2022.07.15

【リレーコラム】私はだれとして踊るのか:ポピュラー音楽とファッションの (ごく)一側面について(加藤賢)

PROFILE|プロフィール
加藤賢(かとうけん)
加藤賢(かとうけん)

1993年生まれ。早稲田大学教育学部卒、大阪大学文学研究科博士後期課程在籍。日本学術振興会特別研究員 (DC2)。専門はポピュラー音楽研究。論文に「渋谷に召還される〈渋谷系〉—ポピュラー音楽におけるローカリティの構築と変容—」(『ポピュラー音楽研究』24 (1), 2020)、書籍に「〈再発見〉はどこから来たか?:海外シティポップ・ファンダムのルーツと現在地」(モーリッツ・ソメとの共著、柴崎祐二編著『シティポップとは何か』河出書房, 2022, 254-281頁)など。
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「機能する」衣服

私はポピュラー音楽を研究対象としている。普段はロックやらヒップホップやらジャズやらを聴き漁り、シティポップや渋谷系で論文を書き、講義ではK-POPや米津玄師について語っている(ついでに指導教授はブラジル・バイーア太鼓と演歌とディスコの専門家である)。

フィールドワークで現場に出向くともなると、頼りないワードローブを前に頭を悩ませるのが常である。ラポール(1)——だなんて言葉をわざわざ持ってくるまでもなく、ファッションはそのコミュニティへ受け入れてもらうための大前提となる儀礼的コードなのだ。

しかし、きわめて個人的な話から始めると、私が最初にファッションの力を体験したのは音楽ではなく「宗教」の場においてだった。11歳の頃、愛知県にある小さな浄土真宗の寺院に生まれ育った私は、僧侶となる儀式である「得度(とくど)」式を小学生にして受けることになったのである。

夏休み真っ盛り、東本願寺がある京都へと親戚を連れ立っての大旅行だった。観光気分の家族と感涙にむせぶ祖父母を尻目に、私は高校球児もおそれおののくほど剃り上げられた頭を見て「夏休みが終わるまでには髪が伸びますように……」と、神仏に(?)祈りを捧げるばかりであった。

儀式を終えると、次は宗祖・親鸞の墓所である大谷祖廟へと参拝に向かう。円山公園のほど近く、僧侶の制服である黒色の法衣(ほうえ)をまとって同じ年頃のつるつる頭たちと石畳を歩いていると、ご年配の信徒の方々が私たちにお手を合わせてくださっている。今であれば、ありがたい心遣いだと思うだろう。だがその時の私にとっては、どうしようもないほどバツの悪い出来事だった。

つい昨日まで、私は毎朝ラジオ体操をしては連日友達とセミ捕りやらスマブラ大会やらに興じていた、何の変哲もない子どもだった。だが、いまこうして髪を剃り上げ、仕立ての法衣を着て足袋を履き、うっかり紛失しないよう数珠を握りしめている私を、誰かが尊んでくれている。あなたに話してあげられる素晴らしい教えなんて、何ひとつ持っていないのに。そうやって見知らぬ子どもに手を合わせてくれる、あなたの方がずっと素晴らしいはずなのに。空虚な自分が張りぼてのように思え、思わず逃げ出したくなった。(2)

宗教関係者のはしくれとしての私は、手を合わせてくださった方々のご厚意に現在も感謝している。だが研究者としての私は、宗教的衣服が持つ差異化機能について、あらためて思いを巡らせずにはいられない。

世界のほぼすべての宗教には、何かしらの服装規定が存在している。インドネシア文化研究者の野中葉が端的に整理しているように、こうした宗教的なドレスコードは聖職者や信徒の社会的属性を明示し、他の共同体と自らを差別化すると共に、宗教的共同体内においてはコミュニティ内の帰属感やアイデンティティを高めたり、あるいは神や聖なるもの、超越的なものとコミュニケーションを取ったりするための役割を担っている(野中 2021: 150-151)。

私の場合も同様に、髪を剃り法衣をまとっていたからこそ、あの方々は何かしら「聖別された」ものとして扱ってくださったのだろう。衣服には、人がどこに属しているのかを指し示す機能がある。

ポピュラー音楽とファッションの蜜月

ポピュラー音楽 (ここで言う「ポピュラー音楽」とは、特定の文化的伝統や共同体の中で伝承されてきた民俗音楽/folk musicや民族音楽/ethnic musicではなく、19世紀末アメリカにおける楽譜出版ビジネスにルーツを持ち、一定の資本的循環の中で企画・制作・複製・大量生産され、メディアによって拡散される商業的音楽のことを指す)の歴史を考えたとき、ファッションという視点は切っても切り離せない。

演者のまとうステージ衣装がその起源であるが、新聞・雑誌・映画・テレビ・インターネットといった視覚的メディアの発展と共に、その重要性はますます上昇していった。興味深いことは、そういったスターたちの服装を映画や音楽の「聴衆」たちが真似し、自己表現の手段として取り入れていったことである。

1930年代アメリカの有色人種向け劇場チトリン・サーキット(Chitlin' Circuit)のコメディ・ショーで作り出された、極端にダボっとしたシルエットと広い肩パットが特徴のズート・スーツは、ジャズ・ミュージシャンのキャブ・キャロウェイによって広められ、アフリカ系・メキシコ系・フィリピン系・日系といったマイノリティの若者たちに支持された。戦時中に非国民扱いされた(3)彼らの中には若き日のマルコムXがいた。

1950年代後半のロンドンに現れたモッズたちは、その元々の名である「モダーンズ(Moderns)」の名のとおりモダンジャズなどの最先端ブラック・ミュージックを愛好し、夜な夜な覚醒剤のアンフェタミンを服用してはR&Bやソウルで踊りまくった。

ヴィヴィアン・ウェストウッドとマルコム・マクラーレンによって「造られた」反抗者であるセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスは、しかし無数のフォロワーであるパンクスたちを生んだ。(4)

1979年に最初のレコードが発売されたヒップホップは、ダンスやスケートボードといったその他のストリートカルチャーと関係を取り結びながらB-BOYスタイルやスケーターファッションを創成し、現在のラグジュアリー・ストリートにまで連続的に繋がっている。

辺境・シアトルのロックシーンの片隅から現れたカート・コバーンのボロボロのシャツやジーンズは、グランジ・スタイルとなって数多の「Tシャツのロックスター」たちを世に送り出した。

同時代、日本では女子高生のカリスマ的ディーヴァとなった安室奈美恵が「アムラー」「コギャル」といったフォロワーたちを生み出し、彼女たちのスタイルは渋谷から全国の地方都市へと伝播していった。

そして現在ではY2KムーブメントがTikTokを震源地に巻き起こっており、2000年代風のアイテムを身に纏ったオリヴィア・ロドリゴやデュア・リパが「ポップパンク」サウンドのリバイバルをもたらしている。

私たちはどこのだれなのか?

もちろん、これらはファッションと音楽の繋がりを示すほんの僅かな事例に過ぎない(とりわけレディスファッションの圧倒的な文化のスケールは、ここで取り扱える域を遥かに超えたものである)。

しかし重要なことは、かつて社会学者ゲオルク・ジンメルが指摘した「同調化」と「差異化」という2つのベクトルが、いかなるスタイルの形成においても見られるということであろう (ジンメル 1911=1976: 31-61)。

特定の社会的集団の一員であろうとする同調化の欲求によって、私たちたちは自分がどこに属するのかを示そうとする。そして、その集団内において自分と他人を差異化することによって、私たちは自分がだれであるかを解き明かそうとする。なんでもいい。スカートの丈。ネクタイピン。紋付袴の柄。ちょっとした違いの中にこそ私の姿がある。

新しい音楽スタイルはしばしば「外界に対して相対的自律性を備えた場所における、特定の創造的方向性を備えた少数の個人間の濃密な交流」の中で生み出されるが、そうした場所には往々にして社会的・経済的・歴史的・人種的・階級的・ジェンダー的に規定された特有のよそおいが存在している。

たとえばドイツ・ベルリンには「テクノの世界首都」とも称えられるベルグハイン(Berghain)という著名なナイトクラブがある。もともとゲイ男性向けのクローズドなクラブとして始まったこの箱は、「入場するのが世界一難しいクラブ」としても名高い。ベルグハインにふさわしくないファッションの人間やきょろきょろと様子を伺っているような観光客は、強面のドアマンたちに問答無用で追い返されてしまう。

だが、そのドアをくぐることが許されたならば、その先には「テイスト」を同じくする仲間たちと電子音に乗って踊り続ける、陶酔的な夜が約束されるはずだ。それが分かっているからこそ、このクラブには考えに考え抜いたファッションに身を包んだ客が世界中から押し寄せるのである。

「ない」ことの創造性

文化的・地理的・経済的・時間的な制約によって生まれる解釈のずれ(それは時に「誤解」とも呼ばれる)がしばしば新しい創造の源となっていることも、文化研究者としては見逃せない点だ。戦後の焼け野原に生まれた洋裁文化は、資源不足の中でもんぺやはぎれを最新のパリ・モードに生まれ変わらせようとした。(5)

もともと炭鉱夫用の作業用ワークパンツとして発明されたジーンズは、占領下の日本においては進駐軍のお下がりを手に入れるしかないアメリカ的豊かさの象徴だった。(6)日本のアイビー・ファッションを普及させたVANのくろすとしゆきは、写真もイラストもない、たった数行の文字情報だけを頼りに最初のアイビー・ジャケットを作ろうとした。(7)

このような暗中模索の挑戦において育まれた創造性の種は、その後生み出された数多くのオリジナルなスタイルの母体となっていく。こうした制約に起因する創造力の発露はポピュラー音楽史においてもしばしば見られるが、音楽と比較しても中央集権性が弱く、人から人へと模倣によって伝播していくファッションにおいては、生物学でいうところの「適応放散」のような、多様で異様な変化がより起こりやすいのかもしれない。

私の知らない私

それが服であれアクセサリーであれタトゥーであれ身体改造であれVRのアバターであれ、パーツ単体に固有の意味はない。組み合わせこそが肝心なのだ。

だから私たちは悩む。私はどこの人間なのか。そして私はだれなのか。この絶え間ない葛藤のなかでスタイルは不安定かつ非連続的に変化し、その過程で選び抜かれた一つのセットは新たなスタイルとして暫定的に規定されてゆく。

およそ手に入れ得るあらゆる衣服によって行われる無数の掛け算の中に、「知ってる私」と「知らない私」の双方がゆらめく。そんな安穏と興奮の境目をさまよいながら——私たちは今日もワードローブの前で頭を悩ませるのである。

(1)ラポール (rapport) は調査対象者との信頼関係を指す用語。
(2)浄土真宗の教義においてはあらゆる衆生が阿弥陀仏の慈悲の対象であり、僧と俗のあいだに差を設けないので、何も知らないことを恥じる必要はなかった。また己が空虚であると知ることは、大乗仏教の代表的経典「般若心経」などで解かれる「空」の思想に通じるところがあるのかもしれない。そこで踏みとどまって思想を深めていたならば、いまごろ筆者は仏道ひとすじの人生を歩んでいただろうが、残念ながらその時は坊主頭になった経緯をどう他人に説明するかということで頭が一杯だった。結局髪が元通りになるまでには3か月を要し、夏休み明けには友達からさんざん頭をはたかれる羽目になった。
(3)布を多く使うズートスーツが戦時下で不足する生地を浪費しているとみなされたため。ただしメキシコ系アメリカ人(チカーノ)をはじめとするマイノリティへの差別やモラル・パニックの面も強く、1943年6月には軍人や白人系アメリカ人がズートスーツを着たチカーノやアフリカ系・フィリピン系の若者に暴行を加えたズートスーツ暴動(Zoot Suit Riots)事件も発生している。
(4)セックス・ピストルズのアナーキーなコンセプトは、マルコム・マクラーレンのプロデュースによって造られたものだった。彼らの強烈な存在感によって世界中に広がったパンクは無数の派生ジャンルを生み、日本のインディーズ音楽史においても多大な足跡を残した。このリレーコラムの存在もまた、パンクが与えたバタフライ・エフェクトの一つである。
(5)戦後まもなく、戦時体制下からの開放感や洋服需要拡大に伴って洋裁ブームが起こった。各地には洋服の仕立てを学ぶ洋裁学校があいついで設立され、文化服装学院が出版した雑誌『装苑』をはじめとする雑誌も相次いで創刊された。洋裁学校では田中千代、杉野芳子、伊藤茂平・桑沢洋子といった一流のデザイナーたちが教壇に立ち、そこから森英恵、高田賢三、山本耀司ら多くの世界的デザイナーが育ったほか、長沢節などのスタイル画家にも活躍の場を与えた(井上 2021: 18-22)
(6)もともと肉体労働者や農民のための丈夫なパンツとして利用されていたジーンズ(jeans)は、第二次世界大戦中に米軍兵士たちが非番の際の衣服として用いていたことで世界に広がった。日本においては占領軍兵士たちが闇市に多くのジーンズを放出したことから、「GIパンツ=Gパン」という名で呼ばれるようになった。1960年代に入ると、当初は中古ジーンズの輸入販売を行なっていた東京・日暮里の常見米八商店(EDWIN)や岡山県倉敷市児島地域のマルオ被服(Big John)などがジーンズの国産化に成功し、現在に至るまで高い品質を保ち続けている(マークス 2018 [2015]: 122-141)
(7)のちにVANの商品開発を手がけるくろすとしゆきは、慶應義塾大学の学生だった1954年に、VAN創業者の石津謙介が編集した『男の服飾』内の「アイヴィー・リーグ・モデル」という数行の記事だけを頼りにアイビー・ファッションの模索をはじめた。のちにセツ・モードセミナーで「アイビー坊や」で知られるイラストレーターの穂積和夫らと出会い、やがてVANへと入社した。VANは1978年に倒産するが、メンズファッション文化を日本に根付かせた影響は大きい。また、元VANの社員だったメーカーズシャツ鎌倉創業者の貞末良雄や、実家がVANのフランチャイズを経営していたファーストリテイリング創業者の柳井正など、人物的なつながりも深い(同上: 34-46, 324-328)

参考文献
井上雅人(2021)「洋裁文化とは何か」, 島根県立石見図書館・国立新美術館編『ファッション・イン・ジャパン 1945-2020——流行と社会』青幻社, 18-22頁.
ゲオルグ・ジンメル(1976 [1911])「流行」,『ジンメル著作集7 文化の哲学』円子修平・大久保健治訳, 白水社.
佐藤誠二朗(2018)『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』集英社.
デービット・マークス(2018 [2015])『AMETORA(アメトラ)日本がアメリカンスタイルを救った物語』DU BOOKS.
野中葉(2022)「宗教と衣服」, 蘆田裕史・藤島陽子・宮脇千絵編『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係』フィルムアート社, 149-155.

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