2022.08.19

【リレーコラム】靴をめぐる、女性たちのしたたかな抵抗――纏足から現代のパンプスまで(齋藤あおい)

PROFILE|プロフィール
齋藤あおい
齋藤あおい

一橋大学社会学研究科博士課程。日本学術振興会特別研究員(DC1)。専門は社会学、現代中国研究、ジェンダー・セクシュアリティ研究。中国における「坐月子」という産後養生の慣習に関心がある。上海をフィールドに、産後ケアの商業化とその背景にある中国の人口政策、現代中国女性たちの「坐月子」の実践を中心に調査している。
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大学院生活においては、先行きの見えなさや孤独さのために不安に駆られることがしばしばある。しかし、厚底のスポーツサンダルでキャンパスを闊歩し、そのままゼミに参加するときは、毎日好きな靴をはけてよかったなと感じる。仮にゼミや研究会にはヒールのある靴での参加が望ましいといった風潮があったとしたら、私はこの道を選んではいないかもしれない。

一方、会社勤めの友人はいわゆるオフィスカジュアルと呼ばれる服を着ている。靴はパンプスだ。友人は私と同じくヒールのある靴が好きではないが、職場に暗黙の服装規定があるため、はきやすいものを探し求めていた。あるとき彼女が2万円もするパンプスを購入しているのを見て、片方だけでも1万円、わが友はバリキャリでこんな靴が買えてかっこいいなと興奮していたら、「ちゃんとした大人に見られるための必要経費だから」と一刀両断された。本当に好きなファッションは違う、付き合いの長いあんたなら分かるでしょ、と。じゃあ欲しいものを買いなよと思うが、あまり自由にふるまうと支障が出ることを私たちはよく分かっている。

社会の成員として生きていくうえで、服装の規範と無縁でいられる人はなかなかいないのではないか。鷲田清一は男性のネクタイや女性のハイヒールといった事例を挙げ、現代の衣服は「身体の保護」や「機能性」に留まらないことを指摘する(鷲田 2012: 18)。服装は、社会的記号としての働きもそなえている。制服や伝統的民族衣装を身につけることで、その人の存在は社会的属性に還元される(鷲田 2005: 79-80)。

では、私たちは服装の規範を前に従順でいるしかないのか。この疑問に対して鷲田は、制服を少し着崩すこと、あるいはモードという制度のなかで既成の服の文法をずらすようなファッション・デザインを取り上げ、それらの行為を「抵抗」として捉える視座を提示する(鷲田 2005: 54-55)。つまり一見、規範に沿った服装をしていても、その中にはさまざまな抵抗の軌跡が見えるということらしい。

本稿においては、この「服装の文法をずらして規範に抵抗する」という概念を軸に、過去から現代における、靴の文法を変えていこうとした女性たちのしたたかな抵抗について書いていきたい。

中国研究者としては、靴と聞くと、中国における女性たちの纏足(てんそく)という慣習が思い浮かぶ。纏足とは、13世紀以降の中国(1)において漢民族の女性を中心に行われた、足を布で巻いて小さくする慣習である。当時の中国では、「三寸金蓮」といった言葉に表されるように、足指を内側に折り曲げて三寸(10センチ弱)まで小さくした女性の足が美しいとされていた。しかし美しさの条件であったはずの纏足は、やがて、中国が西洋諸国に遅れをとっていることの証左としてみなされるようになっていく。その背景には、中国が近代化を達成しようとするうえで、国民を産み育てる健康な女性の身体を重要視しようとする意識の変化があった(2)。こういった潮流の中で、女性の心身に大きく負担がかかる纏足は、野蛮な悪習としてとらえられるようになっていったのである。

一方で中国ジェンダー史研究では、こうした近代主義的な批判意識からあえて距離をおき、纏足について、この習俗を実践していた女性たちの目線から理解する試みが行われてきた。歴史研究者であるドロシー・コウは、「そもそも女性たちはなぜ纏足をしたのか」という率直な疑問から調査を始め、纏足が当時の女性にとってごく合理的な選択であったという視点を提供した。

纏足の起源にまつわる説は多々あるが、13世紀以降の中国における纏足は、漢族エリート階級の女性が暮らしの豊かさの象徴として施していたものであったという。小さく縛られた足は農作業に不向きであったことから、社会的地位の高さを示す標章となった。やがて17~18世紀になると、紡織の発達と木綿生産の普及を背景として、農村の娘たちも屋内労働をする機会が増えた。娘の母親は、結婚して家を出ていくわが娘の将来を案じて、豊かな家に嫁がせられるように自宅で纏足を施すようになった(コウ 2005)(3)

纏足については一般に、女性の身体的負担や小さい足を好む男性のセクシュアリティばかりが注目される。しかしコウはこういった「悪習」で片づける議論とは距離を置き、女性たちの視点から纏足の意味を模索し、とらえ直そうとしていた。

コウの視点から女性たちの物語に目を向けると、纏足にすることで貧農同士の結婚という運命に抗おうとした母娘の姿が浮かび上がる。「農作業をしなくてもよい」足はエリート階級の女性たちの標章であったが、庶民の女性たちは娘に纏足を施すことでこの文脈を自分たちのほうへと手繰りよせたとも言える。

このようなコウの分析はセンセーショナルであったが、それを飲み込むのに私は時間を要した。聖心女子大学における企画展示「いま、『女性』はどう生きるか キャリア・結婚・装い・命」において纏足の靴の実物を見たとき、自分の足とのサイズ比較のコーナーで、あまりの小ささに愕然とした。

画像: 聖心女子大学グローバル共生研究所企画展「いま、『女性』はどう生きるか キャリア・結婚・装い・命」
聖心女子大学グローバル共生研究所企画展「いま、『女性』はどう生きるか キャリア・結婚・装い・命」

これを見てしまうと、「やっぱりかわいそう」の気持ちがわいてくる。そして掲示してあった纏足の方法を読むと、胸がざわついた。お湯につけてふやかしてから親指以外の4本を内側に曲げて固定するなんてどう考えても痛い。女性の小さな足への憧憬とは、私が宝石を初めて見たときに綺麗だと感じた気持ちと果たして同じだろうか、それは社会的に作られ刷り込まれた美しさだったのではないか、これが美しいのだと言い聞かせられ施される纏足に自由意志などなく、結局は家父長制の象徴にすぎないのではないか……。考え出すと止まらない。

悶々としたまま歩いていくと、とても状態の良い纏足の靴が展示されていた。草花や蝶の繊細な刺繍が美しい。撮影OKなのを良いことに沢山写真を撮ってしまった。

画像: 聖心女子大学グローバル共生研究所企画展「いま、『女性』はどう生きるか キャリア・結婚・装い・命」
聖心女子大学グローバル共生研究所企画展「いま、『女性』はどう生きるか キャリア・結婚・装い・命」

コウによれば、纏足と靴作りは女性の努力と誇りを示すもので、家庭生活と手工芸を重んじる社会のなかでの女性の地位を証明するものであったという(コウ 2005: 22)(4)。この靴をはいていた人も、作った人も、かわいいなと誇らしく思っていたかもしれない。しかし私には彼女たちが何を思っていたか話を聞くすべはなく、纏足を施された足のサイズ感にはついぞっとしてしまう。

纏足について、その文化の外側にいる私たちはどのように考えていけばよいだろうか。ガヤトリ・スピヴァク(1998)は、ヒンドゥー社会における寡婦殉死を例に、ポストコロニアルな関係の下で知識人たちが慣習を批判しようとする際、「白人の男性たちが茶色い女性たちを茶色い男性から救い出す」視点が潜んでいることを指摘している(スピヴァク 1998: 78-79)。

国際社会の圧力によって特定の慣習を廃絶することで「救い出」される命はあるのかもしれない。しかし、西洋社会における普遍的正義のまなざしが、途上国社会の女性たちを声なき存在として扱うとき、彼女らが生きるローカルな権力関係やそれに対する抵抗の力学は見落とされてしまう。スピヴァクの西洋近代主義的な視点と距離を置こうとする視点は、女性の目線に立ち歴史を紐解くコウの姿勢に近いと言える。

こういったポストコロニアル研究のなかのフェミニズムの視座は、中国ジェンダー史研究においても重視されている。私はコウの分析をすべて飲みこめるわけではないが、自分の中にあるオリエンタリスティックな「かわいそう」の内実を見つめたうえで、靴と女性との関係を見ていきたい。

ごく近年の状況に視点を移して靴と女性の関係について考えてみると、♯Metoo運動から派生した♯Kutoo運動が記憶に新しい。私は就活スーツとセット売りのパンプスで靴擦れしただけでも懲り懲りだったので、運動に対する強烈なバックラッシュには驚いた。運動は、最終的に日本航空におけるヒールの規定の撤廃まで行きついたが、インターネット上では、「ヒールの靴が好きな人もいるのに」という声があった。

しかし、#Kutooは職場でヒールの靴を滅ぼそうとするものではなかったはずだ。運動の根底にあったのは、企業文化のなかの服装規定に対する疑問である。ヒールの靴が好きならもちろんそれで良い。しかし働く女性の服装にはヒールが必要だという認識が強制力となるとき、女性たちは身体的な苦痛を受け入れざるを得なくなる。#Kutooは、そのような服装文化にともなう権力性に異議申し立てをし、「働く女性の靴」の文脈を変えていこうとする運動だったのではないか。

とはいえ、私たちが文化習慣を変える術は、社会運動だけとは限らない。冒頭で紹介した私の友人は、2020年のコロナウイルス流行下でリモートワークが常態化し、あっさりオフィスカジュアルから脱却した。今はミニ丈のTシャツを着て、マンゴー色のペディキュアを塗り、マーチンの2万円するサンダルでがしがしと歩いている。私は友人が好きな靴を履けるようになったことを、コロナ禍における唯一の幸運のように思っていたが、当の本人はこの変化についてそれほどの感慨を感じていないようである。というのも、コロナ以前からばれない程度に服装をゆるくしていたところであったという。彼女のサンダル履きの足は、勤務形態が変わらなくとも、近い未来でちゃんと実現していたのかもしれない。

靴をはいて運命を手繰り寄せるか、動きやすい靴をはくために戦うか。それとも機が熟すのを待つか。いつの時代も女性たちは「規範に抵抗する」したたかな実践を行っている。そしてこうした実践を通じて、「服装の文法」はずらされていくのだ。

(1) 纏足の慣習は施すのが女性であったためか、国史などの公的な文書に記録はなく、その起源ははっきりとしていない。3~6世紀には詩の中に纏足らしき描写があったという説、「三寸金蓮」という言葉は南唐時代(937-975)に五代の李後主が官娘に纏足をさせて踊らせたのが起源である説がある(黄 1997: 28)。しかし纏足の物質としての証拠があるのは13世紀以降であり、南宋時代(1127-1279)の女性の墓から纏足が出土している(コウ 2005: 31-32)。

(2)1890年代には梁啓超や康有為といった清末の著名な改革家が、中国には強い国民を産むことのできる健康な母親が必要であるという信念の下、この風習の根絶を促進する「天足」(生まれながらの自然な足)会を設立した(グローブ 2009: 112)。

(3)纏足は清の時代に禁止運動が繰り返し行われた。コウによれば、19世紀には纏足はあまりに大衆化したために逆に俗っぽいものとみなされており、時代の流れと共に廃れていってもいた(コウ2005: 16)。磯村(2007)は、コウの19世紀以降の纏足への見方について、漢族を中心とした記述になっていないかと指摘をする。磯村は文学作品における纏足の表象を分析しており、『纏足の頃』(1943)という作品には、蒙古族と漢族の混血児の娘が、豊かな漢族に嫁げるよう母親によって纏足を施されていた描写があることを取り上げている。19世紀以降においても、纏足の風習は漢族以外の民族に染み出すように広がっていたという(磯村 2007: 103)。

(4)刺繍の美しさにはほれぼれするが、痛みを伴う靴ではなく、服や小物に施されたものであってもよかっただろう。星野幸代(2004)は、コウが身体的な痛みに注意を払わない点、同じ工芸でもアメリカン・キルトのような実用的な方向に向かわなかった点を疑問として提示している(星野幸代,図書新聞2004年1月14日号)

【参照 五十音順】
磯村美保子,2007,「纏足をめぐるノート--ドロシー・コウ『纏足の靴--小さな足の文化史』を読む」『金城学院大学論集』3 (2): 93-105.
黄紅萍,1997,「纏足についての研究」『東京家政大学生活科学研究所研究報告』20: 25-35.
Spivak, G,C, 1988, Can the Subaltern Speak?, University of Illinois Press.(=上村忠男訳,1998,『サバルタンは語ることができるか』みすず書房).
聖心女子大学グローバル共生研究所企画展,2022,「いま、『女性』はどう生きるか キャリア・結婚・装い・命」
ドロシー・コウ(小野和子・小野啓子訳),2005,『纏足の靴-小さな足の文化史』,平凡社.
星野幸代,図書新聞2004年1月14日号.
リンダ・グローブ(上村陽子訳),2009,「五・四期のジェンダー論再考──近年のアメリカにおける中国女性史研究──」『ジェンダー史学』5: 107-114.
鷲田清一,2005,『ちぐはぐな身体』,ちくま文庫.
―――――,2012,『ひとはなぜ服を着るのか』,ちくま文庫.

企画展名:聖心女子大学グローバル共生研究所企画展「いま、『女性』はどう生きるか キャリア・結婚・装い・命」
期間:2022年5月12日(木)〜10月5日(水)※会期終了
会場:聖心女子大学4 号館/聖心グローバルプラザ
サイト:https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/exhibition/2022_women_3/

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