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2024.03.06

これぞmade in JAPAN!「Jackman(ジャックマン)」の吊り編み機で編まれた地厚Tシャツ

福井県の自社工場で生産されるTシャツをはじめとしたこだわりのハイクォリティなアイテムでファッションマニアのファンも多いブランド「Jackman(ジャックマン)」。
ブランドを紐解くとそこには長い歴史があった。今回はヒットユニオン株式会社の田後健一さんにお話を伺った。

マッカーサーが呼んだアメリカ3A野球チームがもたらした転換期

Jackmanというブランドを説明するには会社の歴史から話していただくのが良いだろう、加えて創業者が野球好きというのもこのお話の大切なポイントとなってくる。
「1949年、福井県で『田辺メリヤス製作所』という屋号で起業します。創業者は『田辺 貢(たなべ みつぐ)』という人物で、3台の編み機を購入し6畳一間から3人でスタートをしました。
開業当時はメリヤス編み[1]の女性用のタイツなどを作っていたのですが、1953年ごろにマッカーサーが日本に駐留しているアメリカ軍の慰労のためにアメリカから野球チーム、『サンフランシスコ・シールズ』を呼んで日本の野球チームと試合をしました。
野球好きの田辺氏はそれを観にいき、アメリカのチームが履いている足掛け式のストッキングが日本のものと違ってカッコイイと思い、自社の編み機で作りはじめたそうです。その後、甲子園出場チームに無償でそのストッキングを提供していました。
戦後でまだ裕福ではない時代、高校球児のためにと思って提供していたと思うのですが、それが評判を呼びスポーツウエアを作る会社として田辺メリヤス製作所は発展していきました」
田辺メリヤス製作所製の野球用ストッキング
田辺メリヤス製作所製の野球用ストッキング

1964年の東京大会では日本選手団への製品提供

野球のストッキングをきっかけにユニフォームやグローブ、その他にさまざまなスポーツウエアを手がけるようになっていった田辺メリヤス製作所にさらに大きな出来事があったという。
「1964年に開催された東京大会では日本選手団のトレーニングウエアの一部は田辺メリヤス製作所で作ったもので、体操着や、練習着などを提供しました。この出来事は当時の田辺メリヤスとしてもたいへん大きな出来事でした」
ヒットユニオン株式会社に保管されている資料 1964年、東京大会日本選手団入場の様子
ヒットユニオン株式会社に保管されている資料 1964年、東京大会日本選手団入場の様子

ホームランバッターという意味のJackmanブランドが登場

東京オリンピックから数年が経った1967年にJackmanというブランドが誕生する。
当時のJackmanはスポーツウエアとしての側面を持ったアイテムが主軸だったようだ。
そこから50年以上の時を経てブランドがどう移り変わっていったのかを引き続き伺っていこう。
「ブランドネームは“ホームランバッター”という意味がありまして、ここでも創業者の野球好きならではの発想でネーミングされたのですが、当時はスクールジャージなどを作っていました。
生地は織物ではなく編み物なので伸びますし、縫う人によって個体差が出てくるので熟練工が必要なんです。ひとつの製品を作るのに10台ぐらいのミシンが必要だったりするのでラインを組んで作るのですが、学校で着るジャージは3年以上着るものなので途中で破れたりほつれたりしないように、1着、1着時間がかかってもタフなものを作る必要があります。それが1970年代になると日本でも高速で縫えるミシンが登場し、新しいミシンに入れ替えられ、丁寧に縫えるが低速の従来のミシンは使われなくなっていきました。
創業から20年ほどが経ち社名もいまのヒットユニオン株式会社に変わります。さらに時は流れて2011年に、50年ほど前に使っていた低速でも丁寧に縫えるミシンを再び引っ張り出してきて現在の形のカジュアルブランドとしてのJackmanの服作りがはじまりました」
自社 縫製工場
自社 縫製工場

4番バッターは“自立”するほど地厚なTシャツ

会社の歴史とJackmanのルーツがわかったところでブランドの揺るぎない定番アイテムを紹介していただこう
「春夏ですとJackmanの4番バッターは『Dotsume T-Shirt(どつめ ティーシャツ)』です。
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