2021.09.24

ジュリア・カセム「インクルーシブデザインにおけるプロセス設計の重要性」

heroImage

ロボットや義足の研究者、株式会社Xiborg・遠藤謙氏とお送りする特集企画「身体/衣服と機能」。今回は、インクルーシブデザインの研究者であるジュリア・カセム氏をお迎えします。


インクルーシブデザインの考え方から始まり、昨今のダイバーシティやSDGsをめぐる意識の変化、産業の取り組みの課題などをめぐって、対話を展開していただきました。

PROFILE|プロフィール
Julia Cassim (ジュリア・カセム)
Julia Cassim (ジュリア・カセム)

京都工芸繊維大学特任教授・ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)のフェロー、インクルーシブデザインの世界的権威。1984年から99年までジャパンタイムズ のアートコラムニストを勤めたのち、2000年から2014年までRCAのヘレン・ハムリン研究センターに所属。2014年5月より、京都工芸繊維大学に着任、KYOTO Design Labの立上げに携わる。2010年にデザイン界に最も影響を与えた人物としてDesignWeek誌のHot50に選出。

プロセス設計とユーザーとの対峙

インクルーシブデザインの基本

カセム:

まず、「インクルーシブ」という言葉は「含める」という意味です。デザインがいくら頑張っても、やっぱり自在の排除があり得てしまいますね。

インクルーシブデザインで最も基本となるのは、物理的な多様性ーー身体の多様性、精神的な多様性、さらに言葉の多様性など、色々なレベルでの多様性にどう答えれば良いのかを考えることです。そして幅広い人間が楽しめ、満足できるデザインとすべく、プロセス自体のデザインが重要になってきます。私はどんなプロジェクトでもまず最初に、どのようにプロセスを踏めば欲しい結果となるかを考え、プロセス自体の設計を行っています。

遠藤:

インクルーシブデザインという言葉自体は、いつ頃から出てきた言葉なのでしょうか。

カセム:

最初にその言葉が使われたのは、私のRCA時代の上司に当たるロジャ・コールマン(Roger Colemanが、1997年頃の会議の報告にて発言したものだとされています。

当時はユニバーサルデザインという言葉もありましたが、「ユニバーサル」という言葉を当時のデザイナーたちはものすごく嫌っていました。なぜなら、「ユニバーサル」はすべての人が楽しめる、すべての人が使えるという意味ではあるものの、いくら優れたデザインをしても、すべての人は楽しめません。このような極めて非現実的な表現に対して、より正確な表現があるのではないかということから「インクルーシブ」という言葉が出てきました。

画像: 「The 24 and 48 Hour Inclusive Design Challenges」
「The 24 and 48 Hour Inclusive Design Challenges」
遠藤:

良くも悪くも、大量生産・大量消費のプロセスのコストに比べて、インクルーシブデザインは個々のダイバーシティに対応することから、コストが高いようように感じられるのですが、こういった経済的な合理性に関しては、インクルーシブデザインはどういうような考え方をするのでしょうか?

カセム:

それはよく聞かれますね。注意深くプロセスそのものをデザインすると、結果が良くなり、そして結果が良くなるとデザインの結果が長持ちします。また、デザインミスが非常に少なくなる。その意味で、長期的にはインクルーシブデザインの方がミスが少ない分だけ安く、ないしは長持ちすると思います。

装具とユーザーのセルフイメージ

カセム:

障がいの種類や程度によって異なるとは思いますが、障がいを持つ子の親はみな、特殊な装具のデザインの問題をはっきりと感じていると思います。つまり、製品が使えない、醜いなといったことです。それが自分の子供でも、他の障がい者との関わりのなかでも同じことですが、配慮(sensitivity)のないデザインが、どれほどユーザーの日常生活にインパクトを与えているのかを毎日のように目の当たりにしていました。

娘のライラ(グラフィックデザイナーであり、車椅子を使用している)は小さな頃に、ものすごく重くて醜い、金属の入ったブーツを履いていました。そのブーツを見ると、こんな時代遅れの悪いデザインを誰が認めるというのだろうか、これを履いているユーザーに対してもイメージを悪くするものだと思いました。スタイリッシュにならないし、これを見た他の人は、ユーザーの人間性が見えなくなる。こういったプロダクトに対し、なぜこういったものを認めるのか、とても腹が立ちました。

私がすごく興味深いと思ったことのひとつに、障がい者の世界では、服のような体に直接身に着けるものと、体とは別に存在するものを区別することです。たとえば、車椅子のデザインが悪くても、車椅子はユーザーのイメージに何も影響を与えない、それは車椅子が悪いとなります。しかし、たとえば装具だったら、それは身体の一部となるのでセルフイメージに与える影響が大きいのです。

私はライラが生まれてからデザインの活動を始めたのですが、当時は服もまだ、伸縮性のあるものが少なかったのです。たとえば、ジーンズは100%綿で縫い代が分厚く、1日中車椅子に乗っている人にとっては締め付けが強く危険なものでした。では、なぜスポーツウェアのジョギングパンツのような服を着ないのか?と聞くと、「あのズボンは、働かない失業者といったイメージを与える」という理由から、たとえジーンズが危険なものであっても、スタイリッシュというイメージを追うために履きつづけていたのです。

精神的な自己イメージと関わることと、機能が完全に分かれています。今は新しい素材が登場し、特に伸縮性の高い生地やスポーツウェアは低価格でスタイリッシュのアイテムも多くなり、その様な話を聞かなくなりました。

遠藤:

僕の場合はもう、本当に自分が何もわからないという前提で作ることが多いです。足がない人の気持ちなんて、わかろうという努力はするけれども、最終的には理解するのも難しいですし、インドで義足を作った時も、彼らの文化もわからない状態でモノを作ることは難しい。なので、まずは自分が無知であることを自覚して、そこからコミュニケーションをしていくということが絶対に必要になってきます。そこはカセムさんの経験や実践と共通してる部分も多いなと感じながら聞いていました。

ファッションをめぐる課題

シナリオを作る

カセム:

私がRCAにいた2000年頃は、インクルーシブデザインのコンセプトをあまりわかってもらえませんでした。特にRCAのファッション学部の学生が我々の研究所に足を運ぶことがなかったので、どうやったらファッション領域の人たちに、インクルーシブのメッセージの必要性を理解してもらえるか、ずっと考えていました。その理由は、障がいと高齢はやはりダサいもので、その様な人たちのニーズに答えるとスタイルレベルが落ちてしまう、自分が創造的な表現が発揮できないという考えからでした。

画像: 「The 24 and 48 Hour Inclusive Design Challenges」
「The 24 and 48 Hour Inclusive Design Challenges」
カセム:

この問題に論理的に答えるべく、私は障がい者とファッション、とりわけスポーツの側面を繋げた、インクルーシブデザインのスペクトルから、シナリオ作りを行いました。その結果、エクストリームスポーツと障がいに、ひとつのスペクトルをおいてみると、障がいを持つ人とエクストリームスポーツで求める機能が似ていることがわかりました。たとえば素材が多いですが、エクストリームスポーツでは雪や汗などに対して身体の温度を保つこと、通気性の良いことなどの要件があり、これは障がい者のニーズと同じです。車椅子に長時間座ると手足が冷えるんです。このように似ているところをマッピングしていくと、どのような素材やカットが必要かわかります。たとえば、スケートボーダーと車椅子ユーザーでは、荷物を収納する場所の問題が近似していました。スケートボーダーは当時、ズボンのポケットに携帯や鍵、お金を詰め込んでいましたし、車椅子の方もそうです。このように障がい者の求める機能、エクストリームスポーツの求める機能、そしてその間に位置付けられるメインストリームのユーザーが楽しめるシナリオ作りをしていきました。

そうすると、ファッションの学生の大部分は無視しましたが、一部には「ああ、そういうことか」とわかってくれる人もいましたね。2003年ごろにoutlookという新しい生地を使い、プロのデザイナーとコレクションも作りました。

アダプティブ・ファッションの潮流

カセム:

「アダプティブ」は、古臭い言い方だと考えています。「アダプティブ」は実際にあるものをどう変えて、ユーザーが使えるようにするかというアプローチです。残念なことに、特に高齢者や障がい者に対して、実際にあるものを少し変えてニーズと合わせて作るというのが、これまでの大部分のアプローチでした。そうではなく、基本原則に戻って新しいプロセスと新しいやり方をすることでデザインそのものがより良くなり、アダプテーションが必要なくなるのです。

そもそも、実のところファッションという言葉は大嫌いです。ファッションではなく、私はウェアラブルという言葉を使っています。これまで私が行ったウェアラブルのプロジェクトでは、チームを組むときにマテリアルの専門家がいても、リーダーはファッションデザイナーではなくプロダクトデザイナーにします。なぜかというと、ファッションデザイナーの制作のプロセスは非常に芸術的で、合理的なプロセスではないと感じるからです。私は美術の世界の出身なので、スケッチがあり、素材があり、というファッションデザインのプロセスは、芸術分野での制作と近似していると気づきました。一方でプロダクトデザインのプロセスは非常に合理的であり、機能性を含めて考えられます。ファッションという言葉は、基本問題を隠してしまうように思っています。大昔は作るという意味がありましたが、今はスタイルですよね。

私は現在でも障がい者に向けたプロジェクトに入ると、ふたつのシナリオを見るようにしています。ひとつめは、その人の持つ障がいそのもののシナリオ、そしてふたつめが非常に重要で、その人はどういう人か、どういう人生を歩んできたのか、どういう仕事についているかといった、そのユーザー自身に関わることです。これらを見ることで、障がい自体ではなく、障がいが生活の中の大きな一部分であると考えるようにしています。そうすると、人間の生き方のシナリオと、物理的な機能性が必要とするシナリオを掛け合わせた、非常に面白いデザインができるようになります。

画像: null

言葉の定義

遠藤:

コンピューターサイエンスでは以前、「ユビキタスコンピューティング」という言葉をマーク・ワイザー先生が提唱されました。「ユビキタス」という言葉自体は一般的なものですが、ここで提唱されていたのは、コンピューティングがいたるところに存在する、生活の一部になって見えなくなる、つまり我々が意識しなくなっていくというコンセプトでした。しかし「ユビキタス」はコマーシャルのマーケティングの言葉として使われ始めました。たとえば携帯や体につけるセンサー自体がユビキタスとなり、「持ち運べる」、「いつでもどこでも」みたいなものへ置き換わっていき、「ユビキタス」自体が言葉としてあまりいい言葉ではなくなってきてしまった。
提唱した人の考えとは異なる形で他の人が使い始めたこと、色々なものが作られたことにより、言葉の意味が変わってしまったと言われてました。また違う意味合いをつけるために、IoTのような様々な似たような新たな言葉、ちょっとだけ違う言葉を使う流れがあります。

「インクルーシブ」という言葉ができる以前にも、バリアフリーやユニバーサルデザインといった少しずつ異なるコンセプトの言葉が存在していました。そしておそらく「インクルーシブ」にも、新しさの一方で、過去に提唱された言葉が違う意味合いに捉えられるようになった部分もあるのではないかと考えました。

きっとファッションの言葉自体の定義もそうだと思うのですが、このように言葉自体に罪はなく、人間がその言葉に違う意味をつけてつけてしまっているのかなと。

カセム:

さっき話したように、「ユニバーサル」という言葉は「ユビキタス」と同じように、非現実的だと考えています。人生の中で「ユニバーサル」なことは、我々がいつか死ぬということくらいです。

私が「インクルーシブ」という言葉が好きな理由は、コンセプトそのものが柔らかいからです。本当に「インクルーシブ」な行為を行いたかったら、責任はあなたにあり、「こうしなさい」ではなく自分で考えて進まなければならない。そういった点に共感しています。

特にデザイナーたちは、「ユニバーサル」という言葉を嫌い、魅力的なデザインをしないと結果が出ないという姿勢があるように感じます。それと比べてインクルーシブデザインは、こういった強制的なニュアンスがなく、プロセスや方法、結果もすべて自分で考える必要があります。そのため、デザイナーに責任があります。あなたは創造的なデザイナーですから、方法は自分で考えてくださいという形です。

画像: KYOTO Design Labでのプロジェクト
KYOTO Design Labでのプロジェクト

デザインの可能性

「Hided」と「Fronted」

遠藤:

エクストリームスポーツの話があったので。僕はパラリンピアンのブレードを作っていて、彼らが早く走るためのバイオメカニクスの研究もしています。この領域にいて思うのは、ロンドンで開催されたパラリンピックのプロモーションの影響の大きさです。パラリンピックに対する考え方が、非常に大きく変わった年だったなと思っています。

カセム:

パラスポーツの世界は非常に面白いですね。補装具を身に着ける人たちをめぐっては、ふたつの文化が動いています。英語でいうと「Hided」と「Fronted」と言って区別しますが、「Hided」は特に義肢のような装具をあまり見せたくない人たちのことです。なので、ここで求められる義足はより、現実的な足に近づきます。もう一方の「Fronted」は特に男性に多い印象ですが、自分がサイボーグのようになることを望み、いわゆる普通の身体を超越することを望みます。こういった自己イメージに関わる姿勢として、相反する文化があることが非常に面白いと思います。

こういった自己イメージの一方で、他者からのイメージ、つまり障がい者へのスティグマ(差別や偏見)はどこから来るのかということにも非常に興味を持ちますね。そこに服や装具の影響はあるのか、どうやったらスティグマを抑えることができるのか。スティグマを抑えることが良いデザインであり、デザインが大部分の解決策となると思うのです。

インクルーシブデザインの可能性

カセム:

ファッションの話に戻ると、ファストファッションをめぐる問題意識が共有され、ユニクロのようなマス・クロージングを中心にインクルーシブデザインのアジェンダが取り込まれるようになってきました。またオートクチュールでは、昔の工芸と同じように職人による高いレベルのテクニックが守られています。生産数は少ないですが、伝統工芸と伝統技術を守る機能としてとても重要です。

私はずっと京丹後の織職人と共にちりめんに関するプロジェクトを行なっていますが、そこでの非常に高い技術は、服よりも高級な時計などの製品に使われています。何百年にも及ぶ伝統が残っていくのは素晴らしいと思います。2014年から京都に移住して伝統的な産業と関わり、その継承をめぐる危うさを感じました。そこで考えたのが、伝統産業にデザインを道具として持ち込むことです。それは非常にインクルーシブデザインと近いアプローチだと思います。技術があってもビジネスセンスがなく、外部とのコミュニケーションがうまくいかないところに、インクルーシブなプロセスを持ち込んでいく。こういったプロセスデザインのおかげで産業を守ることが可能となる、創造的なデザインの道具を生かして他分野の人たちチームを組んで結果を出すのです。

画像: Alternative Futures (2020)
Alternative Futures (2020)
遠藤:

カセムさんとは異なる分野にいますが、考え方はものすごく共感できましたね。僕が大好きなMITの先生にエリック・フォン・ヒッペルという方がいます。彼は「イノベーションはリードユーザーから生まれる」と言っています。リードユーザーはどういう人かというと、我々の領域では義足の人が最も困っているのだから、最も課題を理解しているし、どうすれば解決するかもわかっている。そこに投資することによって、課題解決ができると。リードユーザーに向けた取り組みをスケールすることでイノベーションを起こすというのは、ものすごくインクルーシブでないとできないことなんですよ。

たとえばインドに行ったときに、コミュニティに寄り添ったアプローチをするためには、そもそものコミュニケーションをとるハードルがすごい高く、物づくりよりもそちらの方が大変だったことを思い出しました。なので、モノよりもプロセスが大事だなというのは共感できる内容でした。

カセム:

背景への理解を通じて、プロセスをデザインすることが大事ですね。コンテクストは地域性だけではなく、人間のスキルにも依拠します。コンテクストとプロセスを合わせて考えていくことで、インクルーシブなアウトプットができるのだと思います。

Text by Hanako Hirata

#Wearable Device
LINEでシェアする