待ちゆく人の足元を見てみると、揃いも揃って革靴やヒール、スニーカーを履いている。おそらく履物だけを見ると、そこが日本なのか判断できないかもしれない。それほど日本の履物は西洋の文化に染まっている。
古来、日本の履物といえば草履や下駄だった。着物は晴れ着として、いまでは日常で着る機会は少なくなった。しかし、そこに待ったをかけるのが、祇園ない藤の当主である内藤誠治さんだ。 「その土地の風土から出たものが、その国の人にもっとも適している」という考えから、草履を現代の生活に落とし込んだ「JOJO Naitou」を製作したという。 どうやら、草履には私たちの知らない魅力が隠れているようだ。そこで今回、内藤さんに日本の草履文化、そして「JOJO Naitou」に込めた思いをお伺いした。
PROFILE|プロフィール
内藤 誠治(ないとう せいじ)
「⽤の美」伝承によるモノ作りの⽼舗として、百四十年の伝統を誇る伝統⼯匠「祇園ない藤」の五代⽬当主。
⾃らも職商⼈(商⼈であり、職⼈として⼿仕事をする形態)として活躍。東⽇本⼤震災を機に、2011年、新ブランド「mana プロジェクト」を発⾜。百四十年の伝統で培った技術と現代の感覚を⽤いた新しい履き物の形「JOJO naitou」を発表。そして2020年、コロナによる社会情勢が変わりゆく中「mana プロジェクト」の第⼆弾として「kappo」を制作。2021年には、和と洋を隔てることのないウェッジソールタイプの「kodori」を発表。「履き物の⼒とは、最も基本である⾐⾷住、つまり、暮らしと夢を繋ぐ架け橋である」という信念のもと、独自の世界観に基づく、美と健康を発信し続けている。
「JOJO Naitou」の製作経緯を教えてください。
2013年に販売を始めましたが、きっかけは2011年です。東日本大震災があり、地震鎮めの祈祷をする神主さんがインドへ行くというので、声をかけていただき同行しました。インドは日本と同じで、靴を脱ぐ文化があります。世界中から聖者が集まってくるので、礼拝堂の入り口には何百という履物が並んでいました。ですが、多様な履物があるにもかかわらず、欲しいと思う履物が一足もなかったのです。