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2023.02.23

【水野大二郎×番匠カンナ×中村健太郎】「建築の視点から、VRが持つ可能性について考える」

京都工芸繊維大学未来デザイン・工学機構教授の水野大二郎氏とお届けする特集企画「ファッションデザインとテクノロジー」。第4回は「建築とVR」をテーマに、バーチャル建築家の番匠カンナさんと、プログラマーで翻訳家の中村健太郎さんとの鼎談をお届けします。

それぞれ、建築学をバックボーンに持つお二人は、インターネット上でさまざまな人のインタラクションが生まれている現在、特にVR空間について、どのように考えているのでしょうか。またそこで注目している事象とは。お二人それぞれの観点からお話しいただきました。

PROFILE|プロフィール
水野 大二郎(みずの だいじろう)
水野 大二郎(みずの だいじろう)

1979年生まれ。京都工芸繊維大学未来デザイン・工学機構教授、慶應義塾大学大学院特別招聘教授。ロイヤルカレッジ・オブ・アート博士課程後期修了、芸術博士(ファッションデザイン)。デザインと社会を架橋する実践的研究と批評を行う。

近著に『サステナブル・ファッション: ありうるかもしれない未来』。その他に、『サーキューラー・デザイン』『クリティカルワード・ファッションスタディーズ』『インクルーシブデザイン』『リアル・アノニマスデザイン』(いずれも共著)、編著に『vanitas』など。

PROFILE|プロフィール
番匠カンナ(ばんじょう かんな)
番匠カンナ(ばんじょう かんな)

idiomorph主宰, 株式会社ambr CXO

「いまないところに空間を生む」というコンセプトのもと、リアルとバーチャルの境界線に全く新しい空間を創造する。

東京大学工学部建築学科卒業、同大学院建築学専攻修了、隈研吾建築都市設計事務所勤務を経て、主にXR事業デザインコンサルティング、VR体験ディレクション、VR空間設計を行う。ambr CXOとして「TOKYO GAME SHOW VR」ディレクション等、idiomorphとして「PARALLEL SITE」コンセプト設計、「バーチャルマーケット」会場ディレクション・制作、XRと建築に関する公演・登壇などを積極的に行う。

PROFILE|プロフィール
中村 健太郎(なかむら けんたろう)
中村 健太郎(なかむら けんたろう)

翻訳家・プログラマ・科学者

1993年大阪府生まれ和歌山県育ち。情報技術とデザイン・建築・都市の関係に関心。2016年慶應義塾大学SFC卒業後、NPO法人モクチン企画(現CHAr)ソフトウェアエンジニア、東京大学建築学専攻学術専門職員を経て、現在東京大学情報学環在学中。共訳書に『スマート・イナフ・シティ──テクノロジーは都市の未来を取り戻すために』(2022, 人文書院)。

情報環境が、私たちにどういう変化と影響を与えているのか

水野

今回、「ファッションデザインとテクノロジー」をテーマにいろんな方にお話を伺っていますが、やはり人工環境、空間の問題について触れないわけにはいきません。そこで、専門としても近接する「建築」からの視点を盛り込みたく、この鼎談の場を設けました。

コロナ禍以前から、そもそもVR、AR環境が発達していく過程において新しい人と人、人と機械とのインタラクションが発生してきたと思います。

これについてはファッション産業に関わる社会人よりも、ティーンエイジャーが敏感に察知しているように感じています。たとえば小学生同士がオープンワールドに集まって、YouTuberなどを参照しながら『マインクラフト』で巨大建築を共同で作ることが日常化するなど、かなり若年層からこのような傾向は見られるだろうと思います。

ファッション産業では、Decentraland(ディセントラランド)に店舗を設けてNFTやデジタルファッションを販売することや、Roblox(ロブロックス)上でファッションブランドが展示会を開くことも、コロナ禍で加速してきました。

水野

また、ウェアラブル・テクノロジーを介した都市での体験が、よりユビキタスなものになってきていることも見過ごせません。

2000年代初頭では「iモード」を介して、待ち合わせ場所や時間を事前決定することなく、集団が流動的に街を使いこなす「スマートモブズ」が注目されましたが、2010年〜2020年代はより多様なユビキタス・コンピューティングを前提とした都市の歩き方が一般化しています。

それを助長したのがスマホ内の多様なセンサーをはじめ、常に我々を記録、分析、予測、推奨する一連のデバイスなのかもしれません。

そこで、今日はファッションそれ自体の話というよりも、ファッションを取りまくインターネット、あるいは仮想的な環境を含む情報環境が、私たちにどういう変化と影響を与えているのかについて、お話を伺いたいと思います。

それではまず、読者に向けて自己紹介をお願いします。

番匠

バーチャル建築家の番匠カンナと申します。私はもともと隈研吾の建築事務所に7〜8年いたのち、2018年からバーチャルな世界に興味を持って、それに関連する仕事を中心に手掛けるようになりました。

最初はバーチャル空間の設計、制作などの仕事でしたが、もっと根源的なところでVRやARなどのXR技術がどう世の中に役に立つのかを追求したいと思い、さまざまな企業と仕事をしています。

また、株式会社ambrのCXO(Chief Experience Officer)にもなっていまして、具体的には、一昨年と昨年の「TOKYO GAME SHOW VR」等のディレクターとしてイベントを作っています。よろしくお願いします。

中村

プログラマーで、翻訳家の中村健太郎と申します。学部時代には、アルゴリズミック・デザインやコンピューテーショナルデザインを建築学の中で学んでいました。要するに、デジタル技術を使った建築設計や、施工の最適化や自動化、デジタル技術による表現の拡張に関する建築理論を学んでいました。

その後、NPO法人モクチン企画(現NPO法人CHAr)でウェブエンジニアとして働き、東京大学工学部建築学専攻学術専門職員を経て、さらに現在は東京大学大学院 情報学環・学際情報学府に在籍して研究をしております。

情報技術とデザイン・建築・都市の関係に興味があり、昨年の8月にはベン・グリーンの『スマート・イナフ・シティ』という本を学部時代の先輩にあたる酒井康史さんと翻訳しました。テクノロジーが都市、そしてそこで生きる人々に、どのような選択を迫ってゆくのかを考えながら訳したものです。今日はよろしくお願いいたします。

スマートシティにおけるスマートデバイスの利活用に関するメリット・デメリット

水野

よろしくお願いします。

さて、ユビキタス・コンピュータやウェアラブル・テクノロジーなどはスマートデバイスを通して「人間をセンサー・アクチュエータ化する」こととも考えられますが、これはスマートシティにおいても、VR環境との連動においても、両方で見られることでしょう。

まずはスマートシティにおけるスマートデバイスの利活用に関するメリット・デメリットには、現在どのような点があるのか伺いたいと思います。中村さん、いかがでしょうか。

中村

個人的には、ポジティブな発想でいけば、ウェアラブル・テクノロジーとよばれるものによって、心身から得られる情報が増えることにより、私たち自身が世界を写し取るある種の「センサー」である、というような再帰的な認識が広がれば面白いのではないか、などと考えることはあります。

つまり、われわれの身体を通じて、世界をよりセンシングしたり、豊かに深めていけたりすることが可能なのではないか、ということです。スマートシティにおいても、そのような切り口がポジティブな可能性のひとつになりうるのではないかと考えています。たとえばヘルスケアサービスというものを都市とのインタラクションを含めて考える、といったアイデアは面白そうです。

ただ、「ポジティブな発想」を先に述べたのは、単にその発想をそのまま実現することが非常に難しいからです。逆に言えば、それを一発で「管理社会」と解釈させるようなネガティブな発想に関しては、いくらでも言えるやろな、というようなことですね(笑)。

水野

ネガティブな側面について読者にわかりやすく伝えるとした場合、何があげられますか?

中村

これは『スマート・イナフ・シティ』に出てくる話なのですが、たとえばニューヨーク市が取り組んでいる「Link NYC」というプロジェクトがあります。

ニューヨークの街中には公衆電話ぐらいのサイズの情報端末が立っていて、充電ポートや地図などが付属しているだけでなく、Wi-Fiも無料で繋げられるようになっているそうです。

もともとニューヨークには、インターネットにアクセスするための通信量を支払うことができない人々が存在するという、リテラルなデジタルディバイドの問題があったそうで、Link NYCの大義名分にはその解決というストーリーが組み込まれています。普通に考えると非常に高額な公的支出が必要になるところなのですが、グリーンによれば、実はLink NYCに、ニューヨーク市は一銭も支払っていないそうなんです。

どういう仕組みになっているかというと、無料Wi-Fiで集めたW接続ログを組み合わせて端末を識別し、これを元に、ユーザーに対するターゲティング広告を作っているとのことです。運営しているのはGoogleの子会社であるサイドウォーク・ラボ社で、広告費によって投資を回収している。つまりグリーンは、ある種の「貧困ビジネス」だと解釈できる、と言いたいのかなと思います。

ここで何が起きるのかというと、それは「格差の自動化」だと言って良いかと思います。経済的に困窮している人々ほど「無料Wi-Fi」に(仕事を得たり、公的手続きを行ったりするために)やむを得ず接続し、個人に直接的/間接的に関わるデータを収集され、高度なデジタルマーケティングの標的になってしまう。

その一方で、携帯会社に直接料金を支払える(相対的に)豊かな人々は、単に無料Wi-Fiに繋がなくてよいということによって、自らの情報を守り、相対的にターゲティングされにくくなるという社会的変化が、電力によって駆動されるのです。

こうした話は、スマートシティとの関係におけるネガティブな事例のひとつだと思います。そしてこのような話は無数にあります。

photos by Ryo Yoshiya
photos by Ryo Yoshiya
水野

なるほど。今の中村さんの話のように特定の企業がメリットになるなど、VR環境へのアクセシビリティを担保するにあたって、何か課題はあるのでしょうか。番匠さん、いかがでしょうか。

番匠

むしろ、今はまだデバイスの面で発展途上なので、誰もが使うものになっていないことが、そもそもの課題だと言えますね。このままでは一般にまで流行するに至らないと思っています。

金額的な面でも、使いやすさの上でも、まだまだですね。もちろん、ある程度は時間が解決していくことではあるのですが。

VR環境と公共性

水野

以前、どのヘッドマウントディスプレイを導入するかを大学で検討する機会があって、pico、VIVE、Meta Quest 2 pro、はたまたPlayStation VR2なのか議論をしました。

そこで感じたのは、それぞれに紐づく開発環境があり、選ぶデバイス=どの世界に入りたいのか、という問題と繋がらざるを得ない、という点でした。番匠さんとしては、現時点ではどのデバイスに、より高い公共性があると感じていますか。

番匠

難しい問題ですが、まずデバイスの話で言うと、確かに開発の観点で、アイトラッキングの機能があるのかとか、足まで認識できるのかとか、そうした要素がかなり大きく世界観に関わると思いますね。

ただ少し話がずれますが、デバイスとは関係なく、プラットフォーム的なところで言うと、やっぱりVRチャットは非常に民主的というか、公平なものだと思います。そこには、なんら事前にコンテンツもなければ誘導もなく、単に開発環境をみんなにオープンに与えて、さらに発表の場を与えているという意味で、初期のニコニコ動画に近いと思います。

その一方で、公共の概念から言うと、NFT系とかWeb3系の土地を売るモデルみたいなものの大半は、すぐに死んでいくと思います。

水野

そうなんですか! なぜ死んでしまうのでしょうか。

番匠

インターネットは土地とか距離の概念がないのに、その概念を持ち込んでいることが、そもそも矛盾しているんです。「隣のウェブサイトまでの距離感が近いから価値が高い」なんていう話はないですよね。

それなのに、無理やり現実の土地という概念を持ち込んで、平たく言うと、残念ながら多くのパターンにおいて、詐欺に使っているだけなので、うまくいくはずがないんです。

だから今、土地の価値をどうやって担保するかについて議論されていて、ひとつは土地を買った人にコンテンツ制作をする許可を与えるというものがあります。

しかし、YouTubeがそういうことしていましたかって言うと、誰でもコンテンツを作れますよね。高いお金を払わないとクリエイティブなことができないというのは、プラットフォームとしてそもそも成立してないことに、みんながいずれ気付くはずです。

それから、私は建築家にも警鐘を鳴らしているんですけど、土地という概念を使って「隣に隈研吾の建物を建てます。だから隣の土地は高くなります。さあ、急いで買いましょう」みたいな話に利用されるケースもあります。こういうことを平気で言うNFT系のメタバース公式アカウントがSNSにあるんですけど、おかしいですよね。

公共に資するものは、もっと公平なものですし、インターネット空間と矛盾のないものですし、そちらの方が正しく望ましいわけです。

水野

面白い議論ですね。インターネットの公平性と、都市や土地における有限のモノの希少性の相性が良くないということかと思います。

ところで、番匠さんはこれまで多数のVR建築を設計されてきましたが、そこでは従来の物理的な建築物とは異なる、人と人とのどのようなインタラクションが生まれてきたと見ていますか。

現実の空間とVR空間では何が違うのか

番匠

結局、現実の空間とVR空間を比べて何が一番変わったか、新しいか、というと「特定の目的のための空間が存在できるようになったこと」だと思っています。

たとえば、「AさんがBさんに告白するためだけの空間」は、基本的に現実では作れません。それを作るための経済的な理由、論理がないので存在しえない。石油王なら作れるかもしれないですけどね(笑)。

それが非常にローコストに、また1人で作れることは、よく考えると、人類史上一度もなかったことだと思います。現実の建築は、50年使うとか、不特定多数の人が使う箱である必要があるので、特定の目的のためだけには作れない。それが一番面白いところだと思います。

水野

超特定的な目的、出会いのためだけに建築が設計され、使用されるという現象がVR環境上で起きているというご指摘ですが、中村さんはVR環境上の対人インタラクションという観点から何か変化を感じていますか?

中村

私もVR系のコミュニティで活躍している友人に「結局VRの何が面白いんですか」と聞いてみたことがあるのですが、やはり「コミュニケーションのメディウムとして空間が使われている」ことが面白いとのことでした。

そのうえで、「特定の目的のための空間によるコミュニケーション」が、史上初めての現象かと言えば、そこには検討の余地があると思います。たとえば、鳥は求愛のために巣を作りますし、もっと言えば、皇帝が亡くなった妃のために建てたタージ・マハルのような事例もあります。

ただ、それがすごく「民主化」されてきている。これは文字通りの民主化ではなく、単に権力者とよばれるごく少数の人々にしかできなかったことが、機材と知識へのアクセスさえあればできるようになり、そのように振る舞える人々の母数が増えたという意味です。それらが非常にワクワクする現象である、またはワクワクしている人が増えているというのは、僕もすごく理解できます。

VR空間は「格差をキャンセル」できるのか

水野

VR環境、オープンワールド、メイカームーブメントが合体した感じはすごく面白いことですよね。

一方、現実の都市においてはジェンダーやエスニシティ、あるいはインターセクショナリティなどの理由から都市の遊びは実は制約されているのではないか、都市とはさほど公平ではないのではないか、という指摘もあります。

そのような観点を踏まえると、仮にVR建築が民主化したとしても、そこにすら到達し得ないような人、あるいは何らかの社会的要因で阻害される人もいると思うのですが、いかがお考えでしょうか。

中村

ちょうど『スマート・イナフ・シティ』と同時期に出版された『フェミニスト・シティ』という本の中で「フラヌール(遊歩者)」という概念は極めて白人男性中心的な概念だ、という話題が出てきます。「女性は都市においてフラヌールにはなれない」というような言い回しが出てくるのです。

フラヌールとは、ヴァルター・ベンヤミンが19世紀のパリから見出した概念だそうで、非常に乱暴に要約すれば、「目的を持たずに都市空間をさまよう人々」のことです。詳細は僕も専門ではないため省きますが、フラヌールは、近代都市を理解する上で重要なキーワードのひとつになりうるでしょう。

ではなぜ「女性は都市においてフラヌールにはなれない」と言えるのか。端的に言えば、それは単に、都市空間においては、女性のように見える人々が、男性として振る舞える人々から、恒常的に声をかけられたり、場合によってはストーキングされたりする可能性に常にさらされていると言えるからです。

「完全に匿名な存在」というアイデア自体、そもそも他人の目を無視することができる、特権的な身体(ただちに男性を意味するわけではありません)からしか沸いてこない発想だということなのだと、解釈しています。

同書では、「黒人もフラヌールにはなれない」というような趣旨の指摘も登場します。特にアフリカン・アメリカンたちは、もし警察に目をつけられてしまうと、その5分後、どうなるかがまったくわからない。彼らは、原理的に「都市でリラックスすることはできない」そうなのです。正直なところ、僕はそれを自分の身体で経験したことはほとんどありません。しかし、そのような人々がいるということを理解することはできると思っています。

であるならば、情報空間で「彼ら」がアバターを使って遊歩するときに、そういった格差をキャンセルして楽しめる空間になるということであれば、それはインターネットにおける公平さ、公共性の話にも繋がっていくと思います。僕ではありません。「彼ら」が、本当の意味で都市空間の自由を享受するテクノロジーになりうるのではないか、ということです。

弱い立場にいる人たちが、外見に対して即座に起きるマイクロアグレッション(相手を差別したり、傷つけたりする意図がないのに、相手にそう感じさせてしまう言動)や、差別的な眼差しを全てキャンセルした上で、比較的安全に公平さや公共を享受することができるとすれば、それは極めて重要な特性であるし、それをきちんと「価値付け」すべきではないかと思いました。

水野

気づかないうちにフラヌールすら難しくなっている人たちが、アバターによって社会属性や見た目から1回キャンセルされ、公平な存在といいますか、匿名的な存在といいますか、になれる可能性を中村さんはVR環境に見ているんですね。

ではVR環境におけるわれわれの装い、という観点から考えると、現実世界のように場所や機会に応じて我々はアバターを着替えることはあるのでしょうか。

「誰に何の体験をさせるか」が重要

番匠

多くの場合は、現実と同じように頻繁に着替えてはいませんね。その理由として、たとえばVTuberやアニメのキャラクターは、服と髪型込みでアイデンティティを持っています。

つまり、黒髪ストレートのVTuberが金髪ツインテールにした場合、もう別人になってしまうんですよね。本質的にはそれも込みのビジュアルになっているので、着替えるモチベーションがあまりないんです。

そういう意味で、私も服を着替えないんですよ。最初にこのアバターを作ってからは、1度、金髪を黒髪にしたくらいです。

それと、現状はそもそも仕組みとして気軽に着替えることができないので、それをする場合は自分でBlenderやUnityで調整する必要があって非常に面倒なんですね。これが一般的なゲームのように装備品を変える程度になれば、また変わるかもしれません。

他にも、「ZEPETO」のようにインスタと親和性が高いアバターであれば、いろんなブランドが展開しているデジタルファッションを購入し、着替えてアップする使い方もされているので、プラットフォームやユーザーの自己投影度による違いもあると思います。

こうした議論を踏まえたうえで、建築の観点からバーチャル空間の体験を設計する際に面白いところは、空間デザインだけじゃなくて、体験デザインになるので、アバターも設計対象になることなんです。

その空間に来た人がどういうアバターとなるか、その行動も設計対象にできるので「この空間ではみんな1ピクセルの点になってピョンピョンと飛びはねてください」ということもできるんです。

水野

もはや、特定の場のユーザーエクスペリエンスを向上させるためだけに、アバターとしての参加者を強制的に非人間に変えることすら設計できる、ということですね。

建築物、あるいは空間デザインは「人間のための様式」から解き放されて、何にでも表象され、行動も制御される元人間(エージェント)のための体験デザインになるってことですよね。

番匠

そうですね。基本的に、そこでは「誰に何の体験をさせるか」が、根本的に重要になるんです。現実の建築であれば、土地があって景観があって、そこに物理的制約、法的制約があるんですけど、そういうものは一切ないので、何を手がかりにするかというと、そこで誰が何の体験をするかを定義付けるところから始めます。

たとえば、音楽ライブで、みんなその空間に入ったら自動的に特定のファッションに着替えさせてしまい、サビのめちゃくちゃ盛り上がった瞬間にアバターの体をバラバラに破裂させてしまう、みたいなこともできます。

それにより、かつてない体験を作れる可能性があって、自分の身体がボロボロ剥がれていく、といった演出もできるわけです。ちなみにVRChatは非常に先進的な場で、すでに多くのユーザー自身がそういったトライアルを繰り返しています。

水野

ある空間で起きるユーザーエクスペリエンスに特化して、空間を検討することになるんですね。それはもはや番匠さんがかつて勉強されていた、いわゆる建築の設計理論や方法論などを大幅に見直さないと実践できないのではないか、と感じます。

VR特有の設計のありよう、人と人とのインタラクションをどう新しい建築設計の対象としてとらえるかを検討しなきゃいけなくなるのかなと思いますが、いかがお考えでしょうか。

番匠

VR建築をやっているうちに、それが少しずつ見えてきましたね。VR建築は早く作れる分、消費も早いと言えます。告白するためだけの空間は一瞬使って終わりですしね。やっぱり体験、主観の体験がすべてになってきてしまうところがあります。

ものづくりとしては、インテリアデザインやインスタレーションにかなり近い気がします。もちろん、それがすべてではなく、普通に居酒屋みたいなVR建築を作って、ずっと同じ場所で毎週同じ人が飲んでいるとか、そういう空間もありますけれど。

VR空間における言語的な国境は存在しているのか

水野

VR環境上には国境はないと思いますが、それでも国(居酒屋がある文化など)に紐づいているんでしょうか。

中村

それについては、ぜひ私も伺いたいですね。たとえば、インターネットにおいては、日本語という言語の壁が、ある種の国境になっているという話を聞いたことがあります。英語中心のインターネットとは根本的に違うということであれば、面白いことです。

その意味で、番匠さんから見て、VR空間における言語的な国境は存在しているのか、聞いてみたいです。

番匠

現時点では、完全に言語の壁があります。やはりインターネットは、最初に距離の壁を壊して、VRの登場で次はアバターが身体的な壁を壊して、ようやくその次に壊れるのが、言語の壁です。そこでさらに大きく飛躍すると思っています。

ただ、さまざまな壁がなくなっていくというのをグローバル・均質化の方向ととらえるより、境界を越えた小さな共同体が立ち上がる方向で見ています。UGCの世界が持つ公共性ですね。自分たちで場を作って運営して、自分たちのカルチャーを共有する少人数のハンドリングできる共同体を作る際に、VRの登場により3次元空間も扱えるようになったので、行政の手が入らない「マイクロ公共スペース」にポジティブな可能性を感じています。

マイクロ公共スペースは、アクセシビリティの意味ではクローズドになりがちですが、たとえば同じものをかっこいいと感じているクリエイターたちが自分たちの「VRクラブ」を作って、自分たちでルールを決めて、もう何年も運営して、自治しているケースが生まれてきているのが、面白いと思っています。

中村

今のお話を伺っていて、思い出したことなのですが。SNSがたくさんあるなかで、最近一番面白いなと思っているのがDiscordなんです。Discordには、管理者権限が詳細に決められるという特徴があります。

私も自分で運営したり参加したりしているんですが、管理者側で何ができるのかというと、書き込みのルールなどをすごく細かく設定して、コミュニティ運営できるのです(たとえば自分の経験では、特定のグループに所属しているユーザーは書き込みごとに1分間のインターバルをとらなければならない、というような設定が可能でした)。その点は、たとえばFacebookのグループ機能よりも、良くも悪くもかなり進んでいるという風に見えます。

いま、番匠さんがおっしゃった自分たちで自治をする人が出てきたという話は、つまり、そのような役割を担う機会がそこにあること自体に意味がある、と言うことができるのかなと思います。そして僕はDiscordについては、それ自体がDiscordの社会的効果だと考えている、というわけです。

Discordの登場とともに、自分たちのコミュニティを自分たちで守り育てていくことを、管理者という役割を通して、みんな経験しやすくなっているのではないでしょうか。それはある種、国王になる経験の「民主化」であり、これまで行政組織がやってきたことの自動化だと言えそうです。

『スマート・イナフ・シティ』で想定されているのは、既存の自治体が、既存の権力をどうデジタルに適用させていくかという話ですが、逆にVRやインターネットの側から、すでに自分たちを統治していく経験が開かれていることは、すごく新しい経験であり、SNSの(良い、あるいは悪い)可能性としても非常に興味深いと思います。

水野

それは素晴らしい指摘ですね。何よりも重要なのは、国を単位とした世界の中ですら(場合によっては脱法的に)無数に存在するいろいろなファンダムがあり、それが時によっては超小規模の集会を開催するなどして新しい文化を創出してきたわけですが、そのままVR環境にも移行してきたと見ることもできますね。

さらに、中村さんの指摘の通りDiscordの管理者権限は階層があることから明らかなように、自治・自律的組織運営がソーシャルメディア上でかなり進化していて、行政官の役割を自分で担えるようになってきたわけです。

するとリーダーシップがあるのに発揮できなかった人、管理者になることを社会的に阻害されてきたような人も管理権限を有することが可能となり、それによって新しいコミュニティの文化が作られていくかもしれない。宇川直宏さんなどがDOMMUNEやUstreamで描いていたような超個性的なコミュニティや、音楽やファッションなどを含む芸術文化全般が、VR環境上で一気に加速するかもしれない、ということですね。

国境の話というよりも自治・自律的コミュニティを介して新しい芸術文化が創発される環境が、実はVRにあるのではないか。それが言語のバリアが解けたときに爆発するのではないか。そうした可能性に関する指摘をいただいたことで、VR環境におけるファッションのこれからの展望が理解できました。ありがとうございました。

トップ画像:VRChat上に複数人でつくりあげた原子核物理学のワールド、「立体核図表VR」(番匠カンナ)
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