2021.06.09

【リレーコラム】アバターに服を着せるのはファッションなのか:身体の微妙な役割(松永伸司)

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PROFILE|プロフィール
松永伸司
松永伸司

京都大学文学部メディア文化学専修准教授。専門は美学とゲーム研究。著書に『ビデオゲームの美学』(慶應義塾大学出版会、2018年)、訳書にイェスパー・ユール『ハーフリアル』(ニューゲームズオーダー、2016年)、ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(慶應義塾大学出版会、2017年)、ミゲル・シカール『プレイ・マターズ:遊び心の哲学』(フィルムアート社、2019年)。

ファッションは自分の身体を飾る

ファッションにしろ、インテリアにしろ、ウェブサイトにしろ、素材をいい感じに見えるように飾りつけること、つまり「おしゃれにする」ことが評価されるという点では同じだ。服装は身体を、こだわりインテリアは部屋を、ウェブデザインはウェブページの構造を、それぞれ服や家具やCSSによって飾りつけている。

そうした「おしゃれ」が評価される文化のなかで、ファッションならではの特徴は何かあるのか? ぱっと思いつく答えは、ファッションは自分の身体を飾るという点で独特だ、というものだろう。ここで「自分の身体」という言い方で強調されているポイントは、大きく分けて2つあると思われる。

1つめは、おしゃれの素材としての自分の身体は選べないということ。部屋はより条件のいいところに引っ越せばいいし、ウェブページの構造は(少なくとも求められる機能の範囲内で)好きなように変えられる。それに対して、自分の身体は、ある程度の加工は許容するものの、根本的なところで改変も交換も不可能だ。結果として、ファッションでおしゃれをするには、選択不可能なかたちで与えられたユニークな素材を使わなければならないという縛りがある。

2つめは、自分の身体はいろんな意味で客観視しづらいということ。どんなメカニズムでそうなっているかはともかく、人間の認知は、自分の外見をほかの物体と同じく客観的に眺められるようにはできていないらしい。全体としていい感じの見ためになっているかどうかの判断や、素材にどのアイテムが似合うかの判断は、家具やウェブページに対してするよりも自分の服装に対してするほうが、おそらくはるかに難しい(1)。

この2つの特徴が、さまざまなおしゃれ文化のなかでのファッションならではの特徴だ。と、ひとまずは言ってもよさそうに思える。

バーチャル空間でのファッションは自分の身体を使わない

だが、この特徴づけが微妙に思えてくるケースがある。バーチャル空間でのファッションだ。

ここでは、バーチャル空間のなかでもとくに「メタバース」と呼ばれるソーシャルプラットフォームを想定している。メタバースは、その空間そのものは現実の世界にはないが、そこで行われるやりとり(コミュニケーションや買い物やイベント)は現実のやりとりの代替や延長であるようなタイプのバーチャル空間だ(2)。

古くはSecond Lifeやアメーバピグ、最近であればVRChatなどがメタバースの典型だ。パンデミックの状況下で、『あつまれ どうぶつの森』や『Fortnite』といったオンラインゲームが実質的にメタバースとして機能するケースも増えつつある。

メタバースでは、自分のアバターを飾ることはかなりの重要事項だ。現実がそうであるのと同じように、よほどのずぼらか外見に関心がない人でもなければ、それなりにいい感じになるように(人によっては多大な労力を投入して)自分のバーチャルな身体としてのアバターを飾りつける。バーチャル空間でのファッションアイテム(ただの3Dモデルのデータ、場合によっては2Dの画像!)が売り物になるのも、アバターを飾ることへの欲求があるからにほかならない(3)。

アバターに服を着せることは、直感的にはファッションと言ってよさそうだ。だが、それは先に挙げたファッションならではの2つの特徴を明らかに持っていない。

まず、アバターの身体は選べる。そして選べない部分についてはふつう均質化されていて、ほかのユーザーのアバターとの差異がない。その点で、ユニークさ、選べなさ、交換できなさを持つ現実の身体とはまったく違う。

また、自分のアバターの外見を客観視することはとくに難しくない。アバターの服装をコーディネートすることは、自分の服装というよりも知人や人形の服装をコーディネートすることに近い行為だ。その場合も、センスが必要とされるという意味でのある種の難しさはあるだろうが、自分の身体に何が似合うかを考えるときのあの独特の難しさはないだろう。

だとすると、バーチャル空間でのファッションは本当にファッションなのか?という問いが自然に思い浮かぶかもしれない。この問い自体は不毛なのだが(4)、重要な事実に目を向けさせてくれるものではある。つまり、バーチャル空間でのファッションには従来のファッションとは大きく異なる面があるにもかかわらず、それを「ファッション」と呼びたくなる、という事実だ。

不毛でない問い方はこうだろう。バーチャル空間でのファッションは、どんな意味で「ファッション」なのか。その素材としてのアバターは、どんな意味で「身体」なのか。

コミュニケーションのインターフェイスをいい感じにする

現実の人間の身体にはいろいろな機能がある(5)。そのうちのひとつは、ほかの人とコミュニケーションする際のインターフェイスとしての機能だ。とりわけ顔がその機能の中心を担っていると言えるかもしれない。

たとえば表情や身振りが人の感情を伝えたり読み込んだりするのに使われることはよくあるし、目の動きや会釈などのちょっとした身体の動きがコミュニケーションの経路が開いていることの確認として(つまり一種のpingとして)機能することもある。何より身体は、コミュニケーションの相手が誰なのかを特定するための識別子として機能する。

とはいえ、これはあくまで現実のコミュニケーションにおいて身体が持つ機能だ。バーチャル空間上のコミュニケーションでは、現実の身体がインターフェイスになるわけではない。その役割はアバターがほぼ全面的に代替している(6)。あるいは、アバターは現実のコミュニケーションにおける身体が持つインターフェイスとしての機能をシミュレートするようにデザインされている、と言ったほうが正確かもしれない。

というわけで、アバターは少なくともコミュニケーションのインターフェイスとしての機能を持っているという意味では「身体」だ。そう考えると、バーチャル空間でのファッションは、「身体=コミュニケーションのインターフェイスをいい感じにする」という意味で「ファッション」と呼ばれているのかもしれない。それは、選択不可能でユニークな素材を飾るという側面は失っているものの、それでも現実のファッションが持つ重要な機能の一部を引き継いでいるのだ。

この考えから、さらにいろいろな問いが出てくる。コミュニケーションのインターフェイスをいい感じにするのは何のためなのか(コミュニケーションの円滑さのためか、礼儀のためか、センスの誇示のためか)。現実であれバーチャル空間上であれ、コミュニケーションのインターフェイスが身体である必要はそもそもあるのか(なぜZoomで顔を映すのか、なぜアバターは顔と身体を持つものとしてグラフィカルに表象されるのか)。コミュニケーションのインターフェイスとしての機能と、選択不可能なものであるという現実の身体が持つ特徴のあいだに、何か重要な関係はないのか。身体がユニークで選べないものだからこそ、それを飾りつけることで生まれる意義もあるのではないか(たとえば自尊感情との結びつきのような)。だとすると、そうした意義は、バーチャル空間でのファッションには見いだせないものなのか。逆に、素材が選択不可能であることは、そもそもファッションにとって必要な要素なのか。などなど。

現代のファッション文化が身体を重要な要素として組み込んでいるのは明らかだが、そのなかで身体は、実際には複数の機能を同時に担う、かなり複雑で微妙な役割を与えられているのかもしれない。いずれにせよ、現実のファッションを部分的に継承しつつ部分的に逸脱しているバーチャル空間上のファッションが、身体の役割も含めた従来のファッション文化のあり方について考え直す視点をいろいろ与えてくれるのはたしかだろう。

 (1)これらの特徴については以前文章を書いたことがある。松永伸司「なにがおしゃれなのか:ファッションの日常美学」『Vanitas』4号、165–181頁、2015年。1つめの特徴は、ファッションが自己同一性の維持や自尊感情(場合によってはその欠如や過剰)に強く結びつきやすいという事実を部分的に説明するものだろう。

(2) この点で、メタバースと伝統的なMMORPG(たとえば『Final Fantasy XIV』)は一応区別できる。MMORPGは明らかに架空の世界を舞台にしており、そこに登場する場所やキャラクターもフィクショナルな存在だ。結果としてプレイヤーは、〈現実の自分〉としてその世界やほかのプレイヤーとやりとりするのではなく、その架空の世界のなかに住む、特定のフィクショナルな属性を持った〈キャラクター〉としてやりとりする傾向にあると言えるかもしれない。メタバースには、そのようなフィクショナルなプレイ(ある種のごっこ遊び)を動機づける性格は相対的にないだろう。とはいえ、これは本質的な違いではなく、せいぜいのところ程度の差でしかない。

(3)服装を含むアバターの外見(スキン)のカスタマイズを売り物にした課金ビジネスは早くは2000年代前半からあったらしいが、とくにここ数年で、多くのファッションブランドがバーチャル空間用のファッションアイテムを提供することに積極的になりつつある(現状ではアイテムを販売するというよりマーケティングの一環としてアイテムを無料で提供するという側面が強いが)。2020年には『あつ森』のヒットを背景に、複数のハイブランドがアバター用の服のデザイン(実質的には「マイデザイン」機能用の画像データ)を提供したことで話題になった。たとえば以下の記事を参照。軍地彩弓「高級ブランドが「あつ森」で服を提供する理由。コロナ後のファッション業、カギは若者の新しい価値観」ハフポスト日本版、2020年8月4日。

(4)というのも、「XXはZZか否か」という問いに正面から答えようとすると、テクニカルな定義論争(おそらく哲学者以外の人にとっては退屈で不毛なもの)にしかならないから。

(5) 重要そうな機能をいくつか挙げておくと、同一性を持った人(person)の物質的な支え、行動する際の道具、センシングデバイスとしての機能など。

(6)この点については微妙な事実がある。たとえばVRChatなどでモーショントラッカーを使う場合、現実の身体は文字通りにバーチャル空間上のコミュニケーションのインターフェイスの一部を構成することになる。アバターの外見は現実の身体とは無関係だとしても、その挙動が現実のユーザーの身体の挙動を直接的に反映することになるからだ。このように、メタバースでのコミュニケーションにおいて、現実の身体をインターフェイスの一部として組み込む方向の技術・文化はたしかにある。しかし一方で、現実の身体をバーチャルなコミュニケーションのインターフェイスから部分的に締め出す方向の技術・文化もある。ボイスチェンジャー(現実の身体を不透明化するもの)はそれを示す好例だ。

#Virtual Reality#Virtual Fashion Show
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