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【リレーコラム】ジュエリー×テクノロジー試論――コンテンポラリージュエリーからの応答(秋山真樹子)

PROFILE|プロフィール
秋山真樹子
秋山真樹子

文筆/批評。専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ、コンテンポラリージュエリーコース卒。共著に『Spring/Summer 16_green gold』(Schmuck2編、2017)『Jiro Kamata: VOICES』(Arnoldsche Art Publishers、2019)がある。ウェブマガジン Jewelry Journal にて「コンテンポラリージュエリーことはじめ」を連載中。

ファッション×テクノロジーというお題目にジュエリー畑の人間が取り組むとしたら、ジュエリー×テクノロジーが妥当な線であろうということはこのリレーコラムのバトンを受け取る段階ですぐ察しがつきはした。しかしながら問題は私がモノづくりの現場におけるテクノロジーの類いに弱いということで、おまけにジュエリーはジュエリーでも、私の得意分野は自己表現や芸術表現を標榜するコンテンポラリージュエリーという特殊なジュエリーであって、その作り手にはデジタル技術と聞くや否やアレルギー反応を示す人も少なくない。要は何が言いたいかというと、私もこの分野も全般的にテクノロジーが苦手、ということである。
だったら別のテーマでいけやと言われてしまえばそれまでなのだが、せっかくならこれまでさぼってきたジャンルに挑戦したいという1割の向上心と、日本でジュエリー×テクノロジーにコンテンポラリージュエリーをからめて話せる人はほかにあまりいなそうだから、ちょっといいとこみせてみたいという9割の卑しい功名心とに抗えず、結局はジュエリー×テクノロジーでいくことにした。ここまでの話はすべて、背伸びしてムリ目なテーマ設定をしちゃったんで多少のボロは許してね、というエクスキューズだ。これで安心して本題に入れる。
そもそもジュエリーとはどんなものか。数え上げればキリがないが、ここではその懐古的な性格を挙げよう。指輪やネックレスの基本造形は大昔から変わらないし、様式にしたって、近現代においても古代のスタイルが不死鳥のごとく何度もよみがえる。誰かの思い出や遺品といった記憶装置としての役割なんて、懐古的を通り越してもはやおセンチだ。むろん、ジュエリーの世界にもトレンドはあるがそれはあくまで表層の事象。つまり、未来志向のテクノロジーとは正反対。それでも両者の接近はスマートジュエリーなどの形で進んでおり、今年6月のレポートを見ても、向こうしばらくスマートジュエリーおよびアクセサリー市場の大幅な成長が見込まれていることがわかる。
だが、見ていて困惑する面もある。たとえばウェアラブルデバイス(wearable device)は時にスマートジュエリー(smart jewelry)やデジタルジュエリー(digital jewelry)と同義的に扱われ、すみ分けがわかりにくい。そのあたりのことはジュエリー作家でリサーチャーでもあるジェーン・ウォレス(Jayne Wallace)の研究に詳細がある。なお、私の読んだ資料ではデジタルジュエリーの名称は、電子機器を搭載したジュエリーを表すケースと、メタバースにおけるジュエリー表徴全般を表すケースとがあったが、ここでは前者を指すものとする。
ウォレスは研究論文の「Emotionally charged: a practice-centred enquiry of digital jewellery and personal emotional significance(感情を担うもの:デジタルジュエリーと私的感情の意味に関する実践的研究)」において、ジュエリーが持つ、人の感情や思いの担い手としての側面に着目し、それを引き継いだデジタルジュエリーの可能性を探るにあたり、コンテンポラリージュエリーとデジタル技術の接近・融合を説く。この論文は2007年のもので古くはあるが、現代にも通じる普遍の問題を扱った広範な内容で、後続研究においてもしばしば参照されているため、ここでもそれに倣いたい。
ウォレスは、一部のウェアラブルデバイスの難点として、携行時の利便性を向上させるためだけにジュエリーの形を与えられているにすぎず、ジュエリーが何であるかが無視されている、と指摘し、さらには買い替えを前提とし新しさがモノを言う「ガジェット」の概念もジュエリーと相容れない、と続ける。本来人がジュエリーに思いを託すのはジュエリーが長く残るからだ。ではなぜそこにコンテンポラリージュエリーがからんでくるのか。
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