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2022.09.20

“装うこと”がもたらす抑圧と解放ーー「装いの力―異性装の日本史」が映し出す過去、現在、未来

「異性装」をテーマとした展覧会「装いの力―異性装の日本史」が、渋谷区立松濤美術館で9月3日から開催されている。日本における「異性装」の歴史を辿ることで、「装い」それ自体が持つ意味はもちろん、ジェンダー、セクシュアリティなどについても問い直す展示として注目を集めている。
今回、展覧会を担当した同美術館の学芸員である西美弥子さんに、本展を企画することになった経緯から、日本における異性装の歴史、そして展示に込めた想いまで聞いた。
はじめに、「異性装」をテーマにした経緯について教えてください。
私個人として「装う」という老若男女を問わず、誰にとっても日常的な行為について非常に興味を持っていました。自然の環境から身体を守るだけでなく、それが自分や他者にもたらす力や、社会における役割などについて関心を持っていたんです。
そのなかで、やはり装うことは人間を識別する、様々な社会的文化的な記号として機能します。たとえば、地位や身分、職業や属する文化、嗜好、そして「性別」もその一つです。
性差に対する古い規範は、今なお根強く残っています。その一方で、現代では男性か女性かという二項対立的な考え方が見直されるようになり、多様性を大切にする考え方が広がり、近年ではジェンダーレスファッションなども注目を集めるようになりました。
そこで、異性装というテーマを通して、装うことの意味や、性の二項対立的な図式について改めて問い直すとともに、その歴史から、現在や未来について考えたいと思ったのが最初のきっかけでした。
また、当美術館がある渋谷区は、パートナーシップ制度の導入やダイバーシティの推進など、多様性を認め合いながら、新たな文化を発信し続けることを掲げています。そうした問題意識に沿った展覧会をすることも、渋谷区立の美術館として課された役割の一つだと思っています。
異性装に関して先駆けとなる展覧会としては、2018年に太田記念美術館が企画した「江戸の女装と男装」がありますが、古代から現代まで時系列で並べる試みとしては、日本ではおそらく初めてだと思います。
篠山紀信 《森村泰昌 『デジャ=ヴュ』の眼》 1990年 作家蔵
篠山紀信 《森村泰昌 『デジャ=ヴュ』の眼》 1990年 作家蔵

異性装がもつ豊かさと難しさ

今回の展示からは、日本における異性装という文化の豊かさを感じられます。そこにはどんな理由が考えられますか。
私自身、古代から芸能、エンターテインメント、創作の世界において、これほどまでに異性装の要素が好まれて人気を博し、人々を魅了し続けていたことに大変驚きました。
もちろん、異性装は日本にだけ見られる装いではなく、他国にも事例はあります。そのなかで、日本において多数の事例が見られる理由の一つに、宗教的なタブーがなかったことが大きな背景としてあります。
異性装は『聖書』において教義上タブーであったことから、キリスト教圏などでは忌避すべきものと見なされていました。こうした考え方は西洋諸国に強く存在していたと言えます。
また、二つ目の理由としては、衣服文化の違いが挙げられます。西洋の衣服は「スカートとズボン」のように性差がはっきりしていました。それに対して日本の衣服は男女ともにゆったりとた形状のもので、服に対する性差の意識もそれほど大きくなかったのではないかと考えられます。そのため、男女の衣服を取り換えるという心理的な抵抗に関して、性差がはっきりした衣服の文化圏の人々よりも少なかった可能性があります。
ただ、異性装は異性装の数だけ、その理由や背景、影響があるため「昔の異性装はこういうもので、それが時代によってこう変化して、現在に至る」などと、全ての異性装の例をまとめて一つの流れとして歴史的に説明することが、すごく難しいんです。
今回の展覧会でも、異性装の歴史の全てを展示できたかというと、その一端に過ぎませんが、だからこそ日本人の異性装に対する関心の高さとともに、その「揺らぎ」も感じられるのではないかと思います。
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