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2023.10.07

伝説のコラボモデルが復活!満を持して登場する ニューバランス「MT580 GTX MASTERPIECE SOUND × Hombre Niño × mita sneakers」とは?

2000年の発売当時、画期的であったショップ主導のコラボモデルの先駆けとなった「MT580 HECTIC × mita sneakers(MT580 ヘクティク×ミタスニーカーズ)」。2023年10月7日、7年の時を経て、伝説のコラボ「MT580 GTXマスターピースサウンド×オンブレ・ニーニョ×ミタスニーカーズ」として復活! 
今回はそんな珠玉のコラボがどのようにして復刻したのか、その開発秘話と件のコラボモデルのこだわりや特徴を、仕掛け人であるミタスニーカーズのクリエイティブディレクター国井栄之さんと、今回のコラボに携わったニューバランスの正能哲也さんにお話を伺った。

伝説のコラボモデルは既成概念との闘いだった

1996年にオフロード用ランニングモデルとして誕生した「MT580」。当時はワゴンセールになるほど知る人ぞ知るというモデルも、2000年代のストリートシーンで誕生した伝説のコラボによって世界中にその人気が広まった。
2000年12月に発売されたMT580 HECTIC×mita sneakersの第1弾。落ち着いたアースカラーのカラーリングが人気を博した
2000年12月に発売されたMT580 HECTIC×mita sneakersの第1弾。落ち着いたアースカラーのカラーリングが人気を博した
「最初のコラボがリリースされた当時は、インラインの企画/デザイン担当でした。国井さんとは、プライベートでも仲良くさせてもらっていたので常に情報交換はさせてもらっていて、開発したモデルのフィードバックをもらったりしていました」(正能さん)
「あのコラボモデルは編集されると輝かしい歴史のように見えますが、個人的には既成概念との闘いでした。元々、コラボモデルのプロジェクトをスタートさせたときも、右も左もわからない20代の若造で、そんな僕がニューバランスの会議室で大人の前でプレゼンする。“HECTIC(ヘクティク)”とはどういったストリートブランドで、協業によってどういったシナジーが生まれるのか……といった感じでプレゼンしました。
モデル自体の認知度も低かったし、当時のスニーカー好きすべてがストリートブランドに理解があったわけではありません。もちろんmita sneakersよりも知名度や影響力を誇るショップも多かったなかで、ひとつひとつのプロセスに追い風どころか、逆風が吹いていたのも事実です」(国井さん)
2001年9月に発売された第2弾は、過熱するストリートファッション人気を背景に過熱し、販売数も多かったものの、瞬く間に完売した。ミリタリーカラーとトリコロールカラーは斬新だった
2001年9月に発売された第2弾は、過熱するストリートファッション人気を背景に過熱し、販売数も多かったものの、瞬く間に完売した。ミリタリーカラーとトリコロールカラーは斬新だった
当時はスポーツブランドとストリートブランドの協業は稀で、“コラボ”という言葉さえない時代。ニューバランス信者は“メイド イン USA”や“メイド イン UK”に価値を見い出していたので、アジア製である「MT580」の価値を、どうアピールすればいいか手探りの状態だったそうだ。
だが予想に反し、コラボは大きな反響を呼び、伝説として第2弾、第3弾へと続いていった。
2001年12月に発売された第3弾も即完売。トレッキングシューズのようなカラーが秀逸。この熱狂はストリートブランドがスニーカーとコラボする足がかりとなっていった
2001年12月に発売された第3弾も即完売。トレッキングシューズのようなカラーが秀逸。この熱狂はストリートブランドがスニーカーとコラボする足がかりとなっていった
「コラボモデルがあまりない時代だったので、2つの側面から見ていました。ひとつは、ブランドとしてです。ニューバランスの人間としてはいろいろありましたが、コラボモデルとしての感慨。そして、もうひとつは、1ユーザーとしてです。HECTICさんやmita sneakersさんのアイディアが入ることで、新たな価値が加わり、当時の裏原カルチャーと呼ばれる文脈のなかで単純に凄いな、という驚きがありました。もちろん社内的にも、かなり盛り上がっていました」(正能さん)
 「紆余曲折あった第1弾でしたが、第2弾からはありがたいことに人気に火が点き、靴としてはじめて抽選販売を行いました。ちゃんと欲しい人に届くように、という願いから行った抽選販売も、一部のユーザーからは“客を選ぶのか”というクレームもあったし、第3弾のときも抽選チケットの転売や並びでのトラブルが起こるなど、常に対応に追われました。
当時だとフリーマーケットやヤフオクなどの2次流通で高額で取り引きされるなど、本質的な価値とは違うところに惹かれている方々をコントロールするのも一苦労でした。改めて振り返れば、小売りとしての販売方法の模索と進化が“MT580”の歴史でもあります」(国井さん)
こうしてスニーカーのコラボモデルは、ストリートのカルチャーとして根付いていったのだった。
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