2021.05.28

【鼎談】池上高志・宇野良子・山縣良和:生命とファッション、技術と身体

#特集001「生命の循環:装いの歴史と未来」
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ファッションレーベルwrittenafterwardsのデザイナーであり、ファッションを学ぶ場「ここのがっこう」の主宰でもある山縣良和氏とお送りする特集企画「生命の循環:装いの歴史と未来」。今回は、複雑系・人工生命の研究を手掛ける池上高志氏と言語の創造性の研究を手掛ける宇野良子氏をお迎えし、ファッションを生命という視点から見ていきます。

本特集で探求してきた、植物や動物との共創、衣服と農、そして生命といった様々な方面から交わされた対話をお届けします。

PROFILE|プロフィール
池上高志

東京大学広域システム科学系・教授。 専門は複雑系の科学、人工生命。

2018年、ALIFE国際会議を主催。2020年 Conf. Complex Systems,  2019年 SWARM 国際会議 などでの基調講演多数。著書に、『動きが生命をつくる』(青土社 2007),『人間と機械のあいだ』(共著、講談社、2016)、『作って動かすALIFE』(共著、オライリージャパン, 2018)など。また、アート活動として、『Filmachine』( with 渋谷慶一郎, YCAM 2006), 『MindTime Machine』( YCAM, 2010) , 『Scary Beauty』( with 渋谷慶一郎, 2018), 傀儡神楽(2020)などを行っている。

PROFILE|プロフィール
宇野良子

東京農工大学大学院言語文化科学部門、教授。専門は認知言語学。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。「わたし」が発した言葉は、「わたし」の一部なのか、ということに興味を持ち、言葉と心の働きの関係を研究している。特に、自然言語や、人工言語で新しい語が生まれるしくみを分析してきた。近年は、アートやファッションデザインのような言語以外の人間の創造活動に、言語学の分析を応用することも試みている。著書に『オノマトペ研究の射程―近づく音と意味』(共編、ひつじ書房、2013年)、『実験認知言語学の深化』(共編、ひつじ書房、2021年)など。2013年より「ここのがっこう」特別講師。

PROFILE|プロフィール
山縣良和

ファッションデザイナー。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。2007年4月自身のブランド「writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」を設立。2015年日本人として初めてLVMH Prizeノミネート。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「ここのがっこう」を主宰。2016年、セントラルセントマーチンズ美術大学ファッションデザイン学科との日本初の授業の講師を務め、2018年より東京藝術大学にて講師を務める。2019年、The Business of Fashionが主催するBOF 500に選出。

衣服と食、そして医療

山縣

3月16日に国立新美術館で発表したwrittenafterwardsの新作インスタレーションではガラスケースに入った服を土に埋めた状態で展示しました。ファッションの今後を考えた時、2020年代に大切になってくるのはスタディとリサーチをしっかりしていくことだと思います。とにかく大量生産・大量消費がここ20年ぐらいの流れでしたが、このコロナ禍の状況や地球環境の問題に対してクリエイターとしてもそのような状況に限界を感じています。

そこで制作したのが、この和紙でできた衣服です。和紙の衣服は昔から存在していましたが、我々が使用している和紙は土に還るスピードが他の素材も圧倒的に早く、さらに土の栄養にもなることが最近の研究結果からわかりました。衣服によって土が豊かになり、最終的にはそこで野菜を育てたら食にも繋がるというプロジェクトをスタートさせています。

そして「服食」という造語を掲げて、まずは服と体内の関係を捉えようと思い、衣服と薬や医療の原点を探るリサーチをしてきました。よくよく考えると、服薬、服用というように薬を飲むことにも服という言葉がついている。内服に対し、外服という言葉も一応あったりと、昔の人は外で着る服と内側の服を繋げて考えていたのではないかということが見えてきました。もともと衣服には医療的なケアやキュアのイメージが強くあります。日本最古の神話での医療行為と言われる『因幡の白兎』でも、兎が傷を治すために蒲の穂綿に身体を包みました。昔は蒲の穂綿は衣服の中綿にも使用されていたようで、これも何かしら衣服と関連して考えることもできます。薬を処方するように衣服を患者に処方するという医療行為もあっても良いと思います。

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山縣

それこそ20世紀も後半になると忘れ去られてたんですけど、実はファッションは歴史を辿ると農業的な部分と大いに繋がっており、宇野さんが教壇に立たれている東京農工大学にはかつて繊維学部があって、そもそもの大学のルーツがそこからスタートしたんですよね。

宇野

147年前、現在の新宿御苑に、国が農学を学ぶ場所と養蚕を学ぶ場所を作りました。それがそれぞれ東京農工大学の農学部と工学部の起源です。蚕業の試験場は、やがて繊維学部となり、そして、工学部となりました。

山縣

従来の繊維学部が無くなりつつありますが、例えば農業系の大学で農学と繊維の研究をするようなことが今また必要としていることで、今後のファッションの流れとしても重要なのではと思います。

池上

人間の服だけではなくて、例えば建築学科では粘菌を使って建物を作ろうとしていますね。生物なので環境や餌なんかによる問題もありますが、材質として強度が高いというのがあります。具体的には、柱を置いて、そこに粘菌を生やして柱の形を作り、その後に粘菌を殺して真ん中の柱を抜くとポールができる。ニューヨークにあるTerraForm Oneでやられていましたね。

宇野

服食の流れで言うと、繊維学部を前身とする農工大の工学部に、一昨年、生体医用システム工学科が新設されました。それはともかくとして、粘菌を利用して柱を作るのも建築だ、というのと同じく、内服の例など、ファッションの側から「これもファッションだ」と提案していくことで、現在医療に位置づけられているところにも、他のところにも、ファッションが広がっていくことが期待されます。

「フレッシュさ」とは何か

池上

菌のネットワークというと、人間の肌こそ色々な菌のネットワークが集約しているものですね。人は服を着ていなくても菌を着てる。菌で覆われてているわけですよね。これは腸内細菌のネットワークのことも含んでいて、どういう人が美しく見えるか、どういう人の肌が輝いて見えるか、これは菌が決めているようですね。そんなネットワークをどういう風に作るか、これは考えたら面白い話ですよね。土もそうですが、もともと菌のネットワークは身体の内側から、腸から作られて、外側からは皮膚の上で作っていて、それをエンハンスできるかはわからないですが大事なところではないかと思うんです。

山縣

ファッションにとって大事なことで「生々しい」ことや「フレッシュ」であるという部分がありますが、新鮮さというところを菌によって作っていくとか。

池上

それは、最も面白い課題だと思います。僕は前にパルコで『絶命展』をやる際、山縣さんや坂部三樹郎さんからフレッシュのファッションと言われて衝撃をうけ、それ以来フレッシュさというのはとても重要なテーマと考えており、それをどう考えるかがひとつの研究のテーマとなっています。

宇野

フレッシュの反対と言えば、「しなしな」ですよね。能楽師の安田登さんがお話しになっていたことですが、昔の日本での死の捉え方は、活きのいい状態から、しなしなした状態に一時的になること、だったそうです。『絶命展』や今回の『生命の循環』でも、生命性を考える上で、死にも焦点が当てられています。人工生命は死ぬのか、と考えるとかなり難問ですが、しなしなに人工生命が辿り着くか、とすると、問題は扱いやすくなりそうです。

池上

「しなしな」をどう捉えるかにもよりますね。そっくりなオレンジを使っても、フレッシュなものとそうでないものが違うように、人工的な置物としてのオレンジはいけるけど、フレッシュなオレンジは難しいですよね。寿命があってもフレッシュにはならない、車とかやテレビにも寿命はあるけど、フレッシュとはちょっと違う。

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宇野

池上さんが考えるフレッシュというのは、詳しく言うと、どういう状態ですか?

池上

フレッシュということで考えられるのは、massive data flowですね。あるシステムが外部とものすごい勢いで物質やエネルギーや情報の流れを作っている場合に、システムはフレッシュなのだ、と考えられるので、できるだけ内部で閉じないようにする。プログラムだったら、半分プログラムして半分プログラムしないで、外からのデータの流れにさらす。放り出されたシステムというのは、外部を使わざるを得ないので、それによってフレッシュというのを獲得するんじゃないかということは考えましたね。

フレッシュというのは外側から取り入れたものを縮約して、小さくして持つのではなく、むしろそのまま複雑さを壊さない形で保つ。決まらなさを抱え込んでいる。その中にフレッシュがあるだろうと考え、アンドロイドを作る時にもそういうことを考えています。

宇野

外からくる圧倒的な情報の流れを、複雑なままに受け入れるということですね。

複雑さを保つジェネラティブ・デザイン

宇野

池上さんは、GPT-3のような新しい技術や方法論の登場でデータの圧倒的な過剰性をそのまま扱えるようになり、それによって見えてきた生命の創発を、最近の論文で論じていましたね。そもそも、このような生命の理解が、ファッションのフレッシュネスを手がかりに出てきた、というのは、納得です。というのも、私が、ファッションデザイナーを育てる「ここのがっこう」で面白いと思っているのが、情報を整理していくのではなく、どんどん載せていってファッションをつくるところだからです。アカデミックなトレーニングでは、論点を整理し、関係ないものをそぎ落とし、精緻化することを学びます。しかしここでは、要素を積極的に足して、厚みを出すという方向を大事にしています。池上さんの縮約しないで複雑なものを複雑なまま、というのに通じています。

池上

ジェネラティブっていう言葉がありますよね。もともとジェネラティブアートやジェネラティブサウンドとかいうのは、70年代から80年代が全盛期だと思いますが、例えば典型的にはブライアン・イーノの「Airport」のようなものがあります。

ここでのジェネラティブというのは、音符を書いたり作曲することではなく、あるプログラムを流すと曲が発生すること。全体がどういう曲になってくるかを前もって決めることはできないが、それを生成するシステムは用意するといったものです。

宇野

今回の山縣さんの土の中に服を埋める試みも、ジェネラティブデザインになりますか?

池上

先ほど見ていて、そうだなあと思いました。要するに、種を用意するということです。生物というのは全て、遺伝構造と環境との相互作用がスイッチになっていて、形態を作れる。

デザイナーが一生懸命考えて、デザインしてしまうとジェネラティブではないですが、土壌ネットワークに任せてデザインするというのは、ジェネラティブということで共通している。

山縣

複雑を複雑なまま保つというのは、先ほど話にも出たように、ファッションの社会性を考える上で重要なキーワードだと思います。ファッションを一元的に同一化させようとすると、例えばナチスがファッションデザインを国家運営に取り入れ、ファッションをコントロールしたり洗練された制服を作るなど、ファッションが優生思想へと結び付けられていった歴史があります。やはり、その人に固有のもの、個々それぞれの複雑性をどう複雑なまま保つかという社会システムを成形することが、ファッションにとっていい土壌になる。

「ホールアースカタログ」の編集長として有名なスチュアート・ブランドもネイチャー、カルチャー、ガバナンス、インフラ、コマースという地層の順に時代が変化していくのですが、最上部のファッションのみが非常に複雑な動きをするものとして定義しています。こういう部分も池上さんがおっしゃってた複雑性のお話と連動しているんじゃないかと思っていて、生命を考える時に、ファッション的な性質というのはすごく大事なのではないかなと。

また言語的な部分では、ファッションを言語に無理矢理落とそうとすると違和感が大きいところがあります。例えば優れたデザイナーが何かを生み出しても、なんと説明や表現していいかわからないところから始まる。ある種、言語の始まり、オノマトペのような最初のスタートポイントに近いんじゃないかなという感覚があります。

宇野

言語の始まりには、この音を聞くとこういうイメージが立ち上がるという繋がり、つまり、「音象徴」があったのではないか、という説もあります。オノマトペは、この音象徴が特徴的に見られます。音と結びつくイメージは、その音を発したり、聞いたりする身体のあり方から決まってくるものです。音に意味を後付けで、頭で考えてくっつけるのではなくて、音をどう身体が感じたかということですよね。確かにファッションにつながる面もありそうです。
 
ファッションには、メッセージを乗せることももちろんありますが、逆にメッセージを伝えるということだけだとファッションでなくなってしまう。例えば、「地球は大事」などのメッセージを伝えるためだけに服を作っているのではなく、そういった想いを含めた、今ここの状況を共有する場を立ち上げるため、複雑であることが必要なのかもしれないですね。場の共有というのはとても身体的なものです。

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独り言的につくること

池上

アートとしての音楽というのは、作ってる方もすごく辛いし、聞くのもつらい。心地よい曲を作ってるわけではなくて、どういう風に生成していくか、聞いたこともない音になっていると、、聞く方も楽しくない事が多い。でも、それをやっていくうちに、10年後20年後にはメジャーなアートになるんだ。現代音楽の鬼才、ブーレーズの言葉です。

だから科学もそうですが、音楽やファッションも、その時にみんながいいという物はもう終わっているわけです。それは消費されるものですよね。これからのものは常に作る側も聞く側もつらい、それにどのくらい耐えられるかということが、アーティストのキャパシティだと思いますけどね。僕が門外漢だから勝手なことを言いますが、ファッションデザイナーもそういうキャパシティが重要で、全く迎合的でないというところが山縣さんが飛び抜けて面白い点です。

作られたものは結果として好かれることも多いと思いますが、特にいいって思われないものを作れるかどうかが、その人の才能だと思います。

山縣

励みになりますね。

宇野

ファッションを含め、不特定多数に向けたコミュニケーションについて、「初めて会った宇宙人に推してもらえるか」という形で最近は考えています。もちろん、ここで宇宙人と言うのは、まだ出会っていない存在を比喩的に言ったものですが。
 
相手と共有できる場を立ち上げることを目指すけど、相手にはまだ出会っていないから、相手のあれこれを想定しちゃだめなわけです。今周りにいる人たちに合わせては、宇宙人を惹きつけることはできない。結局、周りは見ずに自分がいいと思うものを作らなくちゃいけない。それがうまく場の共有へつながるかもしれない、ほぼ唯一の可能性です。独り言的に作ることが強い場を立ち上げる力となります。これは、ファッションだけでなく、一対多で行われるこれからの共創的コミュニケーションについても同じに考えています。
 
更に、ファッションというコミュニケーションに特徴的だと思うのは、デザインを受け取る側の「熱狂」です。山縣さんのデザインの意図を理解するしない以前に、ファッションショーを見て、心が踊ったり、気持ちが揺れたり、あるいはどうしようもなく怒りが沸いてきたりする。デザイナーの無意識が、デザインを見る大勢の人々の無意識と響き合っているのではないでしょうか。

池上

すごく賛成ですが、自分自身がいいと思うものがいいと思えないこと、それ自体が作る側の苦しみのひとつですよね。例えばジェネラティブデザインといっても、偶然に任せて作るわけではない。。どうやっても人間にデザインできないものをデザインする可能性がAIにはある。人間の代用品ではなくて、人間にできないものができる。人間には作れていなかったファッションを構成することに成功するのがAIの役回り。そういう見方をしないと面白くないと思います。

それがよくなかった場合どうするか、自分としては大変だったけど面白くないとなった時に、そこで世に出せるか出せないか。科学だと世に出すときに厳しいレビューワーがいてフィルターがかかるけれど、アーティストやファッションデザイナーだと出すことができてしまう。この出す判断というのは、すさまじいと常々思います。出す判断さえできるのであれば、とてもすごいファッションデザイナーになれると思うのだけれど、多くはそれができない。自分の好みで作っているばかりじゃないからこそ、問題になる。自分の好きにできてればいいのかもしれないけれど、自分の好みじゃなくても世に出す彗眼こそがすべてだと僕は思います。

宇野

そこは私も、自分の好きなものを、ではないと思います。そうではなくて、まさに今現在のフレッシュは何か、ということだと思うんですよね。それを感じるにはすごく集中しなくてはならなくて、現状にも全力で注意を向けなくてはならないし、むしろ自分はゼロになります。自分が好きか嫌いかというより、何を感じ、どう感じているか。今現在と同一化することによって、少しだけ未来が見えるということだと思うんですよね。それは結果的に、世の中に馴染むものではなく、軋轢を生じさせるもので、変化を引き起こすきっかけになる可能性を秘めています。

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技術と新たな身体像

池上

山縣さんが考えているファッションを農業と繋げるような話は、今の状況や技術で構成できるものという意味では現実的なアイディアなんですけれども、この場合、技術によってファッションが更新され技術も変化し、さらにその上をいく可能性がある。そう考えると、どこまでがファッションという分け方をするよりは、農業科学の中に強くファッション性がある。

宇野

そういう見方が多くの学問分野で可能だと思っています。人間の心のしくみを研究する認知科学はもちろん、人間に関わる医療なり、化学なり、農業なり、色々なところにファッションは入っている。それなのに、ファッションが知られていないから気づかれない。なので、ファッション側から提案していくといいのに、と思いますね。
 
衣服というのは視点の転換しやすさと関係していると考えています。例えば、私の服やアクセサリーは、今は私にくっついているけど、気が向いたら取って他の人に渡すこともできるから、取り外しが可能な私の一部です。そのことから、ファッションアイテムの存在は、それを身につけている人への心によるアクセスを容易にします。誰しも衣服を纏っているということで、私たちは他の人に視点を投影しやすくなり、身体性を共有しやすくなります。

山縣

自分の拡張性という部分だと、KLEINSTEINの小石祐介さんが建築家の荒川修作さんにファッションやりたいんですってと話したら、「いいじゃないか、俺だったら手や足が無い人のための服を作って、周囲がいいね、手がない人になりたい、足がない人になりたいと思えるような服を作りたいんだ」というような事をおっしゃっていたと聞いたことがあります。

それがもう15年以上前の話だと思うのですが、最近、青木彬さんという美術評論家の方とお会いして、その方は義足なんですが、子供のころからバスケをやっていて、足がある頃は車椅子でやっていたそうです。そこで同じく足が元々不自由な周りの友人たちは切断して義足にしていたのですが、最近の義足は機能性が高いので、義足にした方が身体能力が断然上がり、しかも自転車乗ったりできる。なので青木さんは、切っちゃってもいい、むしろ切ってもいいなと思ってたとかおっしゃっていて、実際そういう世界になってきたんだなと感慨深かったです。

池上

10年ほど前にヨーロッパの選手が義足のほうがすばらしいから、健康なのに切断したという事例もありましたね。それくらい技術が高まってきて、技術が人間の能力を凌駕している時代ですもんね。

山縣

そういう方々からすると、どこまでが自分なのか、内側のジェネラティブな部分と外側の部分が融合している。これは、ファッションにおける新しい人間像なのかなと。今まで身体が不満足といわれてきた方々はファッションにおいて周縁に置かれていましたが、そこに逆転が起きてくる。アップデート可能な身体と、アップデートしない身体。

池上

面白いですね。最近の車ならテスラだと、あるバージョンを買っちゃうとOSがここまでしか対応できず、新しいものだとアップデートできるからよかったという話があって、今までの車だとなかった話ですよね。色々なものがそうなる、アップデーションして使うようになる。

山縣

アップデートしてく身体性、アップデートしない身体性。僕らがもしかしたら旧式の人間となってくるときに、ファッションデザインの方向性がダイナミックに変わってくるのかもしれない。

池上

最終系としては、服を着ないのかもしれません。土壌もそうですが、ネットワークは常に動いていて、常に動いているものを纏うというのがフレッシュネスでもあり、ジェネラティブでもあると思うんですよね。アップデーションっていうのはそういうことで、動きを纏うというのが生命の真骨頂だと思います。

山縣

青木さんは義足をデザインするために自分の骨を使って、義足にデコレーションしようとしていました。今までの人間像とは逆の価値観による創造性が生まれつつあり、これからどうなっていくんだろうと考えています。

宇野

本来自分の体だったものを、装飾にってことですよね。

池上

それくらい自由に考えられたらいいですよね。SFにあるように、人間は本をゆっくり読むけど、AIを使ったら1秒で読めたりする。1日1万冊くらい読めるのが当たり前になった時に、ゆっくり読むのが人間だとか言う人はアップデートされない。

義足は身体性ですが、AIも人間の脳の拡張可能性を考えているわけだから、そういう時代ももちろん来ると思います。人間には解けない問題を解くっていうのは、機械使ってるからインチキだというようには言わなくなった。そういうことが、ファッションにも色濃く出てきてもおかしくないですよね。

(左から)池上氏、山縣氏、宇野氏
(左から)池上氏、山縣氏、宇野氏
#Bio Fashion
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