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【リレーコラム】自分の「好み」を伝える苦痛の緩和策――趣味という闘争における抜け道を探して(髙橋かおり)

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PROFILE|プロフィール
髙橋かおり (たかはしかおり)
髙橋かおり (たかはしかおり)

立教大学社会情報教育研究センター助教。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は文化社会学、芸術社会学、質的調査法。

「芸術に関わる人たち」の生活と経験、キャリアとアイデンティティについて、聞き取り調査や参与観察をもとに研究をしている。芸術に関わる人たちを研究対象にしているが、本人は楽器も弾けず、絵も下手で、演技も踊りも特にうまくはない。

研究業績については以下のURLを参照。

https://researchmap.jp/k.artkhs

自分の「好み」を言いたくない

私が服を一人で買いに行けるようになったのは、たぶん20代中頃だと思う。友達と服を買いに行ったことも、人生で数えるほどしかない。
理由はいくつかある。
そもそも、服は家族から譲ってもらうことが多く、すでに家の中で飽和状態にあった。さらに大学に進学した後、しばらく演劇や舞台公演に裏方としてかかわっていたため、基本黒い服であれば困らないという環境にもいた。
しかし、これらはすべて消極的な理由である。
一番の理由は「他人に『好み』を伝えることが苦手」だったからである。ある色や形、デザインを好みだということは、自分の人格や性格を評価されることにつながるのではないだろうか、その評価が非常に怖かった。
なぜここまでして私は「好み」を伝えるのが嫌なのか。これは別に服に限ったことではない。何かの好みを伝えることへの恐怖は、食事のメニュー(そもそも10代のころは偏食だった)や旅行の行き先においてもそうであった。
そのような私にとって、「好み」を手がかりに話が盛り上がる、というのはあまり安心のできる場ではない。今日では「推し語り」など、自分の好きな対象(推し)を熱心に語ることが好意的にとらえられる傾向にある。「趣味縁」(浅野 2011)といわれるように、古くはmixiのコミュニティ、近年ではマッチングアプリの共通点など、人々は基本的に同じものを好む人でつながろうとする。

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