・シルバーマン(以下:アダム)とイライ・ボナーツ(以下:イライ)、という2人がセレクトショップを始める計画をしていて、アダムと近所で同じドッグランを使っていたビースティ・ボーイズのマイクDにセレクトショップの計画を話すと、『その話にジョインさせて』とマイクDが加わり、3人でやる流れになっていったそうです」
ロサンゼルスのX-LARGE STOREオープン時のフライヤー
ロサンゼルスのX-LARGE STOREオープン時のフライヤー
「セレクトのラインナップとしては、『CARHARTT(カーハート)』とか『BEN DAVIS(ベン・デイビス)』、あとは『ADIDAS(アディダス)』、『PUMA(プーマ)』のヨーロッパメイドのデッドストックのものなどをセレクトしていましたね。
オリジナルはというと、Tシャツとキャップ、ポロシャツやワークシャツぐらいだったと思います。一緒に行ったメンバーたちは喜んで、店内を買う気満々できょろきょろしている。こんなにファッションを好きな人たちが面白がるってことは、それだけのショップなんだろうなと思い、『日本でビシネスをやっているんだけど』と話しかけて、そのとき売ってもらえるだけの商品を購入して日本に持ち帰ったんです。
そういった経緯で日本にXLARGEが入ってくることになっていきます。日本で販売するとすぐに好評を得て、ビーズインターナショナルがXLARGEを扱っていると評判になりました。ビースティ・ボーイズや、マイクDというキーワードもあり、当時のファッション感度のいい人たちに刺さりまくったという印象でした」
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