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【リレーコラム】「縫う」から広がる近代日本への想像力(前田一歩)

PROFILE|プロフィール
前田一歩(まえだかずほ)
前田一歩(まえだかずほ)

東京大学 社会科学研究所 労働調査資料室 学術専門職員。専門は歴史社会学・社会調査。都市環境政策の歴史を通して、近代日本の家族や福祉、社会問題を捉え直そうとする。論文に「明治後期・東京の都市公園における管理と抵抗」『ソシオロゴス』43号(2019年)、「新聞記事にみる近代東京・都市公園の話題変遷」左古輝人編『テキスト計量の最前線:データ時代の社会知を拓く』(2021年、ひつじ書房)などがある。
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「ファッションとテクノロジー」というお題で、コラムの執筆を依頼されたときには、正直かなり困惑してしまった。このリレーコラムのバトンを繋いできた他の論者たちとは違い、これまでファッションともテクノロジーとも無縁な研究生活を送ってきたからである。私はこれまで、都市環境政策(こと都市公園政策)の歴史を通して、近代日本の家族や福祉について研究をしてきた。場所やモノ、制度の成り立ちについての研究をすることで、その背後にある、普通の人びとの生き方に思いを馳せてきたのである。
今回は、同じようなやり方で、ファッションとテクノロジーに接近した研究の紹介をすることで、次の論者にバトンを繋ぎたいと思う。アメリカの歴史学者アンドルー・ゴードンの『ミシンと日本の近代——消費者の創出』(2012=2013)を糸口にして、私にとっては難解な、このテーマのコラムを書き進めていこう。

ミシンと日本の近代

ゴードンは『ミシンと日本の近代』で、近代日本におけるミシンの伝来、販売開始、普及、そして既製衣類への敗北まで、約1世紀の歴史を描いた。ゴードンが本書で論じたことは、近代日本におけるミシンをとりまく大量生産・消費の進展、近代的消費者の形成、和服と洋服の対立、洋服の普及と衣服生産の産業化、アメリカ的企業経営に対して日本人労働者が起こした労働争議、そして日本製ミシン会社(蛇の目ミシン工業)の独立など多岐にわたる。
斬新な視点から、豊富な史料をつぎつぎと読み解いていく記述は興味深く、本書は歴史学のみならず社会学や経済史研究、ジェンダー研究等の分野で大きな評価を受けてきた。本書が提示する多くの論点のうち、ここでは20世紀前半に、日本女性がミシンで行った、①家族が着るものの世話、②節約と職業労働を通した経済的主体としての自立、③モノづくりを楽しむことの3つの要素を取り上げてみたい。
20世紀のはじめ、日本人とミシンの出会いはグローバル化と産業資本の大波に乗ってやってきた。「ミシンの到来は近代的消費者の時代の幕開けとぴったり重なる」というように、消費者の欲望をつくり出し、商品を購入させるシステムこそが、ミシンを広めたのである。
その流れを駆動したのは、アメリカのシンガー社(Singer Corporation)である。すでに世界中のミシン売上の3/4を独占していたシンガー社は、1900(明治33)年夏に初めは東京、次いで横浜に店舗を開設する。シンガー社は小売店の展開と、家庭での試用、顧客にミシンの使用法を教えるセールスマンの配置、高価なミシンの月賦払い販売など、次々と新しい販売方法を生み出し、瞬く間に日本市場を席巻する。
『東京朝日新聞』1907年11月18日朝刊1頁
『東京朝日新聞』1907年11月18日朝刊1頁
シンガー社が売り込んだのはミシンという消費財だけでなく、それを使う人々の、さらに言うと女性たちのライフスタイルや価値観そのものであった。ミシンは国家と家族を繁栄にみちびく「良妻賢母」という近代的価値観と不可分のものとして宣伝され、受け入れられていく。
すなわち、ミシンを使用して家族が着るものの世話をし、時間とお金の節約をするだけでなく、訓練を積んだ労働によって収入を得られるようになることである。また月賦払いに見合うだけの規律ある生活を行い、家計を計画的に維持することである。さらにミシンは、手づくりで流行を追う楽しみをもたらしてくれるのだ、と。
ここで重要な点は、女性が夫や家族、ひいては国家に貢献し、従属する存在としてのみ、ミシンという商品の消費者になるのではないことである。戦前期において、ミシンという商品を宣伝する「良妻賢母」という価値観は、ミシンを使用することで社会へと進出し、そして好きな衣類をつくることで自己表現をする「喜び」も含んでいた。
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