芸能人でもモデルでもないながら、現在Instagramのフォロワーが245万人を誇る「D(@d_japanese)」という青年。2020年10月23日から11月3日までの期間、彼が設立した「Nyan Co.」というサービスの展示が、HOTEL KOE TOKYOで行われた。インフルエンサーが立ち上げるアパレルブランドの王道的な手法をとらず、服から飲料、化粧品まで多種多様な環境に配慮したプロダクトを取り揃え、売り上げの12%を猫の殺処分をなくすための活動に回すというもの。
今回はそんな謎につつまれたインスタグラマー「D」に迫りながら、SNSというバーチャル空間で影響力を得た先に何を想うのか、唯一無二のインフルエンサーとしての哲学に迫ってみた。
6、7年前はまだSNSの選択肢はあまりなくて、TwitterかFacebookくらいでInstagramやYouTubeが入り始めたくらいでした。そこでInstagramはすごいいいよって、専門学校でファッションブロガーの人が教えてくれ、そこでやってみようかなって。
今は楽しいですよ。特に、企業の宣伝をやめてから楽しくなりました。3年前ほど前は僕も東京に来たばっかりで、PRも当たり前だと思ったんですね。今はそれをやらないほうが楽しいなって思います。
消費されないというところでしょうか。単純に、僕の性に合わなかったなと思います。それ自体を否定する気はないし、インスタグラマーはそれで収入を得て生活する人が大半なので、それは全然いいと思いますが、当たり前のことと逆のことをやることで色んな人が驚いてくれるんですよ。
そんなことないですよ。生活レベル上がれば勇気がいると思うんですが、僕はそもそもの生活レベルを上げなければ、そんなにお金っていらなくて。むしろ良好な人間関係だったり、健康のほうを大事にしています。そしてクリエイティブなことを本当に楽しい人たちと一緒にやったり、またそれを何か社会に還元できるようなサービスとして展開したりするほうが、幸福度が高かったので、別に勇気はいらなかったですね。
いや、それはまたちょっと違いますね。自分のできることの限界を毎回超えていかないと、自分の成長はないと思っています。僕は僕なりのやり方で限界を超える仕事をやりたかったんです。ただ、それがインスタグラムのPRではなかったという話です。
自分のできることだけをやろうとすると、成長はないんですよ。成長しないと、人間なんて変わらないんです。自分のレベルが上がれば、自分の周りの人たちも変わっていくだろうし。なので、自分のレベルは絶対上げないといけないと思っています。
なんでしょうね、僕はやっぱり、日本にいても世界の人と繋がれるというのがInstagramの素晴らしさだと思っています。特に写真は言語の壁がないので、それがTwitterやFacebookではなくて、Instagramでなきゃならなかった理由です。そこで僕は、106か国語くらい翻訳して載せるということを毎回やっています。それをフォローしてくれる人たちは、やっぱりみてくれていますし、ストーリーとかで紹介してくれますね。特に日本よりも海外の人たちの方が、ストーリーで紹介とかをしてくれるように思います。自分がいいと思ったものを紹介するという文化が強いですね。なので、国内向けに発信してたら無理だったと思います。
でも、そうしていくなかでも、国内のメディアさんや親しい人たちが一緒に仕事をしてくれるおかげで、国内でも徐々に知ってくれる人が増えてきたってという感じですかね。
自分は唯一、他のインフルエンサーと違うところがあって、それは活動の名前が「D」だけでやってるので、エゴサーチに引っかからないんです。この時代において、それは最強です。普通に街を歩けるし、そんなに有名人でもないと思っています。
あんまりないですね。でもそれが一番良くて、知ってる人だけが知ってる。本当にコアに繋がれる方が、良いことが多いですね。もともとは外国で覚えてもらいやすかったからアルファベット1文字にしたんですが、今になっては武器になりましたね。なんとなく有名になることはよくなくて、自分は興味ないですね。
今のところはないですね。やっぱり、言語の壁を超えれないというのが大きくて、Instagram以外で言語の壁を超えていけるサービスが、今はまだ僕の中で見つかっていません。だったらInstagramに注力した方が良いなって思っています。
特には、ありません。とにかく、フォロワーさんに楽しんでもらえることが1番ですね。PRを打たないことも、そこに繋がっています。自分のためにSNSを利用するというのは、日本独特の考え方だとも思います。本当はこうしたいけど自分の意思を押し殺して、でも自分の中では成功したいと思ってる人たちが多い。いいとこ取りなんですよ。でも全部良いとこってなると器用貧乏になっちゃうじゃないですか。それだと、SNSだけで成功できることは少ないと思います。
特に年配の方の偉い人たちからは、僕みたいな考え方はよくわからないって言われます。僕が君だったら、いっぱい広告打って、いっぱい儲けて、別荘立ててスーパーカー買ってみたいになると思うけど興味はないの?って。もちろん、興味はある。僕は人を豊かにするサービスを提供しているから、やっぱ高級なものには高級なだけの理由があるとも思っています。だからそういう物にも触れて吸収しないと、提供する側にはなれないので興味はありますし、調査したりもしてサービスに活かされているとも思いますが、自分の中での優先順位が低いんですよ。
そうですね、今はファッションを発信せずに切り替えています。実際のところ、ファッションに関心が高い人ってそこまで多くないです。ファッションそのものの情報よりも、世界観とか雰囲気といった形で、自分がそれを着て発信することの方が喜んでもらえます。
分けてますね、アカウントも公開のものと友人のみで非公開のものに分けてます。分けてるからこそ、多方面でいろんな見せ方ができる。
バーチャルな空間は多分、現実より自由度が高いんじゃないですかね。現実社会だと、色々な制限があって、できないことの方が多い。現実ではできないと思ってる自分がいるからこそ、何にも取り組めかったり、馬鹿にされるかもしれない、相談もできないと、様々な環境下で一歩踏み出せないこともある。でもバーチャルの世界は時間を忘れて楽しめて、みんなが自分が成し遂げたことでお金が増えて、島まで作れる。1人1人が自由にアレンジできるし、友達の島にも遊びにいける。この自由な表現が可能なところはやっぱり強いと思っていて、バーチャルの世界は快楽の方に近いのかなって感じています。
でもね、客観的にはバーチャルの世界は自由度が高いと見ているんですが、僕はやっぱり、現実でいろんな人と関われて仕事する方が楽しいですよ。学びがある。バーチャルの世界に時間を費やしても、現実戻ってきたときに何もないじゃないですか。逆に、何か現実にも残るものがあるなら、それはそれですごいですけど。
そうですね、もちろんデジタルの部分を活用しつつですが、デジタルで最先端の潮流とは逆を行く方が自分の性に合っている。1番大事なのは人と会って話すこと、動物と触れ合うこと、環境を大事にしたりすることですね、僕の中では。確かにバーチャルの世界は自由ですが、リアルではそれが少ないと思ってる人が多い。そう思ってる以上は現実では何進まないだろうし、何も変われないって思っています。
猫の殺処分を減らすことですね。そしてニャン公というキャラクターを愛してもらえるようになること。あとは、それと同じくらいにフォロワーさんに楽しんでもらえることですかね。あとはもう、何もないですね。
やりたいことはいっぱいあるけれど、やりたいことでお客さんが満足してくれるかってことは別じゃないですか。需要と供給が合ってなければ自己満足だろうし。そこをしっかり分析してやらないといけないので、自分がやりたいことというのは優先順位が低いです。その上でやると決めたことを突き詰めて、素晴らしいものを作ることに専念していかなきゃって思います。
明確なインプット源は特に思いつきませんが、イノベーションの機会は普通に過ごしてても見つかると思います。見つけようと思って過ごしてたら、見つけられるんですよ。アイテムも、探すというよりかは、仲良くなった人とやるというのが近いですね。
まずは今回の復習ですね。改善点を出してブラッシュアップする。それは、今回のようにリアルにお客様から聞ける場所があったからこそ見つかったのだろうし、主観ではなくて客観的に教えてもらえたことです。だからこそ、すごくやりがいを感じているし、次回はもっと良いものが生まれる自信もある。また次回は、今回足を運んでくれたお客さんが、友達や知り合いを呼んでくれるかもしれない。なんだか、そういうコミュニケーションのあり方の方が楽しいなって思っています。
インターネットでやるのは楽だけれど、相手の顔も見れないしね。僕の服がどういう風に着られるのかもわからない。それだと何か、お金としての対価しか得られないのだと思います。
Instagram上でのクールでミステリアスな印象と裏腹に、ひとりひとりの来場者に丁寧に接客する「D」は親し みやすく、また確固たる意志の強さも感じさせる。日本でも屈指のインスタグラマーでありながら、SNSのネガティブな部分を上手く交わしてリアルを重視する彼の姿勢は、SNSとの使い方を熟知したインフルエンサーとしての明確な哲学に支えられているのだ。
SNSやECからゲームと、バーチャルなプラットフォームの重要性が高まる一方な状況だからこそ、バーチャルとリアルの狭間でのアイデンティティの表現、またそこで消費されない自分でいるために必要なことを、私たちは「D」から学ぶことができるのではないだろうか。