2022.02.18

【リレーコラム】「自然の生産」と繊維・アパレル産業(馬渡玲欧)

PROFILE|プロフィール
馬渡玲欧

日本学術振興会特別研究員PD(ノートルダム清心女子大学)。博士(社会学)。専門は社会学。産業廃棄物処分地の原状回復に関心がある。論文に「惑星都市理論における『自然の生産』の位相」(平田周・仙波希望編,2021,『惑星都市理論』以文社)など。

「自然の生産」とは何か

最近、「自然の生産」という、地理学等で参照される議論について考えることがある。この小論では、「自然の生産」論に触れつつ、その議論と繊維・アパレル産業の関連しそうな雑多な論点をいくつか並べてみることにしたい。

「自然の生産」論について、都市政治生態学という領域で研究を進めているアレックス・ロフタスは次のようにまとめている。ロフタス曰く、「自然の生産」は、歴史的、地理的にみて特殊な実践であり、その実践によって人間は環境をつくる。この環境をつくり出す実践は、共進化的あるいは代謝的プロセスであり、このプロセスにおいて「自然」と「社会」は相互に変容する。「自然の生産」論は、「自然」が原始的な領域であるという信念に対する挑戦である。特に地理学者ニール・スミスは『不均等発展』(1984年)のなかで資本主義社会における「自然―社会」関係や、「自然の商品化」を批判的に検討したと言われている(以上、Loftus 2017: 1)。

人間が自然環境をつくりだす「自然の生産」について、ふたつの特徴がありそうだ。ひとつは、「自然」が売り物としてつくり出されたり、そのまま売られていくというプロセスである。もうひとつは、自然と社会が相互に変容してきたという考え方である。前者について、「自然」を商品として育てて売る、また育てずとも採取・採掘して売ってしまうということは、なんとなく想像できそうだ(1)。

後者についてはどうだろうか。自然と社会が、人間が環境をつくる共進化・代謝プロセスに基づいて、相互に変容してきたとは……結局どういうことなのだろう。壁に突き当たってしまい、当座ロフタスやスミスの議論、また彼らが前提としている議論を精確に掴むことを一旦棚上げにして、積んでいた別の本を読んでみた。タイトルに「自然再生」と入っているが、おそらく「自然の生産」論ともかかわるだろうことを期待して。

野生と人工のあわいとしての「半栽培」

「自然の生産」を理解する手がかりとして、宮内泰介『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』を紐解いてみる。なかでも興味深く読んだ話のひとつが、「半栽培」概念に関する紹介とまとめである。半栽培とは何か。宮内によれば、「半栽培」は「照葉樹林文化論」でも知られる植物学者・中尾佐助(1916-1993)の提起した概念である(宮内 2017: 37)。

宮内は、アマウという木を半栽培の事例として取り上げている。アマウは、人間が植え、品種改良した木ではないので、この意味では「野生」である。しかし、この木は人間が生活している周辺にしか生えない木なのである(宮内 2017: 37)。

同書のなかで述べられるように、半栽培の概念やその事例は、我々に「自然」と「人工」という二分法ではないかたちで自然を見ることを可能にしてくれる(宮内 2017: 39)。なぜその二分法に頼らないのか。それは、「人間のかかわりが十分にあるにもかかわらず、人間が手をつけていない自然であるかのように見立てて、それを『守ろう』と言ってきた」(宮内 2017: 35)状況への批判が背景としてあるようだ(もちろん、人間が自然に対して何をしても良いということにもならない、とされる)。

さて、中尾の説も踏まえながら、宮内自身のまとめとしては、半栽培とは、(1)栽培化のプロセスの途上としての半栽培、(2)生息環境を改変することで植物の生育に影響を与える半栽培、(3)人間の認識の問題としての半栽培(たとえば、ある植物の生育を「わざと」放置すれば半栽培だが、そうでなければ単なる「野生」)の3つが相互に連関しているといえる(宮内 2017: 47)。

以上、簡単ではあるが、自然と人間の相互関係を「半栽培」という視点に基づいて考えることができるのではないか、という議論を紹介した。宮内は後の章で、自然と人間の相互関係だけでなく、社会(たとえば地域社会のコモンズの共同管理)との関係も含めて考察を進めている。

ロフタスがまとめた「自然の生産」論について、大きくみれば人間が自然環境をつくり出し、そのプロセスにおいて自然と社会が相互に変容してきたとみなすことができるだろう。そのうえで、特にニール・スミスの議論では「自然の商品化」の行き過ぎや激化にフォーカスが当てられていそうだとも感じる(参考:Smith 2007)。一方、宮内の「半栽培」の議論は、スミスがあまり意識していなかったと思われる「自然と人間」のあいだの持ちつ持たれつの微妙な関係を捉えたうえで、地域社会におけるコモンズ管理のあり方が自然の変容と共に変わっていく様相を記述するという研究の方向を示しているように思われる。

天然繊維・人造絹糸・合成繊維

それでは次に、繊維産業の事例を「自然の生産」(+「半栽培」)というコンセプトを参照しながら、どのように検討することができるか、考えてみる。まずは、衣服を構成する大元の「繊維」とは何かについて簡単に確認する。

繊維の分類を大きく「天然繊維」と「化学繊維」に分けた場合、天然繊維は「植物繊維」(綿・麻)、「動物繊維」(絹・羊毛・獣毛)、「鉱物繊維」(石綿)に分類することができる(阿部・平野 2013: 2)。このような「天然繊維」は、農家での自給用生産から始まり、生産力の上昇に伴って、余った布等が商品化されていくこととなった(阿部・平野 2013: 4-5)。

こうしてみると、繊維産業は工業化を牽引する産業として歴史的に位置づくと思うのだが、それだけでなく、工業化の進行のなかで棉花や蚕等の原料が品種改良され、「栽培化」されてきた産業としてみなすことができるのかもしれない。

「野生」と「人工」の狭間に位置し、また栽培化の何歩か手前で生息環境を絶妙なかたちでお膳立てすることで成立する「半栽培」の動植物は、「栽培化」と異なる人間と自然の付き合い方の様々なあり方を示してくれる。

しかし、繊維やその原料を生み出す営みにおいては、「半栽培」のようなかたちで人間と自然がかかわりあい、そのかかわりのもとで人間の生業が成り立っている様子を捉えにくそうだと感じる。むしろ、繊維の生産は、「原料」(川上)から「最終製品」(川下)に至る行程、そして製品を国内外に売り出していく過程に組み込まれている傾向が強く、その意味では「自然の商品化」の典型的な事例となりうるのだろう(2)。

補足として、繊維産業の現状としては、化学繊維の製造についても触れておく必要があると思われる。論点は多岐に渡るが、本稿では絹等の「天然繊維」に代替するものとして「人造繊維」が登場してきたという歴史的背景について言及したい。

19世紀末から20世紀初頭、ヨーロッパで「人造絹糸(Artificial Silk)」が流行したと言われている(阿部・平野 2013: 94-95)。特に化学工業的な工程を取り入れたビスコース法と呼ばれる製造方法によって、木材パルプを原料としたセルロース系人造絹糸が多く作られた(阿部・平野 2013: 95-7)。1922年に世界の人造絹糸の生産量が絹を上回るに至り、この時点で、人造絹糸は高価な絹の「代用品」から脱却を図るということになる(阿部・平野 2013: 103)。

化学繊維の歴史は、人造絹糸(レーヨン)以外にも様々にあるが、興味深いのは、「天然繊維」を製造の基準として意識しながら、人造絹糸も合成繊維もそれぞれ産業として発展を遂げていったと思われる経緯である(3)。「天然」を模倣し、それに近づくこと。今回紹介した「自然の生産」とは異なるかもしれないが、「天然」とされるモノや言葉を準拠点とした「自然の模倣」で何が試みられようとしていたのかについては、いつか機会があればもう少し掘り下げて考えてみたいと思う。

廃棄物処分地の原状回復を考える

ところで、ポリエステル、ナイロン、アクリル等の様々な化学繊維の素材が混合した複合繊維の衣服については、そのリサイクルをどうするか、大きな課題となっているようだ(仲村・藤田 2019: 115-6)。

古着が不法投棄される事例も見聞きすることがある。チリのアタカマ砂漠に大量に不法投棄された古着の山の写真を見たとき、様々な疑問が湧いた(4)。アタカマ砂漠の事例に限らず、不法投棄が行われた土地や周辺環境をどのように「原状回復」していくのだろうか。廃棄物の撤去、廃棄物の処理方法、周辺環境の土壌や地下水の汚染の処理事業をどのように進めていくことになるのだろうか。古着の輸出入に関する産業構造をどう考えるかという論点もあると思うが、ここでは不法投棄された土地のその後を見据えて考えてみたい。特に、原生自然を想定せず、自然環境の汚染や原状回復を共に「自然の生産」という観点から捉えるからこそ、自然環境と地域社会がどのようにかかわりあい、変容していくのか、その歴史的変遷や展望を考えることができるのかもしれない。

先述の疑問を考える際に参考となる事例として、筆者は香川県豊島の産業廃棄物不法投棄事件を思い浮かべた。現在は瀬戸内国際芸術祭の開催地のひとつでも知られる香川県土庄町豊島では、かつて産業廃棄物不法投棄事件が起き、事件の摘発から数えて約31年、2022年現在も汚染地下水の処理等の処理事業が進められている(5)。

豊島に持ち込まれた廃棄物は、特に1983年以降、自動車を廃車にする際に生じるシュレッダーダスト、さらに廃液を含むドラム缶等が多くなっていった。豊島の事件の摘発後、1995年には汚水処理設備を要する管理型処分場で自動車シュレッダーダストを処理することが義務づけられた(堀畑 2001: 140)。その後もシュレッダーダストの処分場不足、さらに不法投棄が続出し、2002年には「拡大生産者責任」を踏まえた自動車リサイクル法が制定されることとなった(このような経緯を踏まえるならば、衣類廃棄物についても、「繊維リサイクル法は制定されないのだろうか?」と素朴に考えてしまうのだが、ここでは省略する)(6)。

豊島の事例では、水ヶ浦と呼ばれる海岸周辺の砂や森林が無断で採取、売買されたと言われている。さらに、その後残された土地に、産業廃棄物が不法投棄されたのである(土地を汚すことでお金儲けをしたとも言えるだろうか?)。汚染された自然環境がつくりだされたという意味ではこれも「自然の生産」にあたるのかもしれない。

それでは、豊島の廃棄物処分地の自然環境・植生の回復についてはどうだろうか。現在、NPO法人瀬戸内オリーブ基金、岡山大学等の協力のもとで、廃棄物処分地周辺の植生の回復作業が進められている(朝日新聞・2020年11月22日・朝刊)。また、2000年の公害調停成立で交わした「調停条項」をもとに、住民・行政・科学者の連携によって、処理協議会等の各種委員会が定期的に開催されている。これもまた多くの利害関係者を巻き込んだかたちでの「自然の生産」に向けた取り組みのひとつと言えるだろう(7)。

大きな代償を払い、長い年月をかけて、豊島・水ヶ浦に不法投棄された産業廃棄物の処理事業が進められてきた事実は、アタカマ砂漠の古着の不法投棄問題のこれからを考える際に、処理事業の方向性という観点から、なんらかの示唆を与えてくれるように思う。

(1)この点は、惑星規模に広がる広範囲の都市化のプロセスを支えるために、大陸中の後背地(ヒンターランド)の資源が地中深く掘削され、効率的な物流システムのもとに運搬されていく様相とも重ねて考えられそうだ。平田・仙波編(2021)を参照されたい。また、淺野・中島(2013)は「自然の生産」論を、「自然の政治学」(自然の生産をめぐる政治・経済関係)、「自然の商品化」「自然の都市化」の観点から整理している。なお、今回は「自然と社会」という枠組みで考察を進めることの限界について触れることはできない。この点は栗原(2021)のアクターネットワーク理論と環境社会学の結節を考える論稿が参考になる。加えて、ロフタス自身は「自然―社会」二元論に批判的であることを付記しておきたい。

(2)近年は、サステナブル・コットンの生産や普及に向けた取り組みが進んでいると聞く。

(3)なお、1980年代には、合成繊維市場の成熟とそれに伴う「天然繊維」ブームのなかで、合成繊維でしか表現できない質感を出そうと、「新合繊」が展開していった(阿部・平野 2013: 208)。「天然繊維の代用品」としての評価から、独自の素材と技術に対する高い評価へと変わっていく契機となったようだ(阿部・平野 2013: 209)。

(4)AFP BB News「砂漠を汚染する「ファストファッション」 廃棄した古着から有害物質 チリ」2021年11月27日(2022年2月16日取得,https://www.afpbb.com/articles/-/3377511)。

(5)豊島の事件での公害調停、2003年以降の処理事業の過程については今回詳細を省く。

(6)ここでの自動車リサイクル法と豊島事件についての記述はリバーグループ発行『ecoo』vol25(2021年)、pp.6-7を参考にした。なお、経済産業省「繊維製品3Rシステム検討会報告書」(2011年6月)では「資源有効利用促進法の品目指定等の法制度による規制強化について、廃棄繊維が大きな社会問題化していない中、結果として事業者や消費者等に費用負担を強いることは、現時点では時期尚早であると考える」と、繊維リサイクル法制定の難しさについて当時の現状分析が示されているようだ((社)日本繊維機械学会繊維リサイクル技術研究会回収分別分科会編 2012: 87)。

(7)住民・行政・科学者の連携とは述べたものの、実際の権力関係の勾配については注視する必要がある。

阿部武司・平野恭平,2013,『繊維産業』日本経営史研究所.
淺野敏久・中島弘二,2013,「自然の地理学――自然と社会の二元論を越えて」淺野敏久・中島弘二編『自然の社会地理』海青社,13-37.
平田周・仙波希望編,2021,『惑星都市理論』以文社.
堀畑まなみ,2001,「産業廃棄物問題と企業責任」松本康監修・飯島伸子編著『廃棄物問題の環境社会学的研究――事業所・行政・消費者の関与と対処』東京都立大学出版会,121-44.
栗原亘,2021,「人新世における脱・人間中心的なポリティクスに向けて――アクターネットワーク理論の環境社会学との連携の可能性に関する一考察」『環境社会学研究』27: 193-208.
Loftus, Alex, 2017, "Production of Nature," The International Encyclopedia of Geography: People, the Earth, Environment, and Technology.
宮内泰介,2017,『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』岩波書店.
仲村和代・藤田さつき,2019,『大量廃棄社会――アパレルとコンビニの不都合な真実』光文社.
Smith, Neil, 2007, "Nature as Accumulation Strategy," Socialist Register, 43: 16-36.
(社)日本繊維機械学会繊維リサイクル技術研究会回収分別分科会編,2012,『循環型社会と繊維――衣料品リサイクルの現在、過去、未来』(社)日本繊維機械学会繊維リサイクル技術研究会.

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