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2024.07.24

「下北沢」はいかにして古着の聖地となりえたか? 東洋百貨店オーナーに変遷を聞く

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東京都世田谷区に位置する下北沢。駅裏の通りを服好きのZ世代とインバウンドの観光客が行き交う。ここはおよそ200店舗の古着屋がひしめく日本屈指の「古着の聖地」である。
渋谷を挟んで電車で10〜20分ほどの近さにある表参道や代官山とはまったく風景が違う。ハイブランドのフラッグショップはなく、立ち並ぶビルはどこか古びている。しかしながら、間違いなくファッションの自由があふれている。
世界でも稀にみるユニークな街の成り立ちと今後について、東洋興業社長・しもきた商店街振興組合副理事長の小清水克典さんに話を聞いた。
PROFILE|プロフィール
小清水 克典(こしみず かつのり)
小清水 克典(こしみず かつのり)

東洋興業株式会社 代表取締役社長
しもきた商店街振興組合 副理事長 街づくり委員長

下北沢の古着文化を牽引する「東洋百貨店」

小清水さんは下北沢で生まれ、育った。そして現在は地元の不動産を管理する「東洋興業」のトップとして、また「しもきた商店街振興組合」副理事長としてこの街の発展に関わり続けている。
東洋興業が運営する「東洋百貨店」は、日本の古着文化を語るうえで外せない存在だ。
下北沢駅の北口を一本入ったところの裏通りにこのビルはある。1フロアに約20店舗、ここでしか出合えない物品が並ぶ。小清水さんは2004年に東洋百貨店をオープンした。
「東洋百貨店にはさまざまな業態ショップが入居していますが、必須条件は『一点もの』『手作りのもの』『オリジナル商品』を扱うことです」
東洋興業は管理していた駐車場の跡地にこの施設を作った。薄暗い入り口の奥には、ハンドメイドの時計店、作家に店内の小さなブースを貸して販売を代行するショップ。そして「一点もの」の古着屋が軒を連ねる。ここでビジネスをスタートし、巣立っていったファッション業界人は数知れない。東洋百貨店はこの20年の下北沢文化の象徴と言える存在なのだ。
「お金がない若い人でも、できるだけ安く開店できるようにしたかった。未完成でも、情熱がある人々が集まるように。下北沢は『闇市』から始まった街ですから」
東洋百貨店は下北沢の戦後史を背負った施設でもある。1940年代に遡ろう。

闇市からサブカルチャーの拠点へ

戦後、下北沢には古着屋もカレー屋もなかった。駅の横には、各地から食料品・物品が集まり、市場を形成した。
「もともと下北沢は世田谷区のなかでも将校などが住む閑静な屋敷街でした。そこに戦後闇市が立ち、屋根がのって、駅の隣が『下北沢駅前食品市場』に発展しました。それから長らく主婦の方の買い出しの街だったんです」
かつて小田急線の旧下北沢駅北口にあった下北沢駅前食品市場は、2013年に解体された
かつて小田急線の旧下北沢駅北口にあった下北沢駅前食品市場は、2013年に解体された
上野アメ横商店街と同じように成立した「闇市」としての下北沢。その景色が変わりはじめたのは60年代、街を動かしたのはやはり女性の力だった。最初に下北沢に参入した産業は「レディース向けアパレル」だったという。
「徐々にアパレルショップが開店してきました。特に目立ったのはレディースの洋品店で、働きはじめた若い女性が自分へのご褒美に良い服を買いに集まっていました。ビジネスファッションというよりは上質なカジュアルというテイスト。『シモキタマンボ』というパンツがトレンドになった時期もありました」
70年代に入ると街が大きく変わっていく。
「新宿や渋谷などのカルチャーの中心地から、かけだしのミュージシャンや演劇人が活動の場を移してきたのです。それ以降、下北沢にはライブハウスやバー、カフェ、劇場が増えていきました。中心地から近く、地価が安かったことも大きな要因でしょう」
老舗は1975年開店のバー「レディ・ジェーン」。そして小劇場の「ザ・スズナリ」「本多劇場」、ライブハウスの「下北沢ロフト」「下北沢シェルター」などが続々とオープンする。そこに集まるのは次のスターを目指す表現者、そしてメインカルチャーに疑問を持ち、中心から外れた人々だ。こうして下北沢は日本におけるサブカルチャーの爆発的多様化を牽引していく。
「70年代に、下北沢に『古着屋』ができはじめたと考えています。個性があり、自己表現のツールになる。しかもお金がない若者も買うことができる。このころから『古着の街』と呼ばれはじめた記憶があります」
ほぼ同時にカレーやラーメンなどのカジュアルフード、古本屋などの小規模ビジネスが参入する。ちなみに小清水さんが経営する東洋興業は、当時は不動産ではなく「映画館」を経営していた。70年代は映画の黄金期でもあり、下北沢には映画館が4館、駅を取り囲んでいたという。
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