2021.08.27

遠藤謙「身体/衣服と機能」

#特集003「身体/衣服と機能」
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Fashion Tech Newsでは多様な領域からゲスト監修者をお招きし、ファッションやテクノロジーの未来について考えるための領域横断的な特集企画をお届けします。第3弾はロボットや義足の研究者であり、株式会社Xiborg・遠藤謙氏を監修者に迎え、「身体/衣服と機能」をテーマにお届けします。

先端テクノロジーと結びついたスマート衣料、義手や義足、スポーツウェアなど、様々な身に纏うものが飛躍的に進化するなか、衣服の在り方はどのように変化していくのでしょうか。装身具の現時点を追いながら、広く身に着けるモノのなかで衣服/ファッションというものを捉え直すことを試みたいと思います。

PROFILE|プロフィール
遠藤 謙

株式会社Xiborg代表取締役

慶應義塾大学修士課程修了後、渡米。マサチューセッツ工科大学メディアラボバイオメカトロニクスグループにて、人間の身体能力の解析や下腿義足の開発に従事。2012年博士取得。一方、マサチューセッツ工科大学D-labにて講師を勤め、途上国向けの義肢装具に関する講義を担当。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所アソシエイトリサーチャー。ロボット技術を用いた身体能力の拡張に関する研究に携わる。2012年、MITが出版する科学雑誌Technology Reviewが選ぶ35才以下のイノベータ35人(TR35)に選出された。2014年ダボス会議ヤンググローバルリーダー。

身につけるものの機能と見た目

見た目をめぐる主観

たとえばハイヒールは機能美かどうかという話は、昔から友人と話題としていましたが、僕は基本的にそれは機能美ではないという考えでした。僕は歩行に関する研究をしていますが、ハイヒールは歩行に必要な機能は間違いなく失っている。
けれども、そこで人々が求めているものは歩行の機能ではなく、何か他のものなんだなということを30代に入ってから学ぶようになりました。女性の目線が高くなることによって得られる快感とか、足が長く見えるような他人からの目、あとは気合が入るみたいな主観的なものだったり、それを果たして機能として認めるのか。

また、インドでシャツを配るプロジェクトを行ったときにも、安いものでいいんじゃないかという人が結構いたんですね。白いシャツをただ配る、それでいいと。でも、10円予算を増やしたとしても、様々な色のシャツがあった方がいいのではないか。それに対して途上国のお金のない人が喜ぶかどうか、僕らの目線では判断できていないんだなって思ったんです。結果的に、色の選択肢があったほうが喜ばれました。

だから、機能が求められるなかでも、人間の受け止め方には主観的なものも入ってくる気がします。衣服もそうだし、ウェアラブルデバイスもそうだし、人間が求めるものは一位的なものではなくて、色んな人が色んなものを求めている。なのでデバイスも多様化していくし、ファッション自体もテクノロジーによって多様化する、一概にこれが正しいとか言えないようになってきていると思います。

機能美の展開

機能美をめぐって、スポーツの領域でいうと、機能だけではなく目立つ、かっこいいといった見た目でもビビッとくるようなものの流行が登場したのは、2000年に入ってからだと思います。特にNIKEがデザインに注力して、その流れを牽引しましたね。トップアスリートに関しては、不恰好でも速い方が正義で、逆にそれがカッコよくなってくる。ただ速いことを突き詰めていったら、結果的にカッコよくなるんです。一般ユーザーにとっての機能美の重要性は、まだ正直わからないところもあるんですが、絶対に0ではないとは思います。

僕はエンジニアとして、機能美とファッションデザインはゆくゆくは交わるものだとは思いつつも、その先に枝分かれして多様化していくのかなとは感じています。合理性があるものの方が人間は受け入れやすいということがある、速いものは正義だと。それは正しい、かっこいいと勘違いするのが人間だと思うので。

なので、まずは早く走るということに特化したものが強い。それがカッコよく見えるという価値観がある。ただ、その中でもデザインの自由度があるので、そのなかで見た目をどうするか。義足に関していうと、人間の足に似たようなものを作れば、他の人が見てもなんなく安心する。自分と近い存在だから親近感や共感を得やすい。そこに人間の形とは違う形の足がついていたら、かっこいいというよりかは認められるのに時間がかかる。ただ、違和感を感じさせる見た目でも、速く走るというところに特化することで違和感を受け入れてもらえる。

でもそれは、競技の中でしか重要視されない価値観かなとも思います。たとえば、学校で走るときに求められるかというと、多少は求められるけど全てではない。また、ハイヒールのように走る機能を犠牲にしながらも、大切にしなければいけない価値観もあるのではないか。 

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デザインの選択肢がある意義

自分が好ましいと思うデザインを身につけることについて考える際に難しいのが、この人が使ってるからかっこいい、たとえばウサインボルトが履いてるからみたいな価値観って強烈で。だからスポーツブランドはブランディングとして、タイムの速い選手とスポンサー契約を結んで、このシューズを履いてる人は速いみたいなイメージを作るんですよね。それに対してかっこいいと思うような部分もあると思うと、人間は純粋に物の評価をしていない。自分が純粋にかっこいいと感じるから選ぶということは、あまりないと思っているので。

自分が憧れる選手がそれぞれにいるなかで、それぞれの選手が違う靴を履いていることに意味がある。そして、それぞれに価値観があるなかで、その違いが認められる社会というのは、それぞれの価値観に合うものが用意されている社会。そう思うと、多様なものが用意されているということのほうが自然ですよね。

身体とツールの関係

キーワードとしての体の補助/拡張

僕自身は、体の補助/拡張という表現はあまり使わないようになりました。多くの人からみて、補助と拡張を分かつラインがあって、このラインは健常者のことを思い浮かべてると思うんですよ。ここがスタンダードだよねという合意がある。

このことは、たとえば乙武さんのように手足がない人にとっての義足は補助かどうかということに繋がると思うんですね。これはやっぱり、補助ではない。手足がない乙武さんにとっては四肢欠損の状態がスタンダードで、義足をつけることは邪魔になるかもしれない。

補助とか拡張という表現は、あくまで自分の中での相対的な言葉としてはありえるとは思います。ただ最近になって、その使い方に暗黙の了解があることは少し気持ち悪くなってきました。そういう感覚ではなくて、1km先に行きたいから自転車に乗ろう、ちょっと遠いから自動車を使おうというような感覚。これが拡張かと言われると、なんとなく違和感があるんです。ツールを目的達成のために使うような感覚でしかない。

補助とか、拡張という言葉を使うなら、自分のなかで何も付与していない状態をスタンダードとして、それが失われた時に元通りにすることが補助、そこから自分ができないことに対してツールに頼ることが拡張だと思うんですけど、その言葉も難しくて。もしも僕が今、脚を失ったとして、義足をつけることを補助というと、脚を失うということがネガティブだからそう考えるわけですよね。確かにネガティブと言えばそうなのですが、それだけの変化として捉えてほしくないとも思います。

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ツールとルール

そもそも価値観として、健常者の方が優っているという先入観が違うのかなと。その考えが崩れる方がいいと僕は思ってますし、その方が健全だと。障がい者だから劣る傾向にあることもあるけども、テクノロジーや努力によって逆転しうるという事例は今も昔もありますし、それが当たり前になってくる。

たとえば、車椅子マラソンはもう、マラソンよりも早い。タイヤだもんってなりますよね。義足も見た目で健常者と比較しがちですけど、バネだから飛ぶよねって。オリンピックでも、アーチェリーの選手はメガネをかけている人が多く、でもそれが拡張なのかというと身体の一部となるツールとして受け入れられている。こんな風に、ツールとしてルール上受け入れられるか、外されるか。

義足はもう、ずるいという感覚になってきている気がしますね。スポーツだと、みんなが納得しているルールの上でやらないとならない。でも、それは必ずしも選手を見下すようなことには繋がらない。義足の選手も、ルールに則っている選手も、それぞれにリスペクトされるような社会がいいのかなと。

ファッションの役割

新しい提案が許容されるファッション

僕がファッションに興味を持ったのは、去年、友人であるFactelierの山田敏夫さんと話したときに、ファッション業界は価値観からはみ出るということが許容されている文化で面白いなと思ったからです。ファッションショーで歩いている人たちも、宇宙人みたいな体型ですごくかっこいい。着ている服は街中で見るものとはかけ離れているもので、「こんなものを着るの?」みたいなところから文化が作られている。しかも、それが毎年毎年行われている。新しいものが次々と提案され、受け入れられている潮流があるというのは、あまり他の業界ではないかなと。

人間はとてもコンサバティブな動物だと思っているので、ここまでフレキシブルな文化を作り上げてきたことがまず面白いと思っています。テクノロジーの領域は、そこまで時間軸を素早くできるものではないので、次々と提案できることは羨ましい。世の中に対する流れにも敏感で、たとえばSNSがブランディングとして使えるような仕組みとなってきたら、それをうまく使って流れを作るみたいなこともできている。価値観の提案と、それに対する手入れができているという観点で、ファッションに興味を持っています。

SDGsに取り組むうえでの課題

一方で、これはマジョリティに対するアプローチなんだなとすごく感じることもあります。当たり前となってしまったような、資本主義の原理をうまく利用した格差、途上国の労働者の搾取みたいな構造が生じてしまっている。それはファッション業界が悪いというよりも、資本主義の原理で自然とそうなってしまった。

SDGsへの意識はファッションに限らず、どの業界でも広がっているはありますが、そこにはまだ課題もある。僕の身近な例でいうと、今のようにオリンピック、パラリンピックで盛り上がった後に、おそらくパラアスリートの雇用はなくなるんです。
パラリンピック後のことを考えて活動してる会社は、本当に少ないんですよね。本来ならば、障がい者に対する社会活動の促進だったり、障がい者も女性もLGBTQも含めて様々な社会的マイノリティの人々が我慢することなく報われる社会を作るという、大きな目標があったと思うんです。

そういった落としどころを考えて活動している人たちが本当にいるか、そこに着地できているか、そのような仕組みが今のところは見当たらないですし、そういった発想に日の目が当たっていないと感じています。

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人間としての楽しみとなるもの

そのなかでも障がいや福祉のイメージをガラッと変えるためには、ファッションというツールはやはり強いと思っています。

途上国支援に取り組むときにも感じたのですが、なんとなくマジョリティの価値観が正しいと勘違いをしてしまう。友人の実体験になりますが、インドでは川で水浴びをしている人たちがいて、川の水をシャワーにする装置を作ったことがあります。彼らがが訪れたのはインドの中でも冬は少し寒いところで、その装置の中に水を温める仕掛けを作って、温かいお湯でシャワーを浴びられるようにしてあげるということは、基本的な衣食住のサポートよりも上のレイヤーになる。果たしてそれが必要かと考えると、確かに食べものの方が優先順位は高いけれど、だからといって温かいシャワーを浴びるのは心地よいということを体験できないことの理由にはならないと思うんです。でも、JICAにいた方に話すと、優先順位が違う、温かいシャワーはいらないと言われてしまったようです。

でも、こういう考え方は、そこに暮らす人々を見下してるというか、彼ら彼女らが人間として、自分と同じような価値観を持ちえるということを無視して、我慢させてしまっていることになる。今の障がい者や女性、LGBTQの方々は我慢している。我慢させてしまう社会が出来上がってしまっている。
そういった我慢させられているものの領域は、生きていくにはそれほど必要のないもので、後回しにされているものだと思います。ファッションだったり、スポーツだったり、デザイン自体もそうですよね。食べられればいいとなると流動食だけで生きていけることになるのですが、そうではなくて美味しいものが食べたいし、温かいものが飲みたいという人間的な欲求は誰にでもある。こういった人間として生きていくうえでの楽しみが失われている状況を、劇的に変えるのがファッションだと思います。

機能・デザイン・価値観

特集テーマ「身体/衣服と機能」について

これからはファッション領域にもさらに、テクノロジー領域が入ってくるという感覚がありますね。要は、今はロボット、エグゾスケルトン、福祉用具、スポーツといった領域で開発されているものが、いずれは見えなくなると思うんです。見えなくなるというのは、そこに実際にはあるんだけれども、みんなが意識しなくなるということ。

メガネはファッションかと言われると、ファッションだと思うのですが、昔はそうじゃなかった。このように、なんとなく身近にあるものというのは、徐々にファッション化していくと思っています。そのようにファッション化する前段階のものが、テクノロジー領域にたくさんある。一緒にコラボレーションしていく前段階にある。だからこそ、これから面白いことが起こるだろうって感じています。

今回、どのような声を集めたか

アーティストであるViktoria Modestaさんは、すでにテクノロジーのファッション化の領域にいた人ですね。彼女はマサチューセッツ工科大学メディアラボ(MIT Media Lab)のディレクターズフェローで、様々なコラボレーションに取り組んでいました。テクノロジーのファッション化といった価値観を、すでに持っている方ということで興味深いと感じています。

インクルーシブデザインの研究者であるJulia Cassimさんは、彼女自身が取り組んでいることも面白いですが、娘さんであるLaila Cassimさんとの関係性にも興味を持っていました。Lailaさんはグラフィックデザイナーであり、車椅子を利用している。でも、正直なところ彼女は障がい者という認識をしていない、彼女や彼女の活動が面白いということが先行する。こういった価値観が生まれる潮流、人生においても、デザインの領域でも、どのように導かれたのかを知りたいなと。

quantumのデザイナーである門田慎太郎さんとは、日常を旅するクルマイス「Wheeliy」を手掛けられており、この「Wheeliy」の制作から身体の一部となるプロダクトの設計とデザインをめぐるお話から、エンジニアリングとデザインの関係といった話をしていきたいと思います。

小説家である冲方丁さんとは、以前に攻殻機動隊Ariseの公開に合わせてお話をしたことがあります。今日、存在しえるテクノロジーによって、それが与えるあらゆる状況を思考実験し、矛盾点が生まれない納得し得る世界観を生み出す必要があるという話をし、これはSFも研究も同じだと思いました。そして、義足というテクノロジーが人間の能力を実際に上回る世界観はどのようなものなのか、人間の身体に対する考え方がどのようになるのかを考えたいと思っています。

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Photo by Teruaki Tsukahara

#Wearable Device
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