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『チ。-地球の運動について-』で読み解く、15世紀ポーランドの服飾史

2025.08.04
漫画『チ。-地球の運動について-』は、地動説をテーマにした話題作だ。15世紀ポーランドを思わせる架空の国「P国」を舞台に、異端思想とされた「地動説」を証明するために、命をかけて奮闘する者たちを描いている。今回注目すべきは、当時の衣装が作中で細部まで緻密に再現されている点だ。
本作の服装は史実とどう違うのか? 現代ファッションにはどう繋がるのか? アメリカ服飾社会史の研究者である濱田雅子先生(元武庫川女子大学教授)とともに、知られざる中世ファッションの世界を紐解いていく。

史実をもとに、カジュアルにアレンジされている

『チ。-地球の運動について-』のモデルは15世紀頃のポーランドとされています。当時のポーランドではどんな服装が一般的だったのでしょうか。
フード付きのガウンと、ロングドレスのようなローブが基本だったと思われます。寒さから身を守るため、長い丈が好まれたと考えられます。
この時代の服は、ウールで作るのが一般的でした。ただ、身分の高い人や裕福な人はベルベットや上質な織物(ダマスク)といったものを着ていたようです。
当時の服はどう作られていたのでしょうか。
手作業のオーダーメイドですね。衣服は非常に高価な財産で、一般人は3〜4着ほどしか持っていませんでした。
下着は定期的に取り替えていましたが、上着は同じものをかなり長い間着ていたようです。
作品の第1話に登場する主人公・ラファウは、12歳の男の子で上級貴族の養子です。実際の貴族の子どもの服装との共通点や違いについて教えてください。
©魚豊/小学館
©魚豊/小学館
まず、中世には現代のような子ども専用の服はありません。
当時の子どもは「大人のミニチュア版」の服を着ていました。なので、大人の貴族の服をもとに考察していきましょう。
中世の貴族の服に「プールポアン」というものがあります。兵士の服をもとにした、刺し子状の服ですね。
当時のヨーロッパでは珍しい前開きスタイルの服で、アジアから入ってきたとされています。
丹野郁編『増訂版 西洋服飾史』 東京堂出版 p.104.
ラファウの上半身の服は、これがモデルだと私は推測しています。
実際のプールポアンには肩と袖を結んだ紐をかくす肩章(けんしょう)があったり、えりや袖口にフリルがあったりするのですが、作中ではそうした装飾を省略し、学生服風に描かれています。
史実をもとにアレンジがされているんですね。
そうですね。ただ、下のズボンは史実と大きく異なっています。
16世紀頃まで、貴族は「トランクホーズ」という、柔らかく膨らんだ半ズボンをはくのがステータスでした。これが17、18世紀には「キュロット」という脚にぴったりとフィットする半ズボンになります。
「ある紳士の肖像」 1575年 パリ ルーヴル美術館 :丹野郁博士撮影
半ズボンの下には、今でいうタイツのような「ホーズ」を着用します。この半ズボンが現代のズボン、ホーズが靴下の原型になっていくのです。
ラファウのズボンが太ももまで膨らんでいるのは、このトランクホーズを意識しているのだと思います。そのうえで、長ズボンに変更してあるのが実際とは違うところですね。
ラファウは服の上からベルトを巻いていますが、これは史実でもそうだったのでしょうか。
そうですね。もともとベルトは紐で作られており、採集した植物や道具をぶらさげるものでした。そこから発達して、実用、および装飾品の役割も果たすようになります。
この時代だと、ベルトを使うときと使わないときがあります。使わない場合は、ズボンにつけた紐を上着に開けられた穴に通して結び、ズボンを上着に吊っていました。
これは腰を強調し、貴族らしい見た目や姿勢をしめすものでもありました。

庶民は金色や赤色の服を禁止されていた

続いては修道会に所属する「地動説」の異端審問官、ノヴァクの服装についてです。
©魚豊/小学館
ノヴァクの服装はスタイル、色ともに史実にかなり近いといえます。
当時の修道会は会ごとに着る服の色が異なっていました。たとえばフランシスコ会は灰色、ドミニコ会は白と黒などを使用していました。
そこから考えると、ノヴァクは「ドミニコ修道会の審問官の服」をモデルにしていると思われます。
ノヴァクは長いマントを着ていますが、これは何のためでしょうか。
防寒、雨よけです。マントは着るのも脱ぐのも簡単なので、多用されていたんですね。
身分をしめすものでもあり、所属する団体のトレードマークやカラーを入れることも多かったとされます。
着るときはボタンやフックで留める他、古代から伝えられてきた「フィビュール」というブローチピンも使用されていたと思われます。
古代ギリシャのフィビュール(留め具) 典拠:丹野郁著『西洋服飾史 増訂版』(東京堂出版1999年)p.39.
マントの下に着ている服は、女性もののワンピースのように見えます。
©魚豊/小学館
これがまさに冒頭でお話ししたローブですね。当時は権威をしめす服でもあったので、男性にも広く着られていました。
現代で男性がよく着用するズボンやツーピースは、商業が盛んになってから普及したものです。
馬やロバにまたがって隣町に商売にいく機会が増え、(高い身分の貴族でも)動きやすい服が求められるようになったからです。
ノヴァクとは逆に、観測助手で代闘士のオクジーは、ローブではなく上下分かれた服を着ています。
©魚豊/小学館
オクジーは比較的身分が低いため、権威的なローブより、動きやすいツーピースの服を着ているのでしょう。
ノヴァクやラファウの服装に比べると、オクジーは少し色味のある赤系の服を着ています。
手前がオクジー、奥がバデーニ(©魚豊/小学館)
ポーランドを含めた当時のヨーロッパには「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」という贅沢禁止令がありました。
庶民は絹などの素材を禁じられ、金・銀・紫など高貴とされた色も使えませんでした。
赤も禁止の対象で、それは当時の赤色が大量のカイガラムシから「コチニール」という色素を取る必要があり、高価だったためです。
ただ15世紀以降は、コチニールを使わない鉄から作られた赤茶色の服が安く作られるようになりました。
オクジーが着ているベストはこの染め方をされた色に近く、そのため低い身分でも着られているのでしょう。

現代ファッションの礎を築いた、中世の服

修道士のバデーニは、前に布を垂らしたローブらしき服を着ています。
バデーニとオクジー(©魚豊/小学館)
これはフランシスコ会などの修道会で一般的な服ですね。前に垂らされている布は「スカプラリオ」と呼ばれるものです。
もともとは作業時にエプロンとして使われ、後に信仰や労働への従事の象徴になりました。
女性服についてもお聞きしたいです。作中には、中級〜上級の身分と思われるヨレンタが登場します。
ヨレンタとオクジー(©魚豊/小学館)
作中に登場するヨレンタは、確かに中級から上級の身分だと思われます。彼女の服装を当時の社会階級と照らし合わせてみましょう。
この時代、上流階級の女性は「フープランド」、中流階級は「コット」という服を主に着ていました。フープランドは14世紀末に登場した豪華な衣装で、当初は床まで垂れる袖が特徴でしたが、15世紀にはタイトなゴシック様式のシルエットに変化します。
ヨレンタの服装は、現代のワンピースに近い「コット」に似ているため、彼女は中流階級寄りの女性だったと考えられます。
加えて、移動民族であるドゥラカも登場します。
前がドゥラカ、奥がシュミット(©魚豊/小学館)
移動民族は、中東からヨーロッパにかけて住んでいた民族です。迫害されていたこともあり、地元民になじむ地味な服装が多かったとされます。
ドゥラカが首に巻いているのは、「ネッカチーフ」と呼ばれるものです。
風を防いだり汗をふいたりするのに使われ、特に屋外での作業時には必須でした。現代のスカーフや手ぬぐい、またはマスクの代わりといえるかもしれません。
こうして作品を通して服装の変遷を見ていくと、史実の考証の細かさが際立ちますね。一方で、創作ならではのアレンジもあるのでしょうか。
はい、基本的には史実に忠実ですが、キャラクターの個性を表現するための工夫も見られます。
たとえば、ドゥラカが身に着けているスカーフ風の布。あれは機能面、文化面での必然性に加え、「出自を語らず、姿で物語る」という彼女のキャラクター性を表現する役割も担っていると考えられます。
そうした史実と創作のバランスを知ることができて大変興味深かったです。
最後に、中世ヨーロッパの服が現代に与えた影響についてお聞かせください。
中世ヨーロッパの衣服は、現代ファッションの原点です。たとえばラファウが着用していた「プールポアン」は、テーラードジャケットの祖型にあたりますし、当時のローブは現在のドレスのプロトタイプといえます。上下が分かれたセットアップ、ズボン、さらには手袋や帽子といった小物類も、形を変えながら今のワードローブに受け継がれています。
『チ。-地球の運動について-』を読みながら、日々身に着けている服がどの時代にルーツを持つのか――そんな背景にも思いを巡らせていただけたらうれしいですね。ファッションの歴史を知ることは、今日のスタイルをより深く楽しむ第一歩になるはずです。

ヘッダーキャプション:©魚豊/小学館

PROFILE

濱田 雅子(はまだ まさこ)

神戸大学文学部史学科(西洋史学専攻)卒業。武庫川女子大学大学院家政学研究科修士課程(被服学専攻)修了。博士(家政学)。現在(一財)京都大学名誉教授森下正明研究記念財団主席研究員。元武庫川女子大学教授。日本ペンクラブ会員。西洋服飾文化史専攻。アメリカ服飾社会史研究者。

【著書】

・『改訂版 アメリカ植民地時代の服飾』(せせらぎ出版、2024年)(初版 1996年)

・『黒人奴隷の着装の研究』(東京堂出版、2002年)

・『アメリカ服飾社会史 重版』(株式会社PUBFUN、2022年)(初版 東京堂出版、2009年)

・『パリ・モードからアメリカン・ルックへ アメリカ服飾社会史 近現代編』(POD出版、 2019年)〔ネクパブアワード2022審査員特別賞受賞、〔電子書籍 アマゾン kindle版〕

・『アメリカ服飾史著作集カタログ』(株式会社PUBFUN、2023年)〔電子書籍 アマゾン kindle版〕

他に、著書多数。researchmap参照。

【翻訳書】

・P.F.コープランド著『図説 初期アメリカの職業と仕事着―植民地時代~独立革命期』(悠書館、2016年)など。他に論文、研究報告、講演など多数。

Text by まいしろ

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