2021.04.30

山縣良和「生命の循環:装いの歴史と未来」

#特集001「生命の循環:装いの歴史と未来」
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Fashion Tech Newsでは多様な領域からゲスト監修者をお招きし、ファッションやテクノロジーの未来について考えるための領域横断的な特集企画をお届けします。記念すべきその第1弾として、ファッションレーベルwrittenafterwardsのデザイナーであり、ファッションを学ぶ場「ここのがっこう」の主宰でもある山縣良和氏を監修者に迎え、「生命の循環:装いの歴史と未来」をテーマに5つの記事をお届けします。

去る3月16日に東京コレクションの一環として、国立新美術館で開催された『合掌』と銘打たれたインスタレーションでも、土に埋めた服を披露した山縣氏。この制作の背景ともなったファッションの循環、素材と人間の生活の繋がりへの山縣氏の着目も掘り下げながら、ファッションの過去、現在、未来を繋ぐ探索をお送りします。

PROFILE|プロフィール
山縣良和

ファッションデザイナー。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。2007年4月自身のブランド「writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」を設立。2015年日本人として初めてLVMH Prizeノミネート。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「ここのがっこう」を主宰。2016年、セントラルセントマーチンズ美術大学ファッションデザイン学科との日本初の授業の講師を務め、2018年より東京藝術大学にて講師を務める。2019年、The Business of Fashionが主催するBOF 500に選出。

人間の営みとしての装い

「生命の循環:装いの歴史と未来」というテーマに込めた想い

直感的な部分でもあるのですが、大きな歴史の中でのファッションの進化というのを、今一度見るべきなのではないか。短い時間軸でのファッションの変化に目を向けることも大切ですが、今はもっと大きく捉えるべきというところから、自分の思考が始まっています。もう1回、社会にとってファッションは何ができるのかということが、大きくいろんな角度で問われてる時代が今なのかと。

それはコロナ禍におけるプロテクション、地球環境、さらにジェンダー問題だったり、身体的な多様性の問題だったりと、まだまだファッションが取り組まなければならない課題が色々と炙り出されてる。そういった部分を掘り起こせるような企画になればと、今回の特集テーマを提案しました。

僕は未来の話をできたらと思うと同時に、歴史にもたくさんヒントがあるという観点も持っています。そして忘れ去られていた「人間の営み」、20世紀の大きな資本主義システムによって見えなくなってる部分も少なからずあるんじゃないかなと思います。僕が理想的だと思うのは、歴史や文化と接続したテクノロジーです。なので今回、このFashion Tech Newsの企画でも、今一度、古代から20世紀型資本主義社会以前の歴史まで振り返るというのをスタートポイントとして捉えたらどうかと思いました。

環境との対峙、動物や植物、菌類との共創

もともとは2020年にやろうとしていたプロジェクトがコロナによって延期・中止になり、自ずと考える時間が出来たことから、ファッションの歴史を紐解いてみることや、服のマテリアルがどう作られていくかという原点的なものを求めるようになり、養蚕業とシルクの歴史を自分なりに調べ始めました。そこで大きくテーマとなったのが、特集のタイトルにもなっている「生命の循環」というところで、ファッションにかかわる生態系をもう1回考えてみたいと思っています。

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過去に養蚕業が行われていた場所での人々の営みがどういうものだったかを調べていく中で、白川郷で有名な合掌造りに注目しました。合掌造りという建築は、そこでの生業から自然に出来上がったもので、1階は主に人の生活空間として使用され、2階、3階では養蚕や和紙作りをしていたとのことです。そして地下では人の排泄物や食べ残し、蚕の糞などを培養して、火薬を作っていた歴史があるのも知りました。つまり、ひとつ(茅葺き)屋根の下では、人々の生活の営みのなかに、動物性原料のシルク、植物性原料の和紙、さらに菌を使った火薬や堆肥の生産も行われていて、家そのものが巨大なコンポストのような循環的システムが何百年も前からあったという所に注目すべきと思いました。

歴史の蓄積とテクノロジー

先端テクノロジーと原初的なテクノロジー

僕は先端テクノロジーと原初的なテクノロジー(職人技)は融合すべきだと思ってます。特にファッションは分断してしまってはリアリティが作れない。先端テクノロジーだけを勉強してファッションを更新させるというのはなかなか難しく、それはテック側の方々も薄々気づいてきていると思います。究極には、職人さんが歴史の中で培われたものをどう学び継承していくかが重要で、今後間違いなくそういった潮流になってくるかと思います。

例えば世界中のどこでも同じ機械を使うようになってきていますが、そこから差異を出すには、職人さんが何十年もの間で培ったノウハウや技法があるかないかによって、同じ織機でも繊細な布が作れたり作れなかったりということが出てきます。それは、糸調子といわれる糸1本1本のテンションを長年の経験によって繊細に調整しながら布は作られるためです。この、繊細に糸を調整する技術で日本は世界でもトップクラスと言われています。

やはりテクノロジーと職人的なものをどう結びつけることができるかが、私達のこれからの課題だと思っています。

テクノロジーの時代に求められるデザイナー像

新しいテクノロジーは歴史を求めていますよね。技術をどのように扱うかはやはりデザイナーの仕事です。それは現実的に具現化させる力です。特にファッションはテクノロジーと自由な創造性の両輪が重要だと思います。

そもそもファッションの歴史は人類のテクノロジーの歴史と同義といっても過言ではありませんし、ファッションは常に最先端テクノロジーと共に歩んできたと思います。今、私達が使っているコンピューターの祖先はジャカード織機と言われています。また「ミシン」は「マシーン(machine)」が訛って出来た呼び名と言われていますが、そのエピソードが示すとおり、当時の機械=マシーン=ミシンという認識の図式が想像できます。

今後CLOなど3Dデータを用いたパターンメーキングにもシフトしていくと、そこから新たなプレイヤーが出てくると思いますし、ヴァーチャル上を主戦場としたデザイナーが出てくるのもこれからの時代だと思います。そしてそれは今までとは全く違う価値観のデザイナー像になると思っています。

課題はデジタル上でのファブリック表現など、触覚などの表現です。急速なスピードでレベルは上がっていますが、データ上のデザインから現実に形作る際に必要なテクニックも相当な経験と感覚が必要です。それは現状、現実の解像度とデータ上の解像度があまりにも違うからです。ここでも熟練の職人のノウハウ、技術が必要となってきます。

既存のファッションデザインの文脈では、ヴァーチャルと現実を交互に行き来することによって、時代をアップデートするハイブリッドな表現が生まれてくると思います。

<p><span style="color:#000000">今後CLOなど3Dデータを用いたパターンメーキングにもシフトしていくと、そこから新たなプレイヤーが出てくると思いますし、ヴァーチャル上を主戦場としたデザイナーが出てくるのもこれからの時代だと思います。そしてそれは今までとは全く違う価値観のデザイナー像になると思っています。</span><br><span style="color:#000000"></span><br><span style="color:#000000">課題はデジタル上でのファブリック表現など、触覚などの表現です。急速なスピードでレベルは上がっていますが、データ上のデザインから現実に形作る際に必要なテクニックも相当な経験と感覚が必要です。それは現状、現実の解像度とデータ上の解像度があまりにも違うからです。ここでも熟練の職人のノウハウ、技術が必要となってきます。</span><br><br><span style="color:#000000">既存のファッションデザインの文脈では、ヴァーチャルと現実を交互に行き来することによって、時代をアップデートするハイブリッドな表現が生まれてくると思います。</span></p>

サイボーグ的な身体、多様な身体へ

ファッションの身体拡張への可能性

アンディ・クラークが、「人間は生まれながらのサイボーグなのだ」と言っていますが、今の人間は未来に向かっていくにつれ、よりサイボーグ化していっています。サイボーグという概念で捉えると、例えばファッションで身体拡張的な部分をいかに実現できるか、いかに能力の上げられるかになっていくのかなと思います。今までの歴史だと五体満足に向かってデザインしてきた傾向があるというか、ダビデ像のような理想の人間の形・究極体の人間の形がゴールとしてあったかと思うんですが、これからはそういう画一的な身体像は崩れて、多種多様で予想もしなかったすごくアクロバットなことが起こる可能性があるんじゃないかと思っています。

義足の方とお話する機会があって、彼は義足の方が自転車に乗れるし色々能力も上がるという発想を持っていました。そういう考えが加速度的に進んでいくと、何かを装着するのが当たり前の彼らは、ガジェット的身体を技術が上がると同時に、携帯電話のようにどんどんアップデートさせていくことができますよね。つまり人間の身体ってどんどん衰えていくけど、彼らは外部装置を装着するとアップデートしていくので、価値観や美意識においてもすごくドラスティックなことが起こっていくと思います。彼らが足のない状態になっていい、なりたいって思うのなら、人間像自体の根幹が揺れ動いているという気がして、すごく興味深いですね。

画一化された身体像の歴史からの脱却

例えばディスプレイ用の等身大マネキンの歴史は約200年ぐらいだと思いますが、人間を測定して平均化した形でトルソーやマネキンの様々なサイズが製造されたうえ、それらは理想化されたその時代のシェイプだったりするわけです。しかし今後は、いわゆる標準体型・理想体型であったとしても、身体能力的には外部装置を装着できる身体のほうが能力は高いということが現実になり、価値観が多様化していくのではないでしょうか。

先日までここのがっこうでも様々な体型や精神を持った方々に合わせた衣服を作るプロジェクトが行われていたのですが、それを展示する時に多様な身体に合うマネキンがないんですよね。マネキンがすごく標準化されていて、マネキン屋さんに聞いても現状での解決方法が無い。マネキンやトルソーが登場して量産化されて、ファッションデザインもそれと一緒に発展してきました。今までデザイナーはトルソーに向かって布を置いてピン打ちをして新しい形を探してきたけど、多種多様で変幻自在な身体に向き合うために、道具そのものに向き合い、その背景にあるイデオロギーとも対峙しながら、さらにもう一歩先の服作りに着目していく必要はあるかなと思います。

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欲望の装置としてのファッション

今日のファッションが抱える課題

(ファッションが抱える問題については)いくつか話す方向性があると思うのですが、環境問題についてはファッション業界は世界第2位の環境負荷をもたらしている業界であるという事実もあり、何かしらの行動は必要になってきます。これだけ大きな産業だからこそ、これからは知性が今以上に必要だと思っていて、知恵を集結する必要があると思います。いままでファッションをアカデミックに考える機会や場所があまりなかったと思いますが、今そのツケが回ってきてしまっている気がしています。

だから、もっと様々な人材を巻き込んでいかなければと思っていて、アカデミックな大学教育機関の中での研究も必要だと思いますし、議論する場も必要だと思っています。現状は「ファッションなんて」みたいなことを言われ続けてきている部分もありますが、そこから一歩踏み出して業界内外関係なくみんなで考えていく必要があると思います。

そもそもファッションって、生き物として必然的な生きていくための営みです。ファッションが無意識下で起こる本能的な装置、あるいは欲望の営みであるからこそ、それにもう少し自覚的、意識的になることも重要なのかなと思います。

しかしながら、最近の社会問題と環境問題の中で、ファッションデザインを正しい/正しくないという短絡的で極端な評価をすることについても僕は危惧しています。それはある種の選民思想や、優生思想的な要素にも組み込まれるようなものにもなっていく潜在性を秘めているように思います。デザイナーによる提案や理想を表現することは良いと思いますが、正しい/正しくないという二項対立的な価値観は危険も伴います。あえて曖昧な表現を行うことによって、多種多様な価値観を共有、共存させることも、ファッションデザイナーの重要な役割だと思います。

社会課題とデザイナーはどう向き合えば良いか

やはりいままでファッションデザインは社会問題に向き合ってきたからこそ、新たなファッションが生まれてきたように思います。例えば、20世紀の中でのファッションデザインの役割というのは自由と平等が大きなテーマだったように思います。様々なデザイナーの表現によって新たなファッションが時代時代に生まれたのはすごく素晴らしいことだと思いますし、その歴史は否定するものではないと思います。様々な向き合い方がありますが、作り手としてはもっと自由になっていいんじゃないかと思っています。作り手としても産業としてもある程度の柔軟性は持つべきなのかなと。今までは経済発展を前提とした上で、強迫観念的な成長主義が強すぎることがありました。もちろん産業や伝統、職人は守らなくてはいけないし、雇用も守らなくてはいけない。しかし、ここ20年ほどの間で、発表のタイミングなど年に2回だったものが、ファストファッションに見られるように加速度的に急増してしまいました。大手資本による大量生産、大量消費のサイクルの中で、そのシステムに乗ることが出来なかった工場や職人の多くは廃業を余儀なくされました。

今回、山梨にリサーチに何度か伺った際、ある職人の方から聞いた話があります。それはいままで大手資本の都合になんとか対応してきた中小企業も、大手資本の都合により買い叩かれ、振り回されることにほとほと疲れ果て、現在は大手に振り回されるくらいならば、織機を「寝かせる」というらしいです。「寝かせる」とは、動かさないという意味ですが、組織が家業ほどとなった多くの職人にとっては、継続的な仕事や人間関係の継続を構築するために、短略的な利益ではなく、敢えて「寝かせる」という選択をするとのことです。さらに、山梨の産地では、組合が形成され仕事がない時期はお互いが出来る限り助けあうようにしているという話も聞きました。そこには今後のコミュニティのあり方、仕事のあり方のヒントがあるように思われ、新しいクリエーターとの小回りの効く新たな協業の可能性を感じます。

そもそも元々半年に1回の発表もオートクチュールのシステムの祖と言われるシャルル・フレデリック・ウォルトからのもので、約150年くらい前にできた比較的新しいシステムであり普遍的なものではありません。それをこれからも大前提にする必要もないです。今後も半年に1回発表する方もいていいだろうし、時間をかけて研究やリサーチを行いながら発表する人がいたっていい、むしろいるべきな時代にもなってきたのではないでしょうか。前世紀末くらいまでは、視覚的なインパクトや、新しいシルエット、新しい素材をデザインに取り入れただけでも、ある一定レベルでの社会的意義は多分あったと思います。でも、現在はそういう時代ではもうなくなっており、社会システムに対峙したり、デザインに取り組む必要性が少なからずあります。

これからはリサーチ、研究、実験・開発がより重要になってきており、社会問題・課題に向き合う短納期サイクルでは難しいですし、やはり開発には一定の時間がかかります。だから例えば1年に1回、3年に1回などのスパンで発表するデザイナーが存在してもいいわけです。業界全体でそのような研究体質なデザイナーも応援する環境を作るべきだと思います。もっと業界全体で多種多様なクリエーターと豊かな表現方法を受け入れるキャパシティを持たなければ、今後さらに魅力のない業界になってしまいますし、結局その方が最終的には豊かになるのではないでしょうか。

<p><span style="color:#000000">そもそも元々半年に1回の発表もオートクチュールのシステムの祖と言われるシャルル・フレデリック・ウォルトからのもので、約150年くらい前にできた比較的新しいシステムであり普遍的なものではありません。それをこれからも大前提にする必要もないです。今後も半年に1回発表する方もいていいだろうし、時間をかけて研究やリサーチを行いながら発表する人がいたっていい、むしろいるべきな時代にもなってきたのではないでしょうか。前世紀末くらいまでは、視覚的なインパクトや、新しいシルエット、新しい素材をデザインに取り入れただけでも、ある一定レベルでの社会的意義は多分あったと思います。でも、現在はそういう時代ではもうなくなっており、社会システムに対峙したり、デザインに取り組む必要性が少なからずあります。</span><br><br><span style="color:#000000">これからはリサーチ、研究、実験・開発がより重要になってきており、社会問題・課題に向き合う短納期サイクルでは難しいですし、やはり開発には一定の時間がかかります。だから例えば1年に1回、3年に1回などのスパンで発表するデザイナーが存在してもいいわけです。業界全体でそのような研究体質なデザイナーも応援する環境を作るべきだと思います。もっと業界全体で多種多様なクリエーターと豊かな表現方法を受け入れるキャパシティを持たなければ、今後さらに魅力のない業界になってしまいますし、結局その方が最終的には豊かになるのではないでしょうか。</span></p>

「生命の循環」から装いの未来を考える

この特集の構成、どのような声を集めたのか

今回、対談をお願いした京都大学の藤原辰史さんは昨年、『分解の哲学』を出版されました。そこでは特に、循環社会における分解の重要性に言及されています。例えば、私達の生活で見過ごしてしまいがちなところに重要な分解者が存在していることや、生産者と消費者、そして分解者によって、循環している社会がかつて生成されていたことに言及しています。循環のシステムがもとはひとつの家のなかで成り立っていた時代があったり、江戸時代は江戸そのものが巨大な循環都市でした。資本主義経済が確立され、20世紀になってからより過剰な生産と過剰な消費だけが突出し、分解の重要性や分解者がフォーカスされてこなかったというところは僕自身、ずっと気になっていました。だからこそ、さらに過去に遡ってみることの重要性があり、ファッションでも生産と消費に加えて分解を社会の営みとして組み込むべきだろうと思っていて、それをどのような形で社会設計する可能性があるのかも考えています。リサーチを通じて、そういう社会が水面下にあるなとも体感していたのでそういったところをお話してみたいと思いました。

キャロル・コレットさんは、僕が通っていたロンドン芸術大学セントラル・セントマーチンズの新しい学科であるmaterial Futuresを立ち上げられた方です。僕は今のファッションデザインに向き合う時に、素材の持ってる重要度がすごく高いと思っています。特にコロナ禍で顕著になってきて、素材を循環させることや素材によってプロテクションするみたいなところでも、これからますます素材の重要度は高くなっていきます。また、数年前にマックイーンレザーというものがセントマーチンズから発表されて物議を醸しましたが、マテリアルの倫理的な部分というのも気になっています。なのでコロナ禍を経て最先端の教育現場で何が起きているか、一番聞きたい部分ですね。

『土と内臓』の著者であるデイビット・モントゴメリーさんには、生態系という部分からのお話を聞きたいと思っています。今、制作しているコレクションでは和紙の素材に注目していて、和紙は素材の中でもとりわけ分解が早いと言われ、土の上では堆肥として分解されることで土が豊かになっていくんです。土壌が豊かになると私達の食物となる農作物にもすごくいい。なので、衣服を着るという営みと食の営みを地続きで考えてみたいと思っています。6月に国立新美術館「ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会」で発表するインスタレーションでは、ガラスケースの中に土と植物の種や菌、そして和紙の服を入れて完全密封して、そこだけで完結した生態系ができるか実験しようとしています。生態系について、土について記してきたモントゴメリーさんと、纏うとか衣服とかいう部分と、内蔵での出来事を結びつけて考えていく可能性を考えてみたいと思っています。

また、人工生命研究の第一人者である池上高志さんと、認知言語学者で言語の生命性を論じている宇野良子さんと、こういった生命の循環、衣服の循環というところから、生命とファッションの関係性について改めて考えていく作業を共にしてみたいと思っています。人工生命研究の知見から、生命であるものと生命でないものの違いはなんなのかを改めて問います。特に、一見意味がなさそうなエラーやバグこそが生命を成り立たせているという人工生命の見方に興味があります。それはまさしくファッションの役割と通じるのではないでしょうか。つまり一見意味のなさそうなファッションが、むしろ人間を人間たらしめていると考えられないでしょうか。そして、人間は最新のテクノロジー以前に、言語や衣服で身体を拡張してきた生命体であることを振り返り、更なる未来のサイボーク化の可能性について追究します。

writtenafterwardsアトリエにて
writtenafterwardsアトリエにて

Photo by Kazunori Ohki

#Bio Fashion#Sustainability#3DCG
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