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【リレーコラム】「自然の生産」と繊維・アパレル産業(馬渡玲欧)

PROFILE|プロフィール
馬渡玲欧

日本学術振興会特別研究員PD(ノートルダム清心女子大学)。博士(社会学)。専門は社会学。産業廃棄物処分地の原状回復に関心がある。論文に「惑星都市理論における『自然の生産』の位相」(平田周・仙波希望編,2021,『惑星都市理論』以文社)など。

「自然の生産」とは何か
最近、「自然の生産」という、地理学等で参照される議論について考えることがある。この小論では、「自然の生産」論に触れつつ、その議論と繊維・アパレル産業の関連しそうな雑多な論点をいくつか並べてみることにしたい。
「自然の生産」論について、都市政治生態学という領域で研究を進めているアレックス・ロフタスは次のようにまとめている。ロフタス曰く、「自然の生産」は、歴史的、地理的にみて特殊な実践であり、その実践によって人間は環境をつくる。この環境をつくり出す実践は、共進化的あるいは代謝的プロセスであり、このプロセスにおいて「自然」と「社会」は相互に変容する。「自然の生産」論は、「自然」が原始的な領域であるという信念に対する挑戦である。特に地理学者ニール・スミスは『不均等発展』(1984年)のなかで資本主義社会における「自然―社会」関係や、「自然の商品化」を批判的に検討したと言われている(以上、Loftus 2017: 1)。
人間が自然環境をつくりだす「自然の生産」について、ふたつの特徴がありそうだ。ひとつは、「自然」が売り物としてつくり出されたり、そのまま売られていくというプロセスである。もうひとつは、自然と社会が相互に変容してきたという考え方である。前者について、「自然」を商品として育てて売る、また育てずとも採取・採掘して売ってしまうということは、なんとなく想像できそうだ(1)。
後者についてはどうだろうか。自然と社会が、人間が環境をつくる共進化・代謝プロセスに基づいて、相互に変容してきたとは……結局どういうことなのだろう。壁に突き当たってしまい、当座ロフタスやスミスの議論、また彼らが前提としている議論を精確に掴むことを一旦棚上げにして、積んでいた別の本を読んでみた。タイトルに「自然再生」と入っているが、おそらく「自然の生産」論ともかかわるだろうことを期待して。
野生と人工のあわいとしての「半栽培」
「自然の生産」を理解する手がかりとして、宮内泰介『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』を紐解いてみる。なかでも興味深く読んだ話のひとつが、「半栽培」概念に関する紹介とまとめである。半栽培とは何か。宮内によれば、「半栽培」は「照葉樹林文化論」でも知られる植物学者・中尾佐助(1916-1993)の提起した概念である(宮内 2017: 37)。
宮内は、アマウという木を半栽培の事例として取り上げている。アマウは、人間が植え、品種改良した木ではないので、この意味では「野生」である。しかし、この木は人間が生活している周辺にしか生えない木なのである(宮内 2017: 37)。
同書のなかで述べられるように、半栽培の概念やその事例は、我々に「自然」と「人工」という二分法ではないかたちで自然を見ることを可能にしてくれる(宮内 2017: 39)。なぜその二分法に頼らないのか。それは、「人間のかかわりが十分にあるにもかかわらず、人間が手をつけていない自然であるかのように見立てて、それを『守ろう』と言ってきた」(宮内 2017: 35)状況への批判が背景としてあるようだ(もちろん、人間が自然に対して何をしても良いということにもならない、とされる)。
さて、中尾の説も踏まえながら、宮内自身のまとめとしては、半栽培とは、(1)栽培化のプロセスの途上としての半栽培、(2)生息環境を改変することで植物の生育に影響を与える半栽培、(3)人間の認識の問題としての半栽培(たとえば、ある植物の生育を「わざと」放置すれば半栽培だが、そうでなければ単なる「野生」)の3つが相互に連関しているといえる(宮内 2017: 47)。
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