今回は、そのラバーソールがどう生まれて、どういう歴史をたどってきたのかを、ヒットユニオン株式会社 GEORGE COX アジア デベロップメント マネージャーの永冨晃二さんにお話しいただいた。
スイミングプール跡地を工場に
「GEORGE COXは1906年、イギリスで始まります。創業者はジョージ・ジェームズ・コックス氏。彼はビール工場で働きながら副業として靴作りを始めます。最初は黒と茶のダービーシューズとオックスフォードシューズを販売していました。その後、イギリスで靴作りが盛んなノーサンプトンから程近い、ウェリングボローの街で、元スイミングプールだった建物を改築して、靴工場を作り、その工場をキャッスル・ワークスと名付けたそうです」
クリーパーソール、クレープソール、ラバーソールはすべて同じ意味
1949年にはじめてラバーソールが作り出される。ジェームズ氏から会社を継いだ息子のジョージ・ハミルトン・コックス氏の時代のことだという。そのあたりの語り継がれている話を聞かせていただこう。「日本でラバーソールやクレープソールといわれているものは、イギリスではクリーパーソールと呼ばれています。このクリーパーソールは軍物が元となっていて、砂漠地帯で履かれていたデザートブーツは天然ゴムのクレープソールでできており、アフリカ戦線から戻ってきた帰還兵の靴を見て、『このソールを使おう』となったのがきっかけだと言い伝えられています。
こうして最初に作られたモデルが『DAB.(ダブ)』といいまして、一番ポピュラーな4番ソールという前側20mm・後側33mmのソールの厚さのものがつけられています。さらにバイキンググリッドという、つま先の飾り縫いも特徴的です。
一説によると釣り好きだったハミルトン氏が釣り用のシューズがこの“バイキンググリッド”の仕様のヒントになったといわれています」
テディーボーイたちが愛したラバーソール
1950年代、「DAB.」が発売されると、瞬く間に若者たちを中心にGEORGE COXのラバーソールは人気となっていき、戦後最初のイギリスサブカルチャーとも言われている。テディーボーイ[1]たちの間で、ラバーソールはなくてはならないファッションアイテムのひとつになったからだ。ここからは彼らに愛されたアイテムを見ていこう。「当時の代表の名前がついた、ハミルトンシリーズと呼ばれるカテゴリーから『DACE.(デース)』と『ALASKA.(アラスカ)』というモデルがリリースされます。プロトタイプDAB.のシューレース部分がD管仕様になったDACE.と太めのベルト一本で止める、シングルモンク仕様のラバーソールで代表的な存在のALASKA.。
つま先には“インターレース”という特徴的な仕様が施されています。この2型とも現代のラバーソールとなんのデザイン変更もなく、リリース当初からすでに完成されたデザインになっていると言えるでしょう」
GEORGE COXはハミルトンシリーズに加え、さらに新作をリリースしていく。そして、テディーボーイからロカビリー、ロック、パンクス、さらには、有名バンドやミュージシャンにも愛されるようになっていく、アイテムを見ながらさらに話を進めていこう。
「1949年にラバーソールが生まれ1950年代、1960年代、1970年代、でGEORGE COX社はハミルトンの義理の息子ノリー・ウォーターフィールド氏が3代目の経営者となり、この頃になると伝説のバンドやロックスターにも愛されGEORGE COXとしてもさらに新モデルをリリースしていきます。
今までは1型だけだった木型も、新たにつま先のシャープなタイプが作られ『Diano(ディアーノ)』というモデルが誕生します。このDianoの木型を使って世界的に有名なパンクロックバンド『ザ・クラッシュ』のボーカル兼ギタリスト、『ジョー・ストラマー』のシグネチャーが入り、つま先にメダリオン柄をあしらったモデル『Strummer Monk(ストラマー モンク)』が誕生し、現在でも人気のモデルになっています」