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【リレーコラム】お嬢様のクローゼットと着物の輪廻転生(林宜蓁)

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PROFILE|プロフィール
林宜蓁(リン イチェン)
林宜蓁(リン イチェン)

台湾・台北出身、台湾政治大学法律学部卒、京都芸術大学大学院芸術修士課程修了、京都芸術大学大学院博士課程在籍中。石牟礼道子を中心として日本の女性文学者の思想を探究。京都を拠点に世界へ発信する抽象画の創作活動中。直近の活動としては、2022年京都にて個展「私の中の宇宙」、2023年台北にて個展「Homesick for the stars」。作品はInstagramで公開中。

1.東西・新旧文化に生まれた唯一無二のお嬢様:森茉莉

森鷗外の長女森茉莉
森鷗外の長女森茉莉
私は台湾・台北出身、2015年から日本で暮らしており、日本在住8年の間、主に日本の女性文学者の研究を行ってきた。最初に私が興味を持ったのは森鷗外の長女、森茉莉であった。
森茉莉は1903年東京に生まれた。2度の離婚の後、50歳を過ぎてから作家としてスタートする。1957年、54歳で父鷗外を回想した随筆集『父の帽子』で日本エッセイスト・クラブ賞を獲得し、その後1965年から1975年にかけて、代表作である父と娘との恋愛小説『甘い蜜の部屋』を執筆した。1987年、自室で心不全のため死去する。
20世紀初頭、隆々たる大都会となった東京で、ドイツで誂えて取り寄せた洋服を身にまとい、精養軒の西洋料理を食べ、おそらく日本人の子どもとしては初めてグリム童話を聞きながら育ったであろう森茉莉。鷗外は東京帝大の近くに家を建てた。その家の窓から東京湾が一望できることから、「観潮楼」と名付けられた。つまり、茉莉は全東京を睥睨しながら成長したのである。学校への往復は人力車で、帰宅するとフランス語とピアノの家庭教師が来ていた。女学校3、4年になっても髪は母に結ってもらっていたし、洗面の湯は女中がはこんでいた。腎臓がわるかったため、当時は薬用だった牛乳やサイダーを常に飲んでいた。色鮮やかな着物を着て、ピアノ家庭教師の授業を受ける茉莉は、明治時代のお金持ちのお嬢様の理想型であった。このような特殊な環境で育った女性は、彼女以外にほぼいなかったとも言えるのではないかと思う。
エッセイ「幼い日々」で茉莉はその優れた記憶力を生かし、日露戦争後から第2次世界大戦前の、伝統的な日本式から西洋式に移行する希望に満ち溢れた、束の間の幸福に浸っていた東京を描いており、不思議な当時の東京への扉が開かれている。単純な視覚の描写だけではなく五感を使った表現は、子供の眼で見たままの景色を再現し、彼女の心の中の宮殿の一角を見せているかのようである。このエッセイでは茉莉と父鴎外、母などの服装について細かく描写されている。
エッセイには、茉莉と一緒に上野の街に出かける母が黒駝鳥の羽の肩掛け、清心丹の匂いがする藍ねずみのお召しを着ていたとある。そして、上野から帰宅した後の母の着替えの描写へと続いてゆく:

母は手早く普段着に着かえると、箪笥のそばへ行き、金色の鍵を出して箪笥の抽出(ひきだ)しを開けた。細く尖った音を立てて軋みながら、ガッタンガッタンと、揺れるようにして抽出しが開くと、母は黄ばんだ象牙の箱を出して、細い指から指輪を抜き、中へ入れて蓋をすると直ぐに抽出しに蔵(しま)い、ガチャリと鍵を廻すのだった。濃い水色の地に、同じ薄色で縞のある糸織りの着物は、動くたびにシュワシュワ音がして、つんとした母の顔や様子に纏わるように、優しかった。

当時、家の2階で多くの文化人と歓談する父は「無地お召の着物に暗い緑の角帯を締めて、きちんと坐り、鋭い三角の目が子供のように無邪気な笑いを、湛えていた。浅黒い笑い顔と、鈍く光る金歯と、黒ずんだ緑の帯とが美しい調和をしていた」。両国の川開きの日に、家中の人が集まったとき、父は黄色い、柔らかい着物を着てあぐらをかいて坐り、葉巻を軽く持った手を膝に置き、茉莉が「パッパ」と呼ぶと、鋭い眼が柔らかな光りを帯びて、茉莉に微笑みかけた。
父である鷗外の服装は外の正式な場合は洋服・軍服であった一方で、家などプライベートな場面では白い縮の襯衣(シャツ)と洋袴下(ズボンした)を着て、膝を揃えて坐り、畳に肱をついていた。父の襯衣の背中に顔をつけると、洗ったばかりのような清潔な皮膚の匂いがした。その時父の側で寝転んでいる茉莉は、薄紅の付け紐を結んだ白地に鼠で細かい型のある帷子を着ていた。廊下に坐っている母は白地に薄緑で鱗雲のような模様が一面についた単衣(ひとえ)を着ていた。夏の夜、庭に岐阜提灯の火をつけるとき、父は白い襯衣を着て、母は紺の濃淡、鼠などで、細い線や菊が入り乱れた浴衣を着て、黒地に白く桐の葉がぬけた絽の帯を軽く締めていた。明らかにその時代の服装が和洋折衷・併用だったと察せられる。
筆者の一押しのエピソードは、ドイツの店から見本を取り寄せてその中から両親が茉莉の洋服や帽子を誂えるくだりである。父は見本の絵(その時は写真はなかった)の下に書いてあるドイツ語の説明を母に「七つか八つ位の子供の洋服で、色は海軍青だ。へりの条(すじ)は白で、釦は金色だ」、「この帽子は黒天鵞絨(びろうど)で、リボンは猩々紅(しょうじょうひ)だ。ごく濃い紅(あか)だ」という風に訳し、2人で服を選んでいる。春に手紙を出すと7月頃に黒地に緑と紺の細い格子縞(チェック)に四角く開いた襟や袖口、裾の廻りに濃い紅で太い縁を取った可愛い洋服、細かい襞やリボンで飾られた白い寒冷紗の夏帽子などの商品が届いた。幼女茉莉は夢のようなうれしさに浸り、心酔していた。
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