Fashion Tech News symbol
Fashion Tech News logo

【リレーコラム】靴をめぐる、女性たちのしたたかな抵抗――纏足から現代のパンプスまで(齋藤あおい)

PROFILE|プロフィール
齋藤あおい
齋藤あおい

一橋大学社会学研究科博士課程。日本学術振興会特別研究員(DC1)。専門は社会学、現代中国研究、ジェンダー・セクシュアリティ研究。中国における「坐月子」という産後養生の慣習に関心がある。上海をフィールドに、産後ケアの商業化とその背景にある中国の人口政策、現代中国女性たちの「坐月子」の実践を中心に調査している。
researchmap

大学院生活においては、先行きの見えなさや孤独さのために不安に駆られることがしばしばある。しかし、厚底のスポーツサンダルでキャンパスを闊歩し、そのままゼミに参加するときは、毎日好きな靴をはけてよかったなと感じる。仮にゼミや研究会にはヒールのある靴での参加が望ましいといった風潮があったとしたら、私はこの道を選んではいないかもしれない。
一方、会社勤めの友人はいわゆるオフィスカジュアルと呼ばれる服を着ている。靴はパンプスだ。友人は私と同じくヒールのある靴が好きではないが、職場に暗黙の服装規定があるため、はきやすいものを探し求めていた。あるとき彼女が2万円もするパンプスを購入しているのを見て、片方だけでも1万円、わが友はバリキャリでこんな靴が買えてかっこいいなと興奮していたら、「ちゃんとした大人に見られるための必要経費だから」と一刀両断された。本当に好きなファッションは違う、付き合いの長いあんたなら分かるでしょ、と。じゃあ欲しいものを買いなよと思うが、あまり自由にふるまうと支障が出ることを私たちはよく分かっている。
社会の成員として生きていくうえで、服装の規範と無縁でいられる人はなかなかいないのではないか。鷲田清一は男性のネクタイや女性のハイヒールといった事例を挙げ、現代の衣服は「身体の保護」や「機能性」に留まらないことを指摘する(鷲田 2012: 18)。服装は、社会的記号としての働きもそなえている。制服や伝統的民族衣装を身につけることで、その人の存在は社会的属性に還元される(鷲田 2005: 79-80)。
では、私たちは服装の規範を前に従順でいるしかないのか。この疑問に対して鷲田は、制服を少し着崩すこと、あるいはモードという制度のなかで既成の服の文法をずらすようなファッション・デザインを取り上げ、それらの行為を「抵抗」として捉える視座を提示する(鷲田 2005: 54-55)。つまり一見、規範に沿った服装をしていても、その中にはさまざまな抵抗の軌跡が見えるということらしい。
本稿においては、この「服装の文法をずらして規範に抵抗する」という概念を軸に、過去から現代における、靴の文法を変えていこうとした女性たちのしたたかな抵抗について書いていきたい。
中国研究者としては、靴と聞くと、中国における女性たちの纏足(てんそく)という慣習が思い浮かぶ。纏足とは、13世紀以降の中国(1)において漢民族の女性を中心に行われた、足を布で巻いて小さくする慣習である。当時の中国では、「三寸金蓮」といった言葉に表されるように、足指を内側に折り曲げて三寸(10センチ弱)まで小さくした女性の足が美しいとされていた。しかし美しさの条件であったはずの纏足は、やがて、中国が西洋諸国に遅れをとっていることの証左としてみなされるようになっていく。その背景には、中国が近代化を達成しようとするうえで、国民を産み育てる健康な女性の身体を重要視しようとする意識の変化があった(2)。こういった潮流の中で、女性の心身に大きく負担がかかる纏足は、野蛮な悪習としてとらえられるようになっていったのである。
一方で中国ジェンダー史研究では、こうした近代主義的な批判意識からあえて距離をおき、纏足について、この習俗を実践していた女性たちの目線から理解する試みが行われてきた。歴史研究者であるドロシー・コウは、「そもそも女性たちはなぜ纏足をしたのか」という率直な疑問から調査を始め、纏足が当時の女性にとってごく合理的な選択であったという視点を提供した。
纏足の起源にまつわる説は多々あるが、13世紀以降の中国における纏足は、漢族エリート階級の女性が暮らしの豊かさの象徴として施していたものであったという。小さく縛られた足は農作業に不向きであったことから、社会的地位の高さを示す標章となった。やがて17~18世紀になると、紡織の発達と木綿生産の普及を背景として、農村の娘たちも屋内労働をする機会が増えた。娘の母親は、結婚して家を出ていくわが娘の将来を案じて、豊かな家に嫁がせられるように自宅で纏足を施すようになった(コウ 2005)(3)
1 / 3 ページ
この記事をシェアする