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【リレーコラム】私はだれとして踊るのか:ポピュラー音楽とファッションの (ごく)一側面について(加藤賢)

PROFILE|プロフィール
加藤賢(かとうけん)
加藤賢(かとうけん)

1993年生まれ。早稲田大学教育学部卒、大阪大学文学研究科博士後期課程在籍。日本学術振興会特別研究員 (DC2)。専門はポピュラー音楽研究。論文に「渋谷に召還される〈渋谷系〉—ポピュラー音楽におけるローカリティの構築と変容—」(『ポピュラー音楽研究』24 (1), 2020)、書籍に「〈再発見〉はどこから来たか?:海外シティポップ・ファンダムのルーツと現在地」(モーリッツ・ソメとの共著、柴崎祐二編著『シティポップとは何か』河出書房, 2022, 254-281頁)など。
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「機能する」衣服

私はポピュラー音楽を研究対象としている。普段はロックやらヒップホップやらジャズやらを聴き漁り、シティポップや渋谷系で論文を書き、講義ではK-POPや米津玄師について語っている(ついでに指導教授はブラジル・バイーア太鼓と演歌とディスコの専門家である)。
フィールドワークで現場に出向くともなると、頼りないワードローブを前に頭を悩ませるのが常である。ラポール(1)——だなんて言葉をわざわざ持ってくるまでもなく、ファッションはそのコミュニティへ受け入れてもらうための大前提となる儀礼的コードなのだ。
しかし、きわめて個人的な話から始めると、私が最初にファッションの力を体験したのは音楽ではなく「宗教」の場においてだった。11歳の頃、愛知県にある小さな浄土真宗の寺院に生まれ育った私は、僧侶となる儀式である「得度(とくど)」式を小学生にして受けることになったのである。
夏休み真っ盛り、東本願寺がある京都へと親戚を連れ立っての大旅行だった。観光気分の家族と感涙にむせぶ祖父母を尻目に、私は高校球児もおそれおののくほど剃り上げられた頭を見て「夏休みが終わるまでには髪が伸びますように……」と、神仏に(?)祈りを捧げるばかりであった。
儀式を終えると、次は宗祖・親鸞の墓所である大谷祖廟へと参拝に向かう。円山公園のほど近く、僧侶の制服である黒色の法衣(ほうえ)をまとって同じ年頃のつるつる頭たちと石畳を歩いていると、ご年配の信徒の方々が私たちにお手を合わせてくださっている。今であれば、ありがたい心遣いだと思うだろう。だがその時の私にとっては、どうしようもないほどバツの悪い出来事だった。
つい昨日まで、私は毎朝ラジオ体操をしては連日友達とセミ捕りやらスマブラ大会やらに興じていた、何の変哲もない子どもだった。だが、いまこうして髪を剃り上げ、仕立ての法衣を着て足袋を履き、うっかり紛失しないよう数珠を握りしめている私を、誰かが尊んでくれている。あなたに話してあげられる素晴らしい教えなんて、何ひとつ持っていないのに。そうやって見知らぬ子どもに手を合わせてくれる、あなたの方がずっと素晴らしいはずなのに。空虚な自分が張りぼてのように思え、思わず逃げ出したくなった。(2)
宗教関係者のはしくれとしての私は、手を合わせてくださった方々のご厚意に現在も感謝している。だが研究者としての私は、宗教的衣服が持つ差異化機能について、あらためて思いを巡らせずにはいられない。
世界のほぼすべての宗教には、何かしらの服装規定が存在している。インドネシア文化研究者の野中葉が端的に整理しているように、こうした宗教的なドレスコードは聖職者や信徒の社会的属性を明示し、他の共同体と自らを差別化すると共に、宗教的共同体内においてはコミュニティ内の帰属感やアイデンティティを高めたり、あるいは神や聖なるもの、超越的なものとコミュニケーションを取ったりするための役割を担っている(野中 2021: 150-151)。
私の場合も同様に、髪を剃り法衣をまとっていたからこそ、あの方々は何かしら「聖別された」ものとして扱ってくださったのだろう。衣服には、人がどこに属しているのかを指し示す機能がある。

ポピュラー音楽とファッションの蜜月

ポピュラー音楽 (ここで言う「ポピュラー音楽」とは、特定の文化的伝統や共同体の中で伝承されてきた民俗音楽/folk musicや民族音楽/ethnic musicではなく、19世紀末アメリカにおける楽譜出版ビジネスにルーツを持ち、一定の資本的循環の中で企画・制作・複製・大量生産され、メディアによって拡散される商業的音楽のことを指す)の歴史を考えたとき、ファッションという視点は切っても切り離せない。
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