2022.03.04

【対談】水野祐・飯田豊「新たな社会に向けたリーガルデザイン」

#都市とメディアの過去/現在/未来

メディア研究者である立命館大学産業社会学部准教授・飯田豊氏とお送りする特集企画「都市とメディアの過去/現在/未来」。今回は、弁護士の水野氏をお迎えし、対談を行いました。

法やルールという観点から、都市やメディアの現在/未来についてどのように考えていけるのか、理論や実践、多様な領域を架橋した多様な対話をお届けします。

PROFILE|プロフィール
水野祐

法律家。弁護士(シティライツ法律事務所)。九州大学GIC客員教授。Creative Commons Japan理事。Arts and Law理事。慶應義塾大学SFC非常勤講師。note株式会社などの社外役員。著作に『法のデザイン −創造性とイノベーションは法によって加速する』、共著に『オープンデザイン参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」』など。
Twitter : @TasukuMizuno

PROFILE|プロフィール
飯田豊

立命館大学産業社会学部准教授。専門はメディア論、メディア技術史、文化社会学。1979年、広島県生まれ。東京大学大学院 学際情報学府 博士課程 単位取得退学。著書に『テレビが見世物だったころ:初期テレビジョンの考古学』(青弓社、2016年)、共著に『メディア論』(放送大学教育振興会、2018年)、編著に『メディア技術史:デジタル社会の系譜と行方[改訂版]』(北樹出版、2017年)、共編著に『現代文化への社会学:90年代と「いま」を比較する』(北樹出版、2018年)、『現代メディア・イベント論:パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』(勁草書房、2017年)などがある。

新たな社会に向けたルール

リーガルデザインという視点

水野:

私のこれまでの活動は、抽象的に言えば、ソフトあるいはハードでも、何らかのリソース・資源に絡みついた権利や契約関係をときほぐし、利活用しやすい形で整理することです。土地や建物でいえば所有権あるいは賃借権の問題、ソフトコンテンツの分野でいえば 著作権や個人情報保護、肖像権などの様々な権利が多層的に折り重なっています。

リソースを利活用しやすいように、あるいはビジネスパーソンやクリエイターが望む形で作品やコンテンツを届けられるように、そのための新しいルールを考えています。「法」は邪魔なものや遠ざけておきたいものと捉えられることが多いですが、私が「リーガルデザイン」と呼んでいるのは、望ましいビジネスやクリエイティブを実現するため、こういう社会になったらいいなという方向に導くためのツールとして、法を捉え直す視点や技術だと思います。

法をひとつのデザインツールとして、あるいはデザインの対象として見ていくことは、過去にもあったはずですが、今の時代、より求められているというのが私の考えです。

リテラシーからコンピテンシーへ

水野:

2021年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「ルール?展」を、菅俊一さん、田中みゆきさんと​​企画しましたが、自分が関心を抱いていたことは、「法律」だとすごく堅くなってしまうので、「ルール」として対象を広げて考えていくことでした。私たちは「マイルール」といったものから、友人や恋人、夫婦、家族といった関係性のなかで、小さなルールをたくさん使って生活しています。 より大きな枠組みでは、SDGsのように、ポジティブな未来のために、サボりがちな人間がなんとかサボらないようにするためのルールの使い方もあると思います。

しかし、学校の校則や会社の社則はもちろん、国の法律や自治体の条例となると、途端に嫌なものになる。この小さなルールと大きなルールの溝を埋めるために何が必要なのかという疑問がずっとありました。どうしたら、大きなルールを「自分のこと」として捉えることができるのか。そこを埋めるようなルールの多面的な見方、面白さを提示したいというのが、今回の展示で自分が最も考えていたことです。堅苦しくなく表現し、展示という体験を通して、楽しかったな、面白いなという感覚が残せれば、意義があることだなと考えていました。

結果として、たくさんの来場者に恵まれたことは成功のひとつですが、見に来てくれた人、体験してくれた人が、どれだけ頭の隅にこういった感覚を残してくれたかは測りづらいものです。展覧会というフォーマットであまりに多くのことをやりすぎようとした部分はあったと思うし、InstagramやTikTokで消費されてしまったという見方もあると思います。来場してくれた人が、どれだけ趣旨を意識的に、あるいは無意識的に感じ取ってくれたかはわかりません。

オードリー・タンさんが、黒鳥社の若林恵さんのインタビューのなかで、「リテラシーからコンピテンシーへ」という表現をしていますが、優れた成果を創出する個人の能力・行動特性である「コンピテンシー 」という言葉を、最近よく耳にするようになりました。私の立場では、「リーガルリテラシーからリーガルコンピテンシーへ」という風に言っていますが、これまで法を含むルールはリテラシーという観点から語られすぎてきたように思います。「ルール?展」では、要は新しいルールをつくっていくことは次の社会をつくっていくこととニアリーイコールで、しかもそれに自分が関わってみることは案外楽しいことかもよ、という提案をしたつもりです。それくらい、軽く捉えてもらえればいいかなと。

都市とメディアの現在地

水野:

都市環境をめぐって考えてきたことをお話しします。5〜10年ほど前から日本でもリノベーションの文化や、 既存のものを活かして転用していく建築の手法、街づくりの手法が脚光を浴びてきました。最近だと中古物件がよく売れて、リノベーションして住むことも増えました。コロナで住まいを充実させるという観点も出てきて、それに拍車がかかっています。

ただ、そういったリノベーションの流行や投資による住宅価格の高騰が発生している状況によって、街が、住んでいる人たちのものになっていない。道路や公園も禁止事項だらけで、本来の目的であったコモンズとして使われておらず、公共空間の利活用という論点が盛り上がっていると思います。

公共空間の利活用もリノベーションも、既存の法制度の読み込みや解釈を通じて、どのように新しい事例を積み重ねていくのかが非常に重要です。 規制緩和を政府が行うとしても、当たり前のことですが緩和した後に 何もルールがなくていいわけではなく、新しいルールをどうつくっていくかという点で、現場の声を拾い上げ、法を含むルールに結実するケースが散見されます。近年の都市政策におけるルール変更には比較的ポジティブな変化が見て取れます。

一方で、メディア環境に関しては、全く異なる印象を持っています。私はこれまでクリエイティブ・コモンズという情報空間におけるコモンズを生み出すための活動に従事してきましたが、情報空間において、著作権を起点とすれば、 SNSをはじめとして各種メディアが著作権という禁止権を重要視せず、コンテンツを利活用して、エンゲージメントを高めていくような状況が加速しています。そこでゲーム、芸能や音楽などのコンテンツ分野だと、今までは© All rights reservedで終わりだったものが、最初から2次創作ガイドラインを出して、メディアミックス展開を図っていくことが、企業戦略としても、文化としてもデフォルトになってきています。もっとも、このようなオープンソース性は、ファッションや食といったサブカルチャーの分野では、旧来から当たり前に存在していました。

コロナ後に期待される都市文化

「制度化」して残していくこと

飯田:

オープンスペースについてはこの特集企画で、速水健朗さんともパブリック・ビューイングを題材にお話ししました。公共空間の利活用に関して、速水さんはMIYASHIYA PARKのデザインやパークレット(車道や歩道をは活用した憩いの場)のような仕掛けを評価されていました。水野さんは『アナザーユートピア:「オープンスペース」から街を考える』(槇文彦・真壁智治編著、NTT出版、2019年)に寄稿されたテキストのなかで、都市におけるリーガルデザインの可能性の一例として、タクティカル・アーバニズム(市民による小さなアクションから長期的なムーブメントに繋げる思想)に言及されていましたね。都市のなかに余白を見つけていくという話と、法に余白を見つけていくという話が見事に重なっていて、すごくいい文章だなと思いました。

速水さんとの対話では、食を中心に街の変化を見ていたので、コロナ禍で根こそぎ駄目になったように思え、暗い気持ちにもなってしまったのですが、水野さんは「ルール?展」の取り組みでも、また『アナザーユートピア』での議論でも、良い意味で風向きが変わってきたと捉えていますね。コロナ禍の影響で、短期的には難しいこともあるかもしれませんが、長い目で見るとどうなのでしょうか?

水野:

おっしゃる通り、飲食店は今、非常に大変な状況ですし、観光業も大打撃を受けています。しかしコロナによって、街には色々な形でのコモンズやオープンスペースが重要だということを再認識した人も増えていると思います。コロナが落ち着いて以降は、公共空間の利活用をめぐる価値は少しずつ社会に溶け込んでいって、より重要なものとして立ち現れると思います。そういう意味でも、今、公的な資金を投入してでも飲食店とか観光業を残していくことを考えねばなりません。ただ、無尽蔵にお金をつぎ込めばいいという話は違うとも思いますが。

今後、 各地で公共空間の利活用やリノベーションによる街づくりが、多様な形で実験的に、タクティカル・アーバニズム的に起こっていく。それをどうナレッジシェアして、ルール化していくかが肝になると思います。このことを「制度化」という言い方をしています。そういったように、新しい時代のルールメイキングに繋げる試みも、多様に行われています。そして実験として終わってしまうのではなく、良いものは永続的に残していく目線や試みも重要だろうなと思っているところです。ルール化とか制度化というと固くて小難しいイメージを持つ方も多いと思いますが、担当者が変わったり、場所が変わっても、その手法を援用できるようにするためにはルール化・制度化というのは大事な視点です。ただ、ルールはすぐに硬直化するので、定期的に見直すこともメタルール化しておくことが肝要です。

水野:

公共空間の利活用についてコロナ禍で印象的だったのが、従来は公共空間の利活用においてアンタッチャブルな存在であった道路の占有許可に対する基準緩和が、一気に打ち出されたことです。パークレットのような、いわゆる道路を占有しての試みに対する許可は、行政の対象ではなく警察の管轄となるので、安心・安全が先立ち、日本ではなかなか進まないと言われてました。佐賀県がずっと実証実験をやっていたのですが、そのスキームを利用した制度化が進みました。

その他にも、イギリスのブリストルで行われていた「プレイングアウト」の事例も、最近よく参照されます。昔、道路にチョークや石で絵を描いていたと思うのですが、「プレイングアウト」は住民が勝手に道路を締め切って子どもたちの遊具にし、絵を描いたりして遊ばせることを指します。ブリストルから始まり、イギリス全土で広まった結果、 今では自治体でルール化されて、「プレイングアウト、あなたもできます」といったように宣伝もされています。 昨日、東京の渋谷区にある私の家にも、「プレイングアウトをやりませんか?」といったチラシが入っていて、ブリストルから東京まで来たぞと感じましたね。

こういう風に良いものを積極的に取り入れて、みんなで現状をより良くしていくという新しいルールのつくり方は、街づくりだけに限らず、さまざまな分野で可能性があり、今後もたくさん起きてくると期待しています。

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飯田:

プレイングアウトも速水さんとの対談とリンクしていて、僕はパーキングデーのお話しをしました。パーキングデーはアメリカ発祥なので、プレイングアウトとは由来が異なりますが、とてもよく似ていますよね。僕がパーキングデーを最初に知ったのは、2013年にドイツのライプツィヒに行った際のことでしたが、2019年に渋谷区が取り組んで注目されました。

スケートボード、パルクール

飯田:

水野さんは昨年末、『BRUTUS』の読書特集(2021年12月15日号)で、ベリンダ・ウィートンの『サーフィン・スケートボード・パルクール:ライフスタイルスポーツの文化と政治』(市井吉興・松島剛史・杉浦愛監訳、ナカニシヤ出版、2019年)を推薦されていましたね。監訳者の市井さんや松島さんは職場(立命館大学社会学研究科)の同僚で、多くの院生が翻訳に参加していました。ちなみに、もうすぐジェフリー・キダー『パルクールと都市:トレイサーのエスノグラフィ』(市井吉興・住田翔子・平石貴士監訳、ミネルヴァ書房、2022年)も刊行されますが、監訳者の平石さんは僕の指導院生だった方で、博士論文はブルデューの研究だったのですが、現在はパルクールの調査研究にも取り組んでいます。
水野さんからウィートンの名前が挙がっていたのが非常に印象的でしたが、意外な感じはしませんでした。

日本でも2000年代、ストリートダンスやスケートボードを題材にした都市社会学やカルチュラル・スタディーズが盛んに展開されていました。ただ、当事者がロスジェネ世代だったこともあって、労働との関係が過剰にフォーカスされてしまって、ウィートンのような論点には展開していかなかったなと思っています。

水野:

ウィートンの本はストリートで生まれたスポーツが徐々に競技化されていく過程を分析した本ですが、こういったライフスタイルスポーツが普通の都市の生活者とはやや異なる視点から都市の魅力を再定義していく可能性についても示唆があると思いました。この文脈では、2000年代には、イアン・ボーデンの『スケートボーディング、空間、都市:身体と建築』(齋藤雅子・中川美穂・矢部恒彦訳、新曜社、2006年)が一部で話題になりましたね​。コロナ禍で​都市から人がいなくなったことで、こういったスポーツをやる人が出てくるという面もありますよね。

飯田:

確かに、オリンピック種目になった影響も相まって、スケートボーダーが以前より増えている場所もありますね。

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ビジョンにもとづくルール

法という観点から思考すること

飯田:

水野さんのお仕事は2000年代から存じ上げていましたが、リーガルデザインという視点を打ち出されるようになって、他人事ではなく自分事として、法律のことを考えられるようになったと思います。最近では、「ルール学」ともおっしゃっていますよね。

水野:

出版企画で「〇〇学」という肩書きというか、ジャンル分けが必要になった際に、「法学」だとおこがましいところもあり、「ルール学」という言葉をひねり出したのですが、ルールというものが学問として体系立てて論じられることはまだ少ないかなと思います。

飯田:

すごく良い表現だと思います。自分自身、日常生活ではマンション管理組合の規約であったり、仕事では大学や学会の規約や規程に手を加えたりする機会が増え、法律ではないけれどもルールの効用について考えたり、逆にルールだけでは乗り越えられない壁に向き合わざるを得なかったり、法やルールに対する関心が否応なく高まっています。そんな自分にとってリーガルデザインやルール学という視点が非常に有効だと感じています。

ところで、僕はメディア研究が専門ですが、残念ながら、メディア法やメディア政策の専門家が少ないんですよね。従来、マス・コミュニケーション研究やジャーナリズム研究は、新聞や放送の実務経験のある研究者が多く、送り手を養成する役割や責任も強かったことから、マスメディア産業論やメディア法・メディア政策に明るい先生が多かったです。ところが、1990年代以降、マーシャル・マクルーハンが再評価され、カルチュラル・スタディーズやメディア・リテラシーといった観点の影響も相まって、乱暴に言えば、必ずしも送り手を理解したり目指したりするのではなく、賢い受け手を育てるための研究や教育が中心になっています。その結果、メディア法・メディア政策の担い手が少なくなった印象があります。日本メディア学会(旧 日本マス・コミュニケーション学会)には現在、1200名くらいの会員がいるはずですが、会員名簿をざっと見る限り、メディア法やメディア政策の専門家はその1%くらいだと思います。

これまで、送り手研究が弱いのは仕方ないと思っていましたが、水野さんのリーガルデザインの視点に触れてからは、それだとネガティブすぎるかなと考えるようになりました。先程、オードリー・タンの「リテラシーからコンピテンシーへ」という話がありましたが、メディア・リテラシーに関しても「送り手と受け手の対話をどうデザインするか」といった観点にもとづく実践も蓄積されていて、僕自身も長年これに取り組んでいます。こうした実践にもリーガルデザインの考え方はフィットします。必ずしもメディア法・メディア政策の専門家でなくても、法について意識しながら思考することが重要で、水野さんのような法律家の方々とも、もっと接点ができていくといいなと強く感じているところです。

足かせではなく、活用するためにルールを考える

水野:

メディア法やメディア政策の専門家が足りていないというのは実感しますね。また、ただでさえ研究者の人材不足が深刻なのに、みんな情報法、つまりインターネット方面の問題に忙しすぎて、マスメディアに立ち戻る余裕が全くないというのが正直なところです。特にマスメディアは構造的な問題によって、改革に腰が重いから新しい政策に入りづらい、議論もしづらい環境だと思います。ただ、ここ2〜3年で同時配信や著作権法改正などにともなう問題や、放送法改正の議論なども登場しており、こういったところの議論が如実に足りていない。こうした状況を受けて、研究者や弁護士などのあいだで、再び関心が深まることはありうるかなと思います。

もっとも、リーガルデザインの概念について私の実務上の経験からいうと、 大胆な法律の解釈やルールメイキングのアイデアというのは、 法律家からは生まれないという感覚が強くあります。というのも、大胆な解釈やアイデアというのは、「こうしたい」という強いパッションやビジョンを持っているからこそ生まれていくものであって、「ではなぜ、やりたいのにできないんだ」というところを一緒に考えるのが私を含む法律家の仕事です。「こうしたい」、「こうあるべきだ」と既存の慣習を超えて考えられる人が、あらゆる場面で必要となります。リーガルデザインの背景にある重要な思想として、そういったパッションやビジョン、「こう変えたほうがいい」という小さなアイデアというのは、日々、どんな場所からでも、誰からでも生まれ得るはずだ、という実感や期待があります。

具体的に「こうやったらできる」とか、契約書に落とすといったディティールの部分は専門の弁護士に外注すれば良くて、その前に、そういった視点がありうるんだという考えが広まり、そこに気づけるように視点を広げることが大事だと思います。そういう意味では必ずしも専門家が必要だということではなく、それに「リーガルデザイン」と言う必要もないかもしれないですが、「政策をこうデザインすべきだ」とのろしを上げれば、時代がついてくるということもあると個人的には思っています。

飯田:

僕が関わりの強い組織のひとつに、放送倫理・番組向上機構(BPO)があります。申立を受けて審議を行っているという印象が強いかと思いますが、放送をより良くしていくための前向きな取り組みも行っています。たとえば、審議対象となった番組の制作者にヒアリングするばかりではなく、第一線の制作者や青少年モニターとの意見交換もしているらしいですが、審議事案ばかりが報道されるので、あまり知られていないですよね。

ちなみに僕自身、2019年度からBPOとの共同研究として、全国の放送局が取り組んでいる青少年向けのメディア・リテラシー活動の実態調査をやっています。メディア・リテラシーの活動といえば体験型学習と思われがちですが、メディアの規範や付き合い方が複雑化している状況下で、放送局が行っている取り組みについては、パブリック・アフェアーズの意味合いも強いと思っています。

放送のあり方が根本的に揺らいでいる中で、放送基準や番組基準と呼ばれるルールに対して、どういったビジョンを持つことができるかが、、とても重要になってきていると感じています。水野さんも普段、「コンプライアンス」と「法令遵守」という言葉を使い分けていらっしゃいますが、僕は常々、こういったルールを表現の足かせと捉えるのではなく、ネットメディアにはない、放送に固有の歴史的な財産と捉えることもできると思っています。そういう意味でも、水野さんの活動には非常にインスパイアされています。

ルールづくりに携わる人を増やす視点

水野:

通信と放送を完全に区別していく方向もあれば、逆にもう境目がないとするアプローチを取ることもできますよね。ただ、やはりBPOが持つノウハウや従来からの役割は、今日のネットメディアを含め、メディア全体で求められるアセットや立ち位置、あるいは信頼でもあると思います。そういう意味では勝手な希望ですが、BPOは必ずしも法律的な意味での放送だけではなく、広い意味でメディア環境を改善していくものへと生まれ変わることが求められていると思います。

飯田:

そうですね。動画配信サービスのコンテンツや動画共有サイトの広告におけるハラスメント表現には多くの大学生が不快感を持っていて、こういったことを研究対象にしたいという声も大きいし、僕のゼミでは実際、このテーマで卒論を書いた学生もいます。また、放送局でCMの考査・運行に携わっていた方が、今は大学院生として、ネットの動画広告の倫理はいかにあるべきかを研究しています。こうした兆候をみても、リーガルデザインの考え方が有効な補助線になると思っていて、先々が楽しみではあります。

水野:

リーガルデザインという言葉であったり、視点があることで、より良いルールづくりに参加できる人の層が増えるのであれば、それは嬉しいことです。

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