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【リレーコラム】心を着付ける——実験としての着物生活(江本伸悟)

PROFILE|プロフィール
江本 伸悟(えもと しんご)
江本 伸悟(えもと しんご)

松葉舎主宰。ここのがっこう講師。1985年、山口県下関市に生まれる。2014年、東京大学大学院で渦の物理を研究し、博士号(科学)を取得する。2017年、私塾・松葉舎(しょうようしゃ)を立ちあげ、科学、哲学、芸術、音楽、ファッション、ダンスなど、分野の壁をこえた会話を通じて、こころ、からだ、いのちの探求をつづけている。

松葉舎HP
X(旧Twitter)

「今度の結婚式、ファッションコードは『おしゃれ』らしいですよ」
そんなまことしやかな噂を耳にしたのは、ファッション業界の知人の結婚式にお呼ばれしたときのことだった。式に参加する友人たちと一緒に「今度どんな服を着ていく?」とはなしていたときに、誰かがふと口にした言葉だった。
それが単なる冗談であることは分かっていたが、この言葉はぼくの胸を妙にドキリとさせた。なにぶんファッション業界の人たちが勢揃いする結婚式だ。あたり一面が「おしゃれ」で埋め尽くされることは間違いない。実質的に「おしゃれ」がファッションコードとなる。そんな中、ファッション素人であるぼくが、いったいどのように立ち振る舞えばいいのだろう。ファッションコードがないから真面目に背広なんか着ても浮きたってしまうし、それが一番「ださい」ことだけは分かっていた。
追い詰められたぼくは翌日、浅草の呉服屋をめぐっていた。式に着ていく和服を調達するためだ。
周りがどれだけ「おしゃれ」の気風に満ちていようと、和の装いでそこに立てば、半径数メートル内のファッションコードを歪める、いわばブラックホールのような特異点としてそこに居られるのではないか。その可能性に賭けてみることにした。そうして場の時空を変容させることもまたファッションの役割だろうと、自分に言い聞かせながら式場へと足を運ぶ。明治のはじめ、使節団の代表として和服ちょんまげ姿で欧米に乗りこんだ岩倉具視のことを思いだす。
そんなぼくの異風を、そこに集った人たちはみな「いいね」と言って受け入れてくれた。「おしゃれ」からあえて逸脱することもまた「おしゃれ」である。そんなファッションの懐の深さを体現する空気が、式場をやわらかく包みこんでいた。
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そうして着物にはじめて袖をとおして以来、かれこれ5年以上着物を着つづけている。とくにはじめの3、4年間は、洋服から完全にはなれて、和服だけを身につける生活をつづけていた。いざ着てみると案外着心地がよく、自分には洋服よりも和服が似合っているように感じられた──ということもあるのだが、それだけが和服を一途に着用しつづけた理由ではない。
前々から、装いを変えることで体の振る舞いがどう変わり、それにつれて心のあり方がどう変わっていくのかを、一人の科学者として実験したいと思っていた。ぼくたちは、悲しいから泣き、楽しいから笑うだけでなく、泣くから悲しくなり、笑うから楽しくなることがある。心が体を動かすのみならず、体の動きが、心の動きを作りだしていく。であれば、身にまとう衣服の造形や素材の肌ざわりが身のこなしに変化をもたらし、そこに新たな心情を喚起することもあるだろう。
体と心を変容させるテクノロジーとしての衣服の可能性。「おしゃれ」な結婚式をきっかけにぼくは、みずからの身をていした実験としての和服生活を開始した。
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はじめに訪れたのは、ボディコンシャスな心だった。
たとえば足下に落ちたものを拾おうとするとき、洋服を着ているときと同じように腰をかがめて手を伸ばすと、左右の身頃を前であわせて帯で締めただけの着物は、またたく間に着崩れてしまう。こうした着崩れのしやすさは、ぼくの意識をみずからの一挙一動へと向かわせた。それが和装に適した身体運用への手がかりとなる。歩き方一つとってみても、つま先から足を出すと裾さばきが悪くなる。そこでつま先から股関節、そして腰へと、歩行の起点を体の中央によせていく。そのとき膝を完全に伸ばして歩いては、下半身がコンパスにでもなったかのように落ち着かない。膝をやわらかく曲げて重心をさげ、腰を水平に運ぶようにして足を踏みだす。
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