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2023.02.28

【水野大二郎×井上彩花】「ファッションの未来に関する報告書」を踏まえて、日本のこれからを考える

京都工芸繊維大学未来デザイン・工学機構教授の水野大二郎氏とお届けする特集企画「ファッションデザインとテクノロジー」。最終回となる第5回は経済産業省ファッション政策室の井上彩花さんを迎えた対談をお届けします。
 
経産省は2021年11〜12月、34人の有識者を集めて「これからのファッションを考える研究会 ~ファッション未来研究会~」(座長・水野大二郎)を開催するとともに、この研究会の内容を2022年に「ファッションの未来に関する報告書」としてホームページ上に公開。ファッション業界関係者を中心に、大きな反響を呼びました。
 
井上さんは、この研究会の事務局の取りまとめを担当し、現在はパリでラグジュアリービジネスを学んでいます。そこで今回、報告書の意義から、フランスにおけるファッションテクノロジーに関する動向、今後の日本が目指す方向性までお話しいただきました。

PROFILE|プロフィール
水野大二郎(みずの だいじろう)
水野大二郎(みずの だいじろう)

1979年生まれ。京都工芸繊維大学未来デザイン・工学機構教授、慶應義塾大学大学院特別招聘教授。ロイヤルカレッジ・オブ・アート博士課程後期修了、芸術博士(ファッションデザイン)。デザインと社会を架橋する実践的研究と批評を行う。

近著に『サステナブル・ファッション: ありうるかもしれない未来』。その他に、『サーキューラー・デザイン』『クリティカルワード・ファッションスタディーズ』『インクルーシブデザイン』『リアル・アノニマスデザイン』(いずれも共著)、編著に『vanitas』など。

PROFILE|プロフィール
井上 彩花(いのうえ あやか)
井上 彩花(いのうえ あやか)

経済産業省商務サービスグループ クールジャパン政策課ファッション政策室係長

慶應義塾大学経済学部卒業後、2016年に経済産業省に入省。貿易経済協力局貿易管理部安全保障貿易管理政策課、通商政策局通商政策局総務課を経て、2019年4月からファッション政策室、クールジャパン政策課。2022年8月から、フランスのビジネススクールにてラグジュアリーブランドマネジメントを学ぶ。

研究会によって得られた、3つの大きな示唆

水野

特集の最後は、経産省の立場から「ファッションテクノロジー」に関するお話をお伺いできればと思いまして、井上彩花さんをお迎えしました。

そして、井上さんが現在パリのビジネススクールに留学中とのことで、今回の報告書の意義から、井上さんがパリで何を学び、またそこではファッションテクノロジーに関してどんなトピックが議論されているのか、それを踏まえた経産省としての方向性についても、伺えればと思っています。

それでは最初に、報告書の意義について改めて振り返っていただけますでしょうか。

井上

よろしくお願いします。経済産業省商務サービスグループ クールジャパン政策課ファッション政策室係長の井上彩花と申します。

経済産業省では、ファッションビジネスを取り巻く環境が国内外において大きく変化している状況を踏まえて、これからの日本のファッションビジネスをどのように描いていくかを議論するための場として、水野先生を座長に、2021年11〜12月に「これからのファッションを考える研究会〜ファッション未来研究会〜」を開催しました。議論の内容は報告書としてとりまとめ、経済産業省のホームページで公表しています。

研究会によって、大きく3つの示唆が得られたと考えています。

1つ目が、今後、消費頻度を抑制しても、作り手が稼げる産業に転換していくことが重要だという点です。長く着られるものを作り、製品寿命を伸ばしていくことは、ともすると、販売数量の減少につながる可能性があります。

そうした中でも企業が稼げる仕組みを考えることが必要だという指摘です。サステナビリティに配慮した事業構造に変化しながらも稼いでいく方法を考えることが、経産省としても重要なミッションです。

たとえば、リセール取引の市場が拡大していますが、取引額の一部を作り手に還元する仕組みができれば、長く着られるものを作ることへのインセンティブになり、また、消費者にとっても、自分自身がそのサプライチェーンに入っている、という共通認識を醸成することにつながるのではないでしょうか。

「作って、売って、終わり」ではなくて、その後も関わり続けていく関係性、作り手と消費者がともに責任を持ち続け、収益を受けられる新しい取引ルールを提案することが重要ではないかという指摘がありました。

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井上

2つ目は、「突き抜けた個性」と日本の地域の強みを掛け合わせて海外需要を獲得していくということです。

日本には、ファッション分野においても、海外で活躍されているたくさんのデザイナーがいます。同時に、長い歴史の中で積み重ねてきた伝統を背景に、多くの伝統工芸や伝統技術があります。

ところが、ファッションデザイナーをはじめとするクリエイターの中には、名前が広く認知されているような場合でも、小規模な事業活動であるために、活躍の場を広げるための資金や経営基盤が整っていない、といったケースがあると指摘されました。

また、伝統工芸や伝統技術については、人口減少に伴って国内需要が減少傾向にある中、若手の担い手を育成しても、その人材を抱えられるほどの収入が得られず、廃業せざるを得ない、といったケースも起こっているそうです。

このような課題を踏まえ、「突き抜けた個性」と日本の地域の強みを掛け合わせて海外へのビジネス展開を進めていくという視点が重要だと指摘されました。

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井上

そして3つ目が、今回のテーマにも関連する、デジタルファッション市場における異業種との連携です。

たとえば、世界的にも競争力を有する日本のゲーム産業と連携して、モデリング技術を持った人材にファッション業界へ入ってきてもらう。

逆に、ゲーム産業がファッション性の高いアイテムを作るときに、ファッション業界の人材が知見を提供してクオリティを高めるなど、両者の連携によってより高い付加価値を生み出していくことが重要だという指摘がありました。

また、特に若年層の方は、友人とのコミュニケーションなど、デジタル環境で過ごす時間が長くなっていると言われています。消費者のデジタル環境に対する価値観が大きく変わってきていることが、今後どのような変化をもたらすのかについても議論がなされました。

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水野

ありがとうございます。

3つ目に関して言うと、現段階では、国内のデジタルファッションにおいては、ごく少数のファッションデザイナーがNFTコレクションを発表するなど、メタトーキョーなどの活動は認められますが、プラットフォーム自体の認知度もまだ低くファッション産業での大きなムーブメントには至っていない印象です。

従って研究会では「人々がメタバースに完全移行する」といった議論ではなく、バーチャル試着や、現実に販売中の商品を仮想環境で体験してもらい購入に結びつける「支援策」の話が中心だったかと思います。

さて、具体的なテーマをお話しする前に、井上さんは、今パリのビジネススクールでラグジュアリーファッションのビジネスマネジメントを専門的に学んでいるとのことですが、その理由について、お話しいただけますでしょうか。

井上

クールジャパン政策課においては、日本の有する魅力をどのように海外に発信し、海外需要を獲得していくか、ということが日常的に議論されています。

その上で、今回の研究会を通じて、水野先生をはじめ多くの有識者のお話を伺う中で、日本のたくさんの素晴らしい人やモノ、技術、その価値を伝えていくということにより強い使命感を覚えるようになりました。

研究会では「ラグジュアリー」についても議論が行われましたが、ラグジュアリーとは単に高級であるということではなく、その時代における価値が反映されたものでもあると考えています。

海外にはラグジュアリービジネスを専門的に学ぶことのできる教育機関があると知ったので、そこで議論されていることを学び、日本に当てはめてみたいと感じました。

デジタルテクノロジーとラグジュアリービジネスの関係

水野

ラグジュアリーという言葉を、ただ単に希少性や豪華絢爛だとかの話で考えるのではなく、時代の価値を捉えるためのキーワードとして認識されていて、研究会の成果を踏まえファッション領域で学ぼうとされているわけですね。

以上を踏まえつつ、まずはテクノロジーとの関係性の話から伺いたいと思います。経産省の研究会で検討していたデジタルテクノロジーとラグジュアリービジネスの関係について、ビジネススクールではどんなことが議論の対象となっていますか。

井上

ビジネススクールでは、テクノロジーを活用してCX(カスタマーエクスペリエンス)、つまり「顧客体験価値をどう向上させるか」が一番に議論されています。実際に、顧客体験価値の向上を目的とした顧客向け・従業員向けアプリや、接客におけるAR技術の活用が進んでいると感じます。

たとえば、シャネルはVIC(重要顧客)限定で、アプリで予約をして、その店舗に行くと、買いたいものが用意されていて、試着室に入って身に着ける際、鏡に製品の情報が表示されたり、スタイリングの提案が表示されたりする仕組みが一部の店舗で導入されたと報道されています。

水野

製品や製造工程についても伺いたいのですが、今のラグジュアリーブランドの価値の打ち出し方は「職人が超絶技巧で丁寧に作ること」に重きを置いていると感じます。

レーザーカッターで製品を作りましたとか、3Dでシミュレートしたデータを3Dプリンターで製品化しました、みたいな話とはだいぶ異なる価値の創出であるわけですが、製造におけるデジタル化は、どうラグジュアリービジネスにおいて認識されていますか。

井上

今のラグジェアリー業界が直面する大きな変化に関する共通認識として、DXとサステナビリティの2つは挙げられると考えています。

ビジネススクールでは、デジタル化のポイントとして、サプライチェーンの効率化や顧客体験価値の向上のために情報をどう統合するか、さらに、製造時の情報だけではなく販売後の情報も含めてトレーサビリティをどのように担保していくか、といった点に言及がありました。

そう考えると、水野先生がおっしゃったような、製造工程におけるデジタル技術の活用をどう評価するかという点は、今のところ取り上げられていないことに気づきました。

また、最初の授業では、「ラグジュアリーとは何なのかを考えてみましょう」と、教授が選択した複数のラグジュアリーブランドの動画を見て議論する機会がありましたが、その多くが手仕事にフォーカスしていたことが印象的でした。

研究会において、サプライチェーンの効率化などデジタル技術の活用によって「人」の手で生み出す価値を最大化する、という議論がされていましたよね。

その議論を踏まえると、販売時には、販売員が提供できる顧客体験価値を最大化するためにアプリが活用され、製造工程においては、DX化を推進することが結果として職人が持つ価値を最大限発揮することにつながっていく、というように、それぞれの工程において人が生み出す価値を最大化するためのより良い活用を検討するという点が強調されているのだと、現時点では考えています。

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水野

各メゾンがこれまで出してきたPR映画や動画に見られる「職人が超絶技巧で作っている」という話が起点なんですね。「日本のものづくり」も、そうした観点で世界から高い評価を受けているケースがありますし、馴染みのある議論だと思います。

一方で、超絶技巧の職人芸とデジタルテクノロジーの活用が合わさった「中庸的なラグジュアリー」は何なのかについては、まだはっきりしていないようですね。

販売員が顧客に対し、アプリや端末の利活用を通した合理化を図るというよりも、製品価値や顧客体験価値向上を目的とした販売員による効果的なコミュニケーションの一環としてデジタル技術が現在のところ検討されている、ということですが、デジタル技術そのものではなく、それを活用する販売員が大切です、という話の帰結は別に新しい要素はないですよね(笑)。

井上

デジタルの活用に関しては、ECなどの議論も当然あるんですけど、モノ自体の価値に加えて、オフライン・オンラインを含めた顧客体験の創出という視点がすごく大事なことだと授業で繰り返し言及されます。

水野

ところで、多くのラグジュアリーブランドがフォートナイトや、ロブロックス、マインクラフトなどオンラインのプラットフォームに進出し、広報活動やデータ販売を行っていますよね。

これは今後のファンダム形成にもつながる動きだと私は見ていますが、ラグジュアリーファッションビジネスを学び、研究するビジネススクールの教員や学生にとって、ファッション産業とゲーム産業の接続はもう当たり前という認識なのでしょうか。

井上

そうですね。ラグジュアリーブランドが新しい顧客接点として活用している動きも見られますし、消費者側を見ても、若い世代を中心にデジタルでのコミュニティで過ごす時間が増えているというのは世界的な傾向ですので、受け入れられていると感じます。今後の授業で、より詳しく学んでいく予定です。
 
また、個人的には、授業の中で、「ファッションにおけるサステナビリティとデジタルの関係性においては、特にデジタル・ポリューション(※デジタル汚染。デジタルツールの使用で生じる環境汚染を指す)の問題を念頭におかなければいけない」という点が教授から指摘されたことが印象的でした。
 
行政としても取り組みが行われているようで、パリをレスポンシブル・ファッションの都市にしていくことを目的に市が設立した非営利団体の「Paris Good Fashion」は、ファッション業界向けに、オンラインでイベントを行うときのデジタル・ポリューションの考え方を示したガイドラインを公表しています。

水野

デジタルイベントをやる場合のデジタル・ポリューションとは具体的には何を意味するのでしょうか。

井上

具体的には、イベントの視聴やデジタルコミュニケーションに使われるエネルギーや二酸化炭素排出量などです。イベント前後のデータの扱いや、機器の製造工程にも言及されています。

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経産省が考えるファッション産業のこれから

水野

オンラインイベントにおいてはデジタルデバイスやネット環境、サーバ負荷が必須であることから、その分のエネルギー使用について気をつけなさい、ということですね。ファッションイベントを開催する際に、デジタル・ポリューションのことを考えるという視点は日本ではまだ珍しい話ですね。

井上さんはパリに留学されて期間が短いですが、今回お話をお伺いするなかでも日本との共通点や、問題関心の違いなどが見えて興味深かったです。

それでは最後に、今回の報告書を踏まえて、経産省としてファッションビジネスをどのように考えていらっしゃるかお伝えください。

井上

研究会の中では、ファッションビジネスをより稼げる産業にしていくための戦略論に加えて、ファッションビジネスにおけるデジタル分野のような新しい領域に中長期的な投資をしていくことも大事だという話になりました。

たとえば、人類が月に行くために努力するなかで技術革新が起こり、地球に住んでいる私たちの生活が良くなったことと同じように、デジタル領域の推進を、ある種のインフラへの挑戦として捉えるべきだという指摘もありました。

今後、メタバースなどのデジタル空間も含め、テクノロジーの可能性を追求し続けた結果として、リアルな社会に還元される新しい技術革新の可能性があるかもしれません。それを見据える視点も必要であると考えています。

水野

ムーンショット的な開発目標の達成のみならず、開発途上で得られた成果物も仮に月に行けなかったとしても、有用なものになり社会の役に立つ可能性がある、ということですよね。

経産省とファッション業界の関わりについて、そして井上さんの活動について、今後も注視していきたいと思います。ありがとうございました。

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