2022.11.14

【リレーコラム】アスファルトを歩くーー社会現象としての道路の舗装(中川雄大)

PROFILE|プロフィール
中川雄大(なかがわゆうだい)
中川雄大(なかがわゆうだい)

東京大学大学院学際情報学府博士課程、日本学術振興会特別研究員。専門は都市研究。社会学の視点から、都市計画や建築などを通じた空間形成についての研究を行っている。主な論文に「都市計画導入期における「都市」概念の普及過程」『社会学評論』72巻2号(2021年)、「浅野セメント深川工場をめぐる問題史」『都市計画論文集』56巻1号(2021年)などがある。
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小学生の頃、少しだけ雨の日が楽しみだったのは、長靴を履き、水たまりや泥の上にあえて足を踏み入れてずんずん歩いていけることが、冒険心をくすぐったからかもしれない。

いつの間にか長靴を履くことが面倒になり、今ではよっぽどの豪雨でもない限り、雨の日でも普段どおりのスニーカーを履いて外出している。都市部において水たまりさえ注意深く避ければ、一日中湿った靴下の不快感に悩まされることもない。その結果、私たちはきわめて軽装備のまま雨を冒して外出することが可能となった。

しかし、雨のなか注意深く足元に目を向けてみると、雨水がアスファルトの路面に吸収されたり側溝へと流れたりしていき、路面になるべく水がたまらない仕掛けが施されていることに気付かされる(1)

このようなインフラに支えられているからこそ、私たちは雨の日でも泥に足を取られたり、靴下が水浸しになったりすることなく、普段どおりの靴で道を歩くことが可能なのだ。

雨だからといって、長靴に合わせたファッションに思い悩む必要もない。アスファルトは私たちの生活を文字通り足元から支えているのである。

文明を象徴したアスファルト

だが、言うまでもなく、このような安定した路面は一朝一夕に実現したわけではない。現在はアスファルトで覆い尽くされている東京も、100年前ではその悪路が有名であった。砂利道では晴れた日は乾燥して土煙が立ち込め、雨の日はぬかるみに足を取られることになる。

こうした状況下で、明治末期以降、徐々に普及し始めたのがアスファルト舗装である。舗装にもいくつかの種類があるが 、舗装表面にアスファルト混合物を用いたものが、アスファルト舗装であり、現在ではこれが日本の道路の90%以上を占めている。

アスファルト混合物は、粗骨材、細骨材、石粉によって構成され、それを接着するのがアスファルトだ。原油の精製時に生じる残留物であるこの物質は、低温では固体状に、高温では液体状になる特性を持ち、これらの骨材を結合させるための接着剤の役割を果たしている(峯岸編 2018)。 

このようにして、砂利道は次第にアスファルト混合物で固められていくこととなった。

現在では遊歩者として名高く、多くの都市論を著した永井荷風は、日和下駄を履き、蝙蝠傘を持って東京を歩いていたという。日和下駄とは、主に晴れた日に履く歯が比較的低い下駄のことである。永井はまさしく『日和下駄』と題されたエッセイの冒頭で、以下のように述べている。

日和下駄の効能といはば何ぞ夫不意の雨のみに限らんや。天気つづきの冬の日と雖も山ノ手一面赤土を捏返こねかえす霜解も何のその。アスフアルト敷きつめた銀座日本橋の大通、矢鱈に溝の水を撒きちらす泥濘とて一向驚くには及ぶまい。(永井 1932: 3)

ここで永井がアスファルトと泥濘について対比的に述べているように、当時の東京の路面は大通りから舗装が進められていく過渡期にあった。このような都市空間の変容は、1923年の関東大震災に伴う帝都復興事業によって急速に進むことになる。このときの舗装はアスファルトに限られなかったにせよ、震災前の1921年の舗装率は9%弱であったのに対し、1932年には82%まで達していた(吉川・田中 2009: 27)。

当時の東京にとってアスファルト道路は文明を象徴する存在でもあった。海外の道路の舗装具合は展覧会によって都市住民に観覧されたほか(中川 2021)、1931年には東京市等の後援のもと、都市美協会や交通協会等によって、「東京市道路祭」が開催されている。

現在の観点からすれば、「道路」を祭ることはずいぶん突飛なことのように思えるが、多くの税金を投じて道路を舗装し、かつその道路を清潔に保っておくためには、都市住民が「道路」の価値を尊ぶような意識の啓発が不可欠であった。

その際に配布されたパンフレットにおいても、震災前の道路が雨の日は道路が泥濘と化し、靴が取られて、ゴム長靴がなければ歩くこともままならないことが指摘されている(橡内編 1931)。アスファルトはそうした悪路を克服するための救世主であった。このようにして、近代文明は路面を飼いならしていったのである。

履物と空間の相関関係

このような時代状況において、舗装の程度はその土地の性質を如実に示してもいた。永井がアスファルト舗装として挙げているのも日本橋や銀座という高級繁華街であるが、考現学で有名な今和次郎も、銀座と本所深川における履物の違いに目を留めている。

1925年に発表された彼の調査によれば、銀座では靴を履いている人の割合が多いのに対し、本所深川の調査では最大の30%がゴム底足袋(地下足袋)、そしてそれにゴム長靴と下駄が 25%ずつで続いていた(今 1971: 126)。これは両地域における産業の違いでもあるが、同時に舗装の進捗の違いでもある。

今は帝都復興事業後の東京について、「何故モダン・ガールは東京に現われたかと云えば、 その一つの原因は実に街路の新式化、欧米化にあると云える程にも画期的な新鮮な感触をわれわれに与えるものと化した」と指摘している(今編 2001:60)。

帝都復興事業は街路から都市空間の大規模な変容をもたらすことで、消費文化に彩られる「モダン東京」という舞台を整えることとなった。

このように道路整備が急速に進められていくなかで、アスファルトでも日和下駄を通した永井荷風とは異なり、多くの人々は次第に下駄から靴に切り替えていくようになる。

路面がアスファルトなどで押し固められると、その硬さの衝撃をそのまま足に伝える下駄は好まれなくなり、家の周りではサンダル、外出には靴が履かれるようになった。また、戦後になるとホテルやコンサートホールなどの施設が日本においても拡大し、一般庶民も訪れる場所になったことで、ホールで足音を響かせる下駄を履くことは次第に控えられていったのだという(稲川・山本 2011: 104)。

こうして、少なくとも今が行ったように履物を明確な指標として文化の違いを探るという調査を行うことは難しくなった。それだけ、舗装は履物の平準化を進めたのかも知れない。

都市を支える無意識の構造へ

このように、道路の舗装とは私たちの衣服も含め生活環境を大きく変える一つの社会現象でもあったといえる。人々の生活をたしかに支えているが、しかし普段私たちがその技術を素通りしてしまうことを、都市研究において「技術的無意識」と呼称することがある (Thrift 2005)。

私たちの多くが出かける前に靴を選ぶとき、その日の服のコーディネートや出かける用事を主たる判断基準にすることができるのは、このようなインフラに依存している。そして、近年のインフラ研究や都市研究は、こうした目には見えているけれども意識しにくい都市環境やその背後にある政治・経済的構造に改めて注意を促している。

もっとも、意識しにくいのは単に私たちの足元を支えるアスファルト舗装だけではない。 それがいかにして生産され、それがいかなる環境負荷をもたらしているのかも、都市部からは見えにくい。

たとえば、アスファルト化合物の原料のみならずコンクリートの骨材となる砂も、新興国における建設ラッシュが進むなかで貴重な資源となり、その産出をめぐってときにマフィアが暗躍し、人命が失われていることも報告されている(石 2020)。

都市空間はそれのみで完結しているわけではない。地球規模に広がる人や資本、そして物質のさまざまなネットワークが織りなす一つの特異点として、それは成立している。

アスファルト舗装が舞台を整えた都市で洋装に身を包んでいるという意味で、私たちは 「モダン・ガール」「モダン・ボーイ」の末裔と言えるかも知れない。今和次郎が履物から地域の違いのあり方について考察をめぐらせたように、現在の都市研究も足元から都市を支えるテクノロジーと社会の連関に改めて目を向けていければと感じている(2)

(1)かつてアスファルトは不透水であり、路面から水が流れ、そのまま排水溝に至っていたが、近年では路面の表面を透水層のアスファルトで覆うことにより、水を路床まで吸収するか、一旦透水層が水を吸収した後に、排水口に流す仕組みが採用されている(峯岸編 2018: 98)。
(2)そのような試みの一つとして、Chim↑Pom from Smappa!Group による《道》と称され た一連のアート作品がある。2022 年に森美術館で行われた「ハッピースプリング」展でも、会場に大規模なアスファルト舗装による《道》を出現させ、空間における公共性を問い直しながら「道を育てる」ことが目指されていた。ここでアスファルト舗装は道路を歩きやすくしたり、車両をなめらかに移動させたりするという機能ゆえにではなく、あくまでそこが「道路」であることを遂行的に表現するために用いられている点において、倒錯的でもある。このように、アスファルト舗装は今や《道》を明確に表現するアイコンでもあり、私たちの空間をめぐる想像力を揺さぶる存在となっている。

参考文献
稲川實・山本芳美,2011,『靴づくりの文化史――日本の靴と職人』現代書館.
石弘之,2020,『石戦争――知られざる資源争奪戦』KADOKAWA.
今和次郎,1971,「本所深川貧民窟付近風俗採集」今和次郎『考現学 今和次郎集 第 1 巻』ドメス出版,109-33.
今和次郎編,2001,『新版 大東京案内 上』筑摩書房.
峯岸邦夫編,2018,『トコトンやさしい道路の本』日刊工業新聞社.
永井荷風,1932,『日和下駄 附・江戸芸術論』春陽堂文庫.
中川雄大,2021,「都市計画導入期における「都市」概念の普及過程――都市計画当局の実践に対する学習論からの分析」『社会学評論』72(2): 100-17.
Thrift, Nigel, 2005, “Remembering the Technological Unconscious by Foregrounding Knowledges of Position,” Environment and Planning D: Society and Space, 22(1): 175–90.
橡内吉胤編,1931,『東京市の道路について』東京市道路祭挙行会.
吉川仁・田中傑,2008,「帝都復興事業がもたらした都市空間」内閣府『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月 1923 関東大震災【第3編】』23-39.

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