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2021.12.08

飯田豊「都市とメディアの過去/現在/未来」

Fashion Tech Newsでは多様な領域からゲスト監修者をお招きし、ファッションやテクノロジーの未来について考えるための領域横断的な特集企画をお届けします。第4弾はメディア論の研究者であり、立命館大学産業社会学部 准教授の飯田豊氏を監修者に迎え、「都市とメディアの過去/現在/未来」をテーマにお届けします。
 
現在、私たちを取り巻くメディア環境はデジタル化が進み、都市文化にも大きな変化が生じています。また、バーチャルなコミュニケーションプラットフォーム--いわゆるメタバース--の推進も様々な企業によって展開され、従来の都市文化とは異なる生態系が生まれつつあります。こういった都市環境やメディア環境の変化のなかで、メディアコンテンツの消費、広告の展開、商品の売り買いの方法や場には、どのような変化があるのでしょうか。メディアや都市文化、その過去/現在の相互関係を紐解きながら、その現在/未来について考えていきたいと思います。

PROFILE|プロフィール
飯田 豊

立命館大学産業社会学部准教授。専門はメディア論、メディア技術史、文化社会学。1979年、広島県生まれ。東京大学大学院 学際情報学府 博士課程 単位取得退学。著書に『テレビが見世物だったころ:初期テレビジョンの考古学』(青弓社、2016年)、共著に『メディア論』(放送大学教育振興会、2018年)、編著に『メディア技術史:デジタル社会の系譜と行方[改訂版]』(北樹出版、2017年)、共編著に『現代文化への社会学:90年代と「いま」を比較する』(北樹出版、2018年)、『現代メディア・イベント論:パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』(勁草書房、2017年)などがある。

歴史から捉える、都市とメディア

メディア技術はいかに社会に実装されるのか

 私はもともと工学部の出身で、ロボット工学を専攻していました。その後、みずから開発することよりも「新しい技術をどうやって社会に実装していったらいいのか」という、いわば社会との合意形成のプロセスを考えるほうに興味を持ち、技術社会学や科学技術社会論なども学び、最終的にメディア論が自分のやりたいことに近いと気づきました。技術と社会の複合体としてメディアが存在しているという視点から、現在は特に、メディアの技術史を手がかりとしたメディア論に取り組んでいます。
 
人文学的なメディア論の特徴のひとつとして、技術決定論に対する批判があります。というのも、新しい技術が社会や人間を変えていくという言い回しが世の中には色々とあります。たとえば10年前にはTwitterが政治を変えると言われ、また最近では、ビッグデータやNFTが経済を変える、AI が仕事を変える、マッチングアプリが恋愛を変えるといった物言いです。メタバースが人間のコミュニケーションを変えるという話も同じでしょう。もっとも、特にデジタル・メディアについて考えるさいには、新しいメディアの「新しさ」を私たちは純粋に知覚することができないのだから、「変える」というからには結局のところ、古いメディアとの比較を避けて通ることができないわけです。
 
私は長年、新しいメディアをめぐる多様な現象を解釈し、分析していますが、そのための補助線はあくまでも歴史的な観点です。目の前で起こっていることだけを近視眼的にとらえるのではなく、過去の事例から学んで今に活かすという思考にもとづいて研究をしています。
これは現在の都市やメディアを理解するうえで、極めて有用な思考法だと思っています。そして、私自身はメディアのコンテンツよりも、それを支える技術の水準に着目しています。
「歴史は同じようには繰り返さないが、しばしば韻を踏む」という言葉があります。マーク・トウェインの言葉とされるが、由来ははっきりしません。新しい技術を開発をする人たちは、その画期性や新規性に着目をするわけですが、メディア技術史に取り組んでいると、そこには反復があることが分かり、まるで螺旋状に技術が発展していっているように見えます。
 
歴史を対象に研究しているといっても、ものすごく古い話ばかりとは限りません。「インターネット元年」と呼ばれた1995年から既に四半世紀が過ぎていて、インターネットも歴史化の対象になっています。

 過去からの切断ではなく、連続性を捉える視点

1995年の「インターネット元年」を皮切りに、インターネット界隈で「〇〇元年」という言い方は他にもいろいろありました。「 VR 元年」、「AR元年」、「AI元年」、「DX元年」 、「NFT元年」とか、挙げていけばきりがないですよね。こういった表現は、関連業界の希望的な観測にもとづく煽り気味の記事のなかで多くなされますが、後から振り返ってみると、歴史に残る画期とは言い難いもののほうが多いのが実態です。
 
「ポケモンGO(Pokémon GO)」がリリースされた2016年は「AR元年」と呼ばれました。しかし、2021年が「AR5年」なのかというと、そういった生活実感はないですよね。その一方で、新たな技術の開発は実際に進んでいて、今度は「メタバース元年」という煽り文句が、コロナ禍における「あつまれ どうぶつの森」、「フォートナイト(Fortnite)」などの人気、そしてFacebookの参入によって登場しました。いずれにしても、「〇〇元年」という表現自体が、既存の技術の積み重ねであったり、社会との折衝の歴史であったり、そうした連続性を無視して、過去からの切断ばかりを強調してしまいます。振り返ってみれば、日本では2008年にiPhoneが発売され、翌年には「セカイカメラ」というアプリがリリースされたことで、2009年も「AR元年」と呼ばれていました。だから「AR元年」は一度ではなかったし、「メタバース元年」は「セカンドライフ(Second Life)」が一世を風靡した2007年にも使われた言葉です。

 利用者や生活者の目線から

 「セカンドライフ」はまだ存続していますが、多くの参入企業が2010年頃までに撤退していて、ある意味では失敗しています。でも、失敗したから考察する価値がないのかというと、そんなことはありません。一時的にではあれ、世界的な社会現象となり、実空間との相互作用という点に関して、その歴史から様々な示唆を得ることができます。「セカイカメラ」が注目されたときにも、その革新性に後押しされるかたちで、「ARの公共圏」といった議論が社会学でも起こりました。それに比べると記憶に新しいと思いますが、日本で「ポケモンGO」がリリースされてからの数ヶ月間には、本当にいろいろなことが起こりました。脇見運転や歩きスマホなどで交通事故が多発したり、不法侵入で捕まる人がいたり、未成年の深夜徘徊や無断外泊なども社会問題化しました。被災地の観光振興に寄与した反面、広島の平和記念公園や長崎の原爆資料館などではポケモンを出現させるべきでないという批判が起こり、実空間の公共性が議論の対象になりました。田舎に行くとポケストップがないという、新たな地域格差も浮き彫りになりましたね。このように一時期は実空間との不調和が目立ちました。様々な企業が参入した「セカンドライフ」に顕著でしたが、現実に存在する資本の偏在、あるいは社会的な格差や不平等がメタバースにいかに影響しているのかを考察するうえでも、歴史的な検証作業は重要です。実際、『仮想空間への招待:メタヴァース入門』(Pヴァイン、2021年)では、多くの方がメタバースの歴史性に言及しています。
 
そんなことは開発者は百も承知で、先行事例の課題をしっかりとリサーチしたうえで新しいサービスを開発していることでしょう。こうした視点は人文学の専売特許ではなく、理工系では「失敗学」「失敗工学」として知られています。といっても失敗学は、社会実装の過程について検証するものではなく、主に設計段階での失敗を教訓とするものですが、「失敗の歴史に学ぶ」というのは重要なエンジニアリングセンスです。
 
その一方で、多くの利用者や生活者は、こういった問題を改めて振り返る機会に乏しく、新しい技術動向に翻弄されてしまいがちです。したがって、利用者や生活者の目線からメディアの技術史を捉え直すことで、都市やメディアとの、より良い関係性を考えていけるのではないかと考えています。

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メディアの現在

「テレビ離れ」から「ネット離れ」へ?

 Fashion Tech Newsの読者の皆さんの多くは、広告やメディアの未来に関心をお持ちだと思いますが、メディア史を踏まえて見通せる中〜長期的な変化と、コロナ禍の影響を秤にかけるのが難しく、まだ着地点が見えないですよね。たとえば、ステイホームにともなってテレビの視聴傾向は大きく変わりましたが、コロナ禍でもスマートフォンの利用は右肩上がりで、モバイルシフトは不可逆に進行しています。

それでも、歴史的な知見を踏まえて言えることがあるとすれば、インターネットに対して醒めた意識を持った若者が、これから顕著に増えていくのではないかということです。

というのも、私は近年「テレビ離れ」の歴史研究に取り組んでいます。「テレビ離れ」というのは、1990年代にインターネットや携帯電話が普及していくなかで、広く使われるようになった言葉であることは間違いないのですが、歴史を遡ってみると、実は1970年代初頭から使われているんです。
たとえば、『朝日ジャーナル』1971年12月10日号には、「「テレビ離れ」の時代」と題された記事が掲載されています。その前月にある中学生グループがおこなった研究発表の内容を紹介しているもので、生徒41名に対する日記式調査によって、テレビをまったく視聴しない日がある生徒が9名いたという結果が、驚きをもって紹介されています。この記事は、60年代を通じてテレビが珍しいものではなくなり、「育成された鑑賞眼」によって「テレビ離れ」が顕著になっているのではないかと分析しています​​。
 
これは、日本でテレビ放送が始まって20年も経っていない頃のことです。要するに、物心ついたときにはすでにテレビ受像機が家にあって、テレビが存在しない時代を知らない世代が初めて登場したということですね、デジタル・ネイティヴならぬ、「テレビ・ネイティヴ」が出現したという話です。このように70年代を通じて、とりわけ余暇活動が多様化している都市部の若者たちのあいだで、「テレビ離れ」が進行しているという指摘が相次ぎました。​​
 
半世紀前のテレビと同じように、今の20代にとっては物心がついた頃から、インターネットが当たり前のように、まるで空気のごとく存在していました。「育成された鑑賞眼」というわけではないですが……2010年代初頭くらいまでは、インターネットが政治や経済のあり方を良い方向に変えるかもしれないという理想主義が信じられていましたが、それ以降はネットの弊害のほうがあらわになっています。「バカッター」といった若者叩きが横行したのは2012〜13年頃のことでした。また、ソーシャルメディアが利用者のつながりをはぐくむばかりでなく、むしろ分断をうながす特性があることを、中学生や高校生の頃からスマートフォンを使いこなす世代は、経験的に知っています。インターネットに対して醒めた意識が醸成されていくことで、新しい文化が生まれる土壌ができてくるのではないかという期待があります。
 
余談ですが、マスメディア=オールドメディア、インターネット=ニューメディアという二項対立的な思考が弱まってくれば、テレビにも挽回の余地があるかもしれませんね。ネット上のハラスメント的な表現にうんざりしている若者も多いはずで、テレビ業界における放送基準やコンプライアンスの徹底は従来、テレビの表現の幅を狭める足枷のごとく捉えられてきましたが、いずれはむしろ強みというか、財産になっていくのではないかという気さえしています。

メディア空間と都市空間の相互浸透

「メディア・イベント」

2017年に『現代メディア・イベント論:パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』(飯田豊・立石祥子編著、勁草書房)という本を、研究仲間とともに作りました。 
 
英語圏で「メディア・イベント」といえば、ダニエル・ダヤーンとエリユ・カッツによる定義が広く知られています(Media Events: The Live Broadcasting of History, Harvard UP, 1992)。とくにふたりは、通常のテレビ放送の編成が変更され、特別枠で伝えられる大規模なイベントが、視聴者のあいだに特別な連帯の感情を媒介することに着目しました。この意味において、アメリカ大統領選挙、オリンピックやスーパーボウルなどが典型的なメディア・イベントといえます。
ところが、都市に遍在するスクリーンから掌中のスマートフォンまで、さまざまな情報メディアに取り囲まれた日常生活が当たり前になっているなかで、テレビの生中継に媒介されたメディア・イベントの価値は一貫して低下してきました。たとえば、日本では昔、芸能人の結婚披露宴をゴールデンタイムに生中継していましたが、ああいったものが国民的関心事ではなくなり、メディア・イベントとして成立する時代ではなくなりました。ぱっと思いつくのはせいぜい、サッカー・ワールドカップくらいですね。
 
「経験経済」や「コト消費」と言われたように、2010年代は、テレビの中継(ライヴ)で何かを共有するのではなく、出来事が起きている現場における生(ライヴ)の集合体験にこそ、大きな価値が見いだされる時代になっていました。私たちはそのような考えを前提として、パブリック・ビューイングやロック・フェスティバル、ゲーム実況イベントなどを分析対象とする研究をおこないました。
3年後に控えた東京オリンピックを念頭に置いていたことも相まって、この本で提起した議論は、日本のメディア研究のなかで、それなりに広く浸透したと考えています。しかしながら、いわゆるウィズコロナ社会ないしアフターコロナ社会においては、その認識枠組みを大きく更新せざるを得ないと考えています。

 メディア・イベントと都市計画

都市のなかで繰り広げられるパブリック・ビューイングが典型的ですが、この研究はメディア論であると同時に、都市論でもありました。当初はサッカーファンが勝手に広場や公園にテレビを置いて、みんなで中継を見て応援するといったかたちで、草の根的かつ自発的におこなわれていたものが、次第に計画的ないし商業的なイベントになり、やがて都市計画とも結びついていきます。2021年の東京オリンピックでは、競技中継のみを楽しむパブリック・ビューイングに加えて、多種多様な催しと組み合わせた「ライブサイト」が計画されていました。こうしたイベントのプランニングが、大規模公園の再整備と結びついていたことは周知のとおりです。
 
このように「メディア・イベント」という視座から、都市空間の変容を照射することもできるのではないかと考えています。とはいえ、 コロナ禍でパブリック・ビューイングだけでなく、様々なイベントがなくなってしまい、焼け野原のような状況になっています。だからこそ、オンラインで展開されているイベントにも目配りしつつ、「経験経済」や「コト消費」といった動向が今後どういうかたちで立ち直ってくるのか、しっかり考えていきたいところですね。

都市やメディアをめぐる想像力の限界

こうした発想は決して新しいものではありません。たとえば、都市をめぐるメディア論的ないし未来論的な想像力の系譜を遡ると、建築家の磯崎新さんが1972年に「空間を情報の系で構成しようとする試み」のひとつとして、《ポスト・ユニバーシティ・パック》という都市計画を発表しています(『建築文化』1972年8月号)。これは後に《コンピュータ・エイデッド・シティ》と改題されるのですが、千葉県の幕張を想定した都市計画です。公共施設や各住戸にコンピュータ端末を行き渡らせ、有線のネットワークと無線の放送で覆い尽くすという壮大な計画で、当時としてはあまりに現実離れしたものでした。1960年代に「見えない都市(インヴィジブル・シティ)」という概念を提唱した磯崎さんは、情報産業が都市の見えない社会基盤を形成しつつあるとして、都市を建築(=ハードウェア)の集合体ではなく、ハプニングやイベントなどの出来事(=ソフトウェア)の集合体として捉えていました。
 
技術の発展に応じて人間の想像力がおのずと拡張されると考えるのではなく、人間の想像力の限界を前提に、こうしてメディア論的想像力の系譜を掘り起こすなかから、現代を生きる私たち自身の認識をアップデートするためのきっかけを探すようにしています。

また、都市でもメディアでもいいんですが、技術が高度化して明らかに新しい現象も起こっているにもかかわらず、それを適切に説明する言葉を私たちは獲得できていないような気がしています。
たとえば、都市やメディアについて語るときに使われる「コミュニティ」という言葉。現実の都市における交流を考えるうえでも、デジタルプラットフォームにおけるコミュニケーションを考えるうえでも頻出する言葉で、双方のつながりや差異を検討するための手がかりのひとつですが、この言葉を使って何かが説明できたような気になってしまって、実は現象の本質を捉えそこねてしまっている、ということがあり得ます。
 
都市社会学者の武岡暢さんが『生き延びる都市:新宿歌舞伎町の社会学』(新曜社、2017年)という本を書かれています。武岡さんは都市空間を社会学的に対象化するにあたって、「地域コミュニティ」という概念はあまりに制約が強く、かつ論点先取的であるといい、これが「地域社会」と互換的に用いられてきたことの弊害を指摘しています。「地域コミュニティ」以外のコミュニティはどこに忘れ去られたのか、そして地域においては「社会」と「コミュニティ」を同一視してよいのかが問題だというわけです。 

メディア論においても、まったく同じことが言えます。コミュニティ・メディア研究の先駆者である田村紀雄さんは、『コミュニティ・メディア論:地域の復権と自立に』(現代ジャーナリズム出版会、1972年)のなかで、「コミュニティー・メディアは、その古い伝統社会にある「地方」ではなく、現代における都市社会のうちに芽生えつつあるコミュニティーを育てる手段にほかならない」と断言しています。後年には移民研究、エスニック・ジャーナリズムの研究に取り組む田村さんにとって、「コミュニティ」が「地域」や「社会」と互換的でないことは明らかです。日本ではまさにこの頃、「コミュニティ」という外来語が、日常的に使われる言葉になっていました。佐藤栄作内閣の「社会開発」路線、そして大都市の人口集中、郊外の宅地開発などによって、新旧住民の対立ないしコミュニケーションの不在が社会問題化しており、地域社会の再構築の必要性が広く認識されるようになっていたわけです。しかし、「コミュニティ・メディア」や「地域メディア」をめぐる理論や実践のなかで、こうした含意は次第に知的関心の中心ではなくなっていきました。
 
都市やメディアを論じるにあたって、こうした概念の射程を丁寧に考えていかないと、いつまでも議論が噛み合わないままになってしまうと思います。

<p><span style="color:#222222">メディア論においても、まったく同じことが言えます。コミュニティ・メディア研究の先駆者である田村紀雄さんは、『コミュニティ・メディア論:地域の復権と自立に』(現代ジャーナリズム出版会、1972年)のなかで、「コミュニティー・メディアは、その古い伝統社会にある「地方」ではなく、現代における都市社会のうちに芽生えつつあるコミュニティーを育てる手段にほかならない」と断言しています。後年には移民研究、エスニック・ジャーナリズムの研究に取り組む田村さんにとって、「コミュニティ」が「地域」や「社会」と互換的でないことは明らかです。日本ではまさにこの頃、「コミュニティ」という外来語が、日常的に使われる言葉になっていました。佐藤栄作内閣の「社会開発」路線、そして大都市の人口集中、郊外の宅地開発などによって、新旧住民の対立ないしコミュニケーションの不在が社会問題化しており、地域社会の再構築の必要性が広く認識されるようになっていたわけです。しかし、「コミュニティ・メディア」や「地域メディア」をめぐる理論や実践のなかで、こうした含意は次第に知的関心の中心ではなくなっていきました。</span><br>&nbsp;<br><span style="color:#222222">都市やメディアを論じるにあたって、こうした概念の射程を丁寧に考えていかないと、いつまでも議論が噛み合わないままになってしまうと思います。</span></p>

過去・現在・未来への視点を架橋して

特集テーマ「都市とメディアの過去/現在/未来

 都市のなかで、あるいはメディアを使って、私たちがどのようなコミュニケーションをおこなっているのかということではなく、その技術基盤に着目することで、都市とメディアの関係性は格段に見通しが良くなります。都市の集まりやにぎわい、メディアの広告やコンテンツが、それぞれ何によって下支えされているのかという観点です。
 
今いちど歴史を振り返れば、19世紀におけるコミュニケーションの発展には、電信と鉄道の敷設が不可分に結びついていて、そもそも1930年代頃までは、通信も交通も引っくるめて「コミュニケーション(communication)」と見なされていました。そして、1980年代中頃の日本では「ネットワーク社会」という言葉が定着しますが、それはこうした近代的インフラの相次ぐ民営化、すなわちNTTとJRの誕生と軌を一にしていました。
いわゆる郊外論やショッピングモール論の隆盛を経て、近年、交通や物流に着目した優れた研究が相次いで登場しています。五十嵐泰正・開沼博責任編集『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』(河出書房新社、2015年)、田中大介編著『ネットワークシティ:現代インフラの社会学』(北樹出版、2017年)などですね。メディア論においても、物質の移動、あるいは交通や物流を、改めてコミュニケーション現象として捉え直そうという動きがあります。この特集ではこうした研究動向を念頭に置いています。
 
こうして歴史に学ぶ一方で、コロナ禍によって都市の風景も、そしてメディアの風景も激変してしまっているなかで、考現学的なアプローチ、つまり今、とりあえず目に見えるものをありのままに記録しておくという考え方も大事になっていると思います。
さらに、コロナ禍によって激変した都市の風景・メディアの風景に目が奪われがちだからこそ、バックキャスト的な思考にもとづいて、20〜30年後の未来を起点に議論を深めることもできたらいいなと思います。

今回、どのような声を集めたか

ライター・編集者の速水健朗さんは、改めてご紹介するまでもなく、日本における郊外論やショッピングモール論の先駆者のひとりです。都市論やメディア論がご専門で、とりわけ、ドラマや映画のなかで東京がどのように描かれてきたか、いつも鋭い分析を展開されている一方で、「ショッピングモーライゼーション」や「デフレカルチャー」といった独自の概念にもとづいて、政治や経済の動向なども視野に入れ、都市とメディアの変容をめぐる社会的背景や歴史的背景を大胆に考察されています。一読者としてファンであり、長年にわたって速水さんのお仕事から刺激を受けてきました。​​2010年代以降、『東京β:更新され続ける都市の物語』(筑摩書房、2016年)、『東京どこに住む?:住所格差と人生格差』(朝日選書、2016年)といった本を書かれていますので、コロナ禍における都市の風景、メディアの風景が、速水さんの目にはどのように映っているのか、率直に伺ってみたいと思っていました。
 
『WEBアクロス』編集長の高野公三子さんは、つい最近、『ストリートファッション 1980―2020: 定点観測40年の記録』(PARCO出版、2021年)を刊行されました。東京の若者とファッションを長年にわたって観察・分析する「定点観測」は、今和次郎たちが1920年代に始めた考現学の方法論を採用しています。考現学は関東大震災の直後に誕生した学問です。東京が焼け野原になった状況で、人びとの暮らしが、より具体的には人とモノとの関係が、どのように変わってきたかを、ありのままに描写しました。東日本大震災が起こったときにも、被災地フィールドワークの方法論として注目され、災後にこそ活きる学問といえるかもしれません。都市やメディアの風景を一変させたコロナ禍も歴史的災害であり、その変化を具体的に記述する方法のひとつとして、考現学や定点観測という手法には大きな可能性があると考えていますので、そのあたりも含めて、お話しができればと思います。
 
弁護士の水野祐さんは、「リーガルデザイン(法のデザイン)」という考え方を提唱し、法律家としてITやまちづくりなどの分野で幅広く活躍されていることから、都市やメディアに対して深い洞察力をお持ちです。その一方、メディア史にも造詣が深い方ですので、多様な観点からお話しができればと思っています。
 
「身体性メディア」という視座からサイバネティック・アバターの開発などに取り組む南澤孝太さんは、現在すでに普及しつつあるメタバースやアバター技術の次の段階を模索されていて、単に仮想空間における分身ということではなく、身体を拡張する技術としての可能性を追究されています。たとえば、身体障がい者をはじめ、都市生活に不便を強いられている人の身体性を拡張するような技術開発にも取り組まれています。
 
水野さん、南澤さんとは2018年、「日本的Well-being」研究会にゲストとしてお招きいただいたさいにご一緒して以来です。正確には「日本的Well-being を促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」というプロジェクトです。SNSやAIといった情報技術の普及が、必ずしも人間の「ウェルビーイング(精神的に良い状態)」に寄与しないという懸念があるなかで、これを欧米由来の概念として捉えるのではなく、日本的な文脈で「ウェルビーイング」を考えていきましょうという取り組みでした。
 
こうした考え方は、2020年代の都市やメディアのアーキテクチャを考えていくうえで、ますます注目されていくと確信しています。ドミニク・チェンさんが2020年、21_21 DESIGN SIGHT で「トランスレーションズ展: 「わかりあえなさ」をわかりあおう」を手がけられて、さらに2021年は水野さんたちが企画した「ルール?展」が話題になりました。2025年に開催される大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、サブテーマのひとつは「多様で心身ともに健康な生き方」ですから、技術開発と結びついたウェルビーイングの視座は、その重要な構成要素になってくることでしょう。

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Photo by Teruaki Tsukahara

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