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【リレーコラム】抵抗の衣服 ―「参加型アート」の先駆《パランゴレ》について―(山野井千晶)

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PROFILE|プロフィール
山野井千晶(やまのい・ちあき)

1997年生まれ。東京藝術大学 美学研究分野修了。専門は参加型アート。特にそのパイオニアとされるブラジルの芸術家エリオ・オイチシカを中心に、「遊び」の視座から研究を行う。

図版1:《パランゴレCapa 1》を身に着けたカエターノ・ヴェローゾ(1968年)Projeto Hélio Oiticica, doc. no. 2003. 68-p1.
図版1:《パランゴレCapa 1》を身に着けたカエターノ・ヴェローゾ(1968年)Projeto Hélio Oiticica, doc. no. 2003. 68-p1.
鮮烈な色の《パランゴレ》をまとったブラジルのミュージシャン、カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso, 1942- )を見てほしい(図版1)。輝く空を背景にして、彼は非常に優雅で、英雄的な姿を今に伝えている。しかし、これが撮影された60年代は、ブラジルの市民にとって非常に過酷な時代だった。
この文章はファッション論とはいえないかもしれない。しかし、美術史における重要な潮流のひとつ「参加型アート」のはじまりに、この美しい「抵抗の衣服」があったことを、ここで伝えるために書く。
《パランゴレ》の作者エリオ・オイチシカ(Hélio Oiticica, 1937-1980)は50年代半ばからリオを中心に活動を行った芸術家・文筆家だ。彼は「参加型アート」のパイオニアといわれるが、その背景には当時の社会情勢がある。
ブラジルでは1964年に軍事クーデターが起こり、軍事独裁政権がはじまった。これにより、ブラジルにおける60年代は、厳しい抑圧と検閲の時代となった。リオデジャネイロ警察は、特に北部に位置するファヴェーラと呼ばれる貧民街において、犯罪者と疑わしき人物やレジスタンス活動家の拘束・拷問・殺害を行った。
図版2:「社会の除け者であれ、英雄であれ(seja marginal seja herói)」と書かれた旗(1968年)Projeto Hélio Oiticica, doc. no. 2474. 95-p4.
図版2:「社会の除け者であれ、英雄であれ(seja marginal seja herói)」と書かれた旗(1968年)Projeto Hélio Oiticica, doc. no. 2474. 95-p4.
《パランゴレ》の成立背景には、このような逼迫した社会情勢があり、作品は芸術の枠組みの中だけでは生まれえないものであった。「社会の除け者であれ、英雄であれ[1]」(図版2)というオイチシカのスローガンからわかるように、辺境性の肯定は高等教育を受けて育ちながらも、自らファヴェーラに住み、社会的ヒエラルキーの撤廃を求めていたオイチシカにとって、急務の問題でもあった。
こうした背景から、オイチシカは鑑賞者自らを主体として能動的に作品へと参加させる姿勢を強め、それは1964年に制作された《パランゴレ》において一つの頂点へと達する。だが彼が作ったこの「抵抗の衣服」は、ヘルメットに白手拭いで顔を隠し、ゲバ棒で戦うような、物々しいものではない。最初に述べたように、それは美しい。
《パランゴレ》は初め、ファヴェーラのサンバスクールの一員であったオイチシカが、仲間たちと共に踊るための衣装として制作された。それはカラフルな色の布や紐などが組み合わされ、身に着けると層状の布が体を覆う状態になる。
布の層は、そのままだとただ垂れ下がるばかりだが、身に着けられ、動いたり手で捲ったりすることで、それぞれの色や柄が見えるようになる。オイチシカは《パランゴレ》という作品を物体ではなくプログラムと捉え、それを身に着け踊ること=参加することを通して、全ての階層の人々の生活の中に美的経験を持ち込むことを提案した。
そして、それは単なる衣装ではなく、旗、ケープ、小屋といった、異なる要素を含有している。旗は手に持って運ばれることで、集団への所属や意見を示す。ケープは衣服の一種として身に着けられ、着た人の外見を変容させる。さらに、《パランゴレ》はもともと布や木でできたファヴェーラの簡易的な物売りのテント、掘っ立て小屋から着想を得て制作されてもいる。
オイチシカはファヴェーラでの生活から生まれた本作を、現地の住民と共に身にまとい、サンバを踊って街の中心、都市の中へと向かった。それは社会的ヒエラルキーの高い人々のテリトリー内に異質な存在が入り込むことで行われる、集団による抑圧への異議申し立てであった。
また、オイチシカは《パランゴレ》がサンバというダンスと切り離せないものと述べ、「着飾る」ということがダンスの基本的特徴のひとつであり、それに「踊る」ということを加えて「参加者の表現的・身体的な変容」が達成されるとした[2]。そして2人以上の人間が参加することで「着る-見る」というサイクルを作り出す。
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