Fashion Tech News symbol
Fashion Tech News logo
2023.03.27

【リレーコラム】伝統工芸×琉球漆×ストリート(前田佳那)

PROFILE|プロフィール
前田佳那
前田佳那

沖縄南城市生まれ。
中国美術史学研究者。専門は北宋山水画。日本学術振興会特別研究員(DC1)。九州大学人文科学府芸術学研究室博士課程在籍。国立台湾大学芸術史研究所訪問研究員。漆ブランド“漆工房前田貝揃案“(https://www.instagram.com/maedalacquerproject/?igshid=YmMyMTA2M2Y%3D)プロデューサー。

皮膜×防衛×ファッション

漆とは、ウルシの木に傷をつけたとき、分泌する樹液のことをいう。

植物を含むすべての生物には、個体を維持するための本能がある。ウルシの木に傷をつけると、その傷口から乳白色の液体(漆)がにじみ出る。樹液を掻き採り続けなければ、人間の血液と同じように、傷口をふさごうと、かさぶたのように漆は黒く変色して固まる。

ウルシの樹液は、その体内にあるときは、液体として流れて循環しているのに、体が傷つけられ外界に触れると硬化して流失を防ぐ。

——防御のためだけなら、美しさはいらないのに、その膜は美しく、艶をもつ。

外界からの攻撃に、自分の傷口を守ろうとするとき、そこに美しさを伴わせること、なぜそんな必要があるのか。

これは美しさが力、強さになり得るからで、これを纏うことはファッションの理念とも共通する。

人は外界に触れたとき、はじめて自分を認識し、幾度となく傷つけられていく自分を必死に守ろうとするとき、強さとしての美しさを表現しはじめる。

伝統工芸×ストリート

伝統工芸とストリート、このタイトルはまさに相反するふたつの分野が掛け合わされたかのようである。あるいは、ふだん混じり合わないものが新たにコラボするかのような印象を与える。

よくされるこのような言いかた。このふたつを対立させること自体に違和感がある。

わたし研究職に勤しむかたわら、昨年、アーティストである父と兄を誘って、ブランドを立ちあげた。実家の漆工房をリニューアルするかたちで創設した漆のブランドである。

このブランドでは、国際的な研究とさまざまなアーティストとのコラボを通して、琉球漆器の新たな表現を提案していくという試みを掲げている。

批判もあるが、ひとつの業界にとどまっていては分からないことがたくさんあるから、こうした副業を始めたのは研究者として至極まっとうな判断だったと思う。

そして、わたしたちのブランドに対する展評でよくかかれる伝統工芸×ストリート。

これは、祖父が1991年に「琉球漆器」の無形文化財保持者に認定されたこともあって、琉球王朝以来の漆芸技術を受け継ぐわたしたちに、伝統の継承という役割が期待されること。

でもそれに対して、わたしたちは伝統工芸であるという口上を述べることはしない。

漆ブランドと名乗りながらも、父が油絵をやったり、兄がストリート感満載のデザインをしたり、彼らが漆を使いながら、さまざまに加工し、自由に、現代的な作品をつくるからである。きれいに整えられた美術館の展示室からでて、ストリートで活躍するデザイナーや音楽家たちとコラボするなかで、風変わりな作品が仕上がってきた。

こうした見慣れない表現にたいして、批評家たちはとりあえず、伝統工芸×ストリートと言ってくれている。あたかも相反するふたつを組みあわせているかのように言うが、本来は、対立させる必要も、それぞれの枠をつくる必要もない。

枠組みのなかでの弱体化×サヴァイヴする表現

漆を使った自由な作品は思いのほか好評で、売れ行きは上々である。
大切なことは、高校生や若い世代の子たちが、伝統工芸だから、ではなく、ただかっこいいから、買っていってくれることである。

沖縄出身のラッパーたちが気に入って、琉球漆でレコードのアダプターをデザインしてほしいと発注がきた。現場では記念にこれを交換したり贈与したりする文化があるらしい。ストリートブランドのデザイナーから、わたしたちとコラボして、キャップのデザインに漆を使ってみたいと提案があった。

漆は、伝統工芸という冠なんかなくたって、ストリートでもただただその美しさをもって、注目されるのだということである。

伝統的工芸品や無形文化財は、いまでは一般の会話で使われるが、法律的用語である。
よく耳にする伝統工芸や伝統漆芸ということばも、第2次世界大戦前の日本ではあまり用いられていなかった。

伝統工芸という枠組みが強調されていることは、伝統工芸の存在が危機に瀕していて、自然にまかせておいては消滅してしまうという危惧があったから、戦後の復興があやぶまれたからである。

しかし、守られることは、表現にとってあまりよくなかったりする。
むしろ、伝統工芸というある枠組みのなかに抑えこんでしまうときに、期待される表現が画一化されることで、生き残れなくなる。

伝統工芸という制度のなかで、追求される美しさは、一方的な美しさかもしれない。

漆は、保護される対象ではなく、生活のなかで、ほかの表現形態と争いながら、あるいは共存しながら、サヴァイヴしていく本質的な強さがある。市井のなかで勝ち残っていく芸術としての可能性を、大いに秘めている。ブランド経営を通してのこの体感は、存外重要なものである。

たとえば、ストリートで、ほかの表現形態に負けないよう、その場その場でサヴァイヴするための努力、そこで生き残るため、ひねり出される工夫や知恵こそ、新たな面白い表現に繋がる。

そうした意味で、わたしたちのブランドは、伝統工芸とは程遠いものへと、どんどん加工していくことや、異種のものとコラボしていくことを厭わないし、むしろそのなかに常に未来への可能性を探っている。

日々、空気の淀んだ、研究室よこの倉庫のような場所でひとり研究しながら感じるのは、やはり息苦しさである。

誰もが感じる息苦しさは、大概、枠組みへの息苦しさだったりする。

枠組みの外へでることは、批判やリスクがともなう。
しかし、ウルシの樹液が傷つけられ外界との接触によって、そこに美しさが現れるように、枠からでて外界の空気に触れるとき、わたしたちも、自由で、美しい表現を手に入れられるのかもしれない。

LINEでシェアする