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2024.05.21

「LVMHプライズ」セミファイナリストに選出されたフィダン・ノブルゾバ、海外セレブに人気のイットシューズを生み出したその魅力に迫る

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2014年に彗星の如く登場した「ヴェトモン(VETMENTS)」によって、設立者兼デザイナーのデムナ(Demna)の出身地である東欧の小国ジョージアがファッション界から注目を集めた。彼は同ブランドのデザイナーを退いたのち、バレンシアガのクリエイティブ・ディレクターに専念している。
その後「ヴェトモン」に続くジョージア出身のブランドが続々と登場したが、ファッション未開拓の地である新興国としては、今新たにモルドバが話題に上がっている。
ローカル向けのファッションの祭典だった、モルドバの首都キシナウで年に2回開催される「モルドバン・ブランズ・ランウェイ」には、この1年で東欧を中心としてヨーロッパ各国からのインターナショナルゲストも訪れるようになった。
そんなモルドバのファッションシーンを盛り上げ、国を代表するデザイナーへと成長しているのが、若手の登竜門として知られる国際的なコンペティション「LVMH PRIZE 2024」のセミファイナリストに選出された、フィダン・ノブルゾバ(Fidan Novruzova)である。
キシナウで生まれ育った彼女は、イギリスの美術大学セントラル・セント・マーチンズでウィメンズウエアデザインを学び、「バーバリー(BURBERRY)」でのインターンを経て、地元に戻り自身の名を冠したブランドを立ち上げた。
彼女の名が一気に世界へと広まったのは、ブランド設立前、大学の卒業コレクションとして発表した、伝統的なクラフトマンシップの精神を超現代的なデザインに落とし込んだ“Havva”ブーツだった。
ワイドなボディに角ばったスクエアトゥのロックテイストなブーツは、Z世代の女性から人気のスーパーモデル、ベラ・ハディッドが着用したことで人気に火がつき、自社ECとカナダ発EC「エッセンス(SSENSE)」で注文が殺到するほどのイットシューズに躍りでた。
未だファッション界にはモルドバ出身の大物デザイナーが不在であるだけに、母国の伝統と現代的な洋服を掛け合わせたフィダンが築く独特の世界観は、異国情緒を漂わせ、ユニークなスタイルとして多くの人を惹きつけている。
モルドバのファッションの未来の一翼を担うフィダン。キシナウ現地で出会った彼女に、デザインプロセスや設立4年の歩みについて聞いた。
PROFILE|プロフィール
フィダン・ノブルゾバ(Fidan Novruzova)
フィダン・ノブルゾバ(Fidan Novruzova)

アゼルバイジャン人の両親のもと、モルドバで生まれ育ち、イギリスの名門セントラル・セント・マーチンでウィメンズウエアデザインを学ぶ。卒業後に地元キシナウに戻り、2020年に自身の名を冠したブランドを設立。若手の登竜門「LVMHプライズ 2024」セミファイナリストに選出された。

インスピレーションは、旧ソビエト連邦崩壊後の建築物から

まずは、ブランドの設立に至った動機について教えてください。
自己表現への欲求が最初の主な動機だったと思います。ファッションに興味を持ったのは、2010年代のスーパーモデルたちの装いやスタイルに惹かれたことがきっかけでした。生まれ育ったキシナウは、最先端の雑誌が容易に手に入る環境ではなかったので、その代わりにインターネットで検索したセレブリティの着こなしに夢中になったのです。
「Fidan Novruzova」のコンセプトを教えてもらえますか?
ブランドコンセプトには、“モダンノスタルジアの概念を再定義する”ことを掲げています。
デザインの基盤は、見慣れたものと奇妙なものの組み合わせ。親しみを感じる見慣れたアイテムのなかに、予想外のテイストをミックスさせることで、フェミニンで自己主張のある独特のレトロフューチャーな世界観を発展させています。
今シーズンは1980〜90年代ですが、シーズンによって異なる時代の装いにインスピレーションを得ているようですね。コレクション制作において、服飾史は重要な要素ですか? また、そのデザインプロセスとは?

私のデザインプロセスには、さまざまな要素が少しずつ含まれています。潜在意識からのインスピレーションは、私が生まれ育ち、現在も住むモルドバの首都キシナウの日常風景、特に旧ソビエト連邦崩壊後の建築物から湧いてくることが多くあります。
ファッションに関しては、ニコラ・ジェスキエール時代の「バレンシアガ」、1980年代後半の「ヨウジ ヤマモト」、1980~90年代のアズディン・アライアが大好きで、インスピレーションを与えてくれる存在です。
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