JA/EN

AI検索

関連ハッシュタグ

Articles

ニューヨークの喧騒からマヨルカ島の静寂へ──革工房KIKA/NYが選んだ“工芸”としてのブランド

2026.01.29
ニューヨーク・ブルックリンという、都会の喧騒の中でブランドを急成長させたKIKA/NY(キカ・ニューヨーク)。しかし、創設者であるサビーヌ・スパニエルさんとキカ・フリーヘントハートさんはある時、拡大路線に背を向け、地中海のマヨルカ島へと拠点を移す選択をする。
効率やスピードが重視される現代において、あえて「小さくあること」を選んだ2人の女性革職人。彼女たちが語る、ものづくりの原点と「ゆっくりとした、人間的であること」を核としたブランド哲学に迫る。

PROFILE

左:キカ・フリーヘントハート、右:サビーヌ・スパニエル

ともにオランダ出身の革職人であり、著名な革製品ブランド「KIKA/NY」の共同創業者。2009年に誕生したブランド「KIKA/NY」のもと、高品質なハンドメイド革製品を製作している。古来の技法とミニマルでファッショナブルなデザインを融合させ、時代を超えた作品を生み出している。

伝説の職人バーバラ・シャウムとの出会いとニューヨークでの葛藤

90年代、バーバラ・シャウムの工房で働くキカ
KIKA/NYの原点は、ニューヨークのブルックリンにあった革工房にある。当時、キカさんはバーバラさんとこの工房で一緒に働いていた。映画学校に通うキカさんは、その通学路にあるバーバラさんの店に魅了されていたのだ。バーバラさんは、ラルフ・ローレンやカルバン・クラインといった著名なデザイナーも助言を求めたほどの伝説と呼ばれる革サンダル職人であり、ニューヨークシーンを象徴する人物の一人であった。
キカさんは、学校での現像待ちの時間を利用してバーバラさんのもとへ通い詰め、やがて弟子入りを認められた。そこから15年に及ぶ修業の日々が始まった。革職人として、伝説といわれるバーバラさんは職人気質で気難しい一面もあったが、彼女によってフランスやマサチューセッツ州プロビンスタウンで培った伝統的な技術と、職人としての倫理観を徹底的に叩き込まれたという。
「技術、素材、仕上げ方、そのすべては彼女から学んだ15年間に端を発しています」とキカさんは振り返る。
その後、サビーヌさんとキカさんは「KIKA/NY」を立ち上げ、バッグや小物の製作を開始した。ブランドはニューヨークで順調に成長し、ネイビーヤードに店舗を構え、多くのメディアに取り上げられるようになったが、事業の拡大とともに、彼女たちは違和感を抱き始める。
24時間体制で働き、コラボレーションや写真撮影に追われる日々。生産規模が大きくなるにつれ、外部への委託や分業化が進み、「誰かのために何かを作る」という手の感触が残るクリエイションが失われていったのだ。
「関わる人が増え、成長に成長を重ね、ついに燃え尽きそうになり、楽しめなくなっていました」
成功の只中で感じた喪失感。それが、彼女たちに大きな決断を促すことになる。

マヨルカ島への移住と「人間的な」ペースの回復

手作業による丁寧な縫製
COVID-19の流行も重なり、2人はニューヨークを離れ、スペインのマヨルカ島へ拠点を移すことを決意した。それは単なる移住ではなく、ビジネスモデルの根本的な転換でもあった。急成長を追う「ブランド」としてのあり方から、職人としての「クラフト(工芸)」へ回帰することを選択したのだ。
現在のKIKA/NYは、意図的に小規模な運営を行っている。かつてのような大量生産や卸売りは減らし、顧客と直接対話しながら製作する受注生産に近いスタイルへと移行した。
「今の仕事はほぼ一対一です。これはバーバラのもとで働いていた頃に学んだスタイルです」
顧客はオンラインを通じて、バッグの色、ファスナーの種類、ストラップの向きなどを細かくオーダーできる。製作には数週間を要するが、顧客はその「待つ時間」さえも楽しんでいるという。キカさんは製作途中の写真を撮影し、「今、作業の半分まで進みました」と顧客にメールを送る。すると、顧客からは喜びの返信が届き、製品が完成して手元に届いた後には、旅先でそのバッグを使っている写真が送られてくることもあるそうだ。
「ニューヨークでは全てがとても忙しく、速いペースの日々で、こんなことは絶対にできませんでした。今は、お互いに楽しむ時間や、人生、この島の美しさ、家族を味わえる余裕があります」
マヨルカ島での生活は、創作のための静寂と余暇を彼女たちに与えた。ジムの後の午前11時から作業を始め、夜遅くまで集中して革に向き合う。焦ることなく、納得のいくまで手仕事に没頭する。規模を縮小し、ニッチな市場に留まることで、彼女たちは「人間的な」ものづくりのペースを取り戻したのだ。

素材が語る機能美と引き算のデザイン

KIKA/NYの製品を特徴づけるのは、その静謐な佇まいと、使い込むほどに美しさを増す素材の力である。彼女たちが使用するのは、イタリア・トスカーナ地方の老舗タンナー「Conceria 800社」による植物タンニン鞣し(なめし)革だ。
化学薬品を使わず、樹木やオイルなどの天然素材のみを用いて時間をかけて鞣された革は、厚みがありながらもしなやかで、豊かな表情を持っている。植物タンニン鞣し革は、クロム鞣しの革とは異なり、使用者の手の油分や日光、雨などの環境要因によって劇的に変化する。いわゆる「パティーナ(経年変化)」だ。10年使い込んだバッグは、持ち主のライフスタイルを映し出し、唯一無二の存在へと育っていく。
この素材の魅力を最大限に引き出すため、KIKA/NYのデザインは徹底した「引き算」によって成り立っている。新しいアイディアが浮かぶと、まずサンプルを作成し、そこから不要なポケットや装飾を削ぎ落としていく。
「私たちの仕事、デザインの半分以上は、彼ら(タンナー)の技を際立たせることに費やされていると言えるでしょう」
デザインのインスピレーション源は、ヒマラヤのトレッキングパックや日本の籠、初期のアメリカ式の郵便バッグなど、時代を超えて実用的だった道具たちだ。美しさ、機能性、普遍性。この3要素を兼ね備え、何十年もの酷使に耐えうる構造を追求している。
製作工程はすべて手作業だ。型紙に合わせて革をナイフで裁断し、縁を漉き、接着し、縫製する。特に縁の仕上げには、一般的なコバ磨きとは異なり、染料を使わず、ワックスと機械を用いて革そのものを密封するように仕上げるため、6〜7時間を要することもあるという。
「非常に手間がかかります。効率的ではありませんが、そこにも価値があると信じています」

デジタル時代の職人技と継承の危機

マヨルカ島で理想的な製作環境を手に入れた一方で、KIKA/NYは現代の職人が直面する共通の課題とも向き合っている。その一つが、技術の継承だ。かつてニューヨークの工房には多くのインターン志望者が訪れたが、現在では「本気で技術を学びたい」という若者は減少しているという。専門的な技術は習得に長い時間を要する一方で、金銭的な成功が保証されているわけではないためだ。
また、ビジネスを取り巻く環境も変化している。かつてはInstagramなどのSNSが小規模ブランドの成長を助けたが、現在はアルゴリズムの変化や情報の飽和により、その効果は薄れつつある。さらに、国際的な配送コストの高騰も、スペインから世界へ製品を届ける彼女たちにとって大きな負担となっている。それでも、KIKA/NYはテクノロジーを完全に否定しているわけではない。サビーヌさんは、足のサイズを計測するデジタル技術や、製作過程を伝えるデジタル技術の可能性に興味を示している。
「人間の本質にある『触れること』への渇望が、反動的な動きを生むと思います。人々は触れて感じたいと思うようになると思うのです」
デジタル化が進む世界だからこそ、物理的な手触りや、作り手の顔が見えるものづくりへの回帰が起こる──そう彼女たちは感じている。KIKA/NYの選択は、現代における「成功」の定義を問い直す。急速な拡大や売り上げの最大化を目指すのではなく、自分たちが信じる品質を守り、顧客一人ひとりと向き合い、人間らしい生活を営むこと。マヨルカ島での彼女たちの実践は、規模を追わないことで得られる豊かさがあることを示している。
「私たちはものづくりができて幸せなんです」
ブランドである前に、クラフトであること。その誇りを胸に、KIKA/NYは今日もマヨルカ島の工房で、静かに、しかし力強く、革と向き合い続けている。

Tags

この記事はいかがでしたか?

シェアリンクをコピーしました

Related Articles

Related Database