PROFILE|プロフィール
中植 渚(なかうえ なぎさ)
1996年埼玉県生まれ。獨協大学外国語学部交流文化学科卒業。現在、立教大学大学院観光学研究科博士後期課程に所属する。専門は観光社会学。観光、移住、教育によるまちづくりについて研究している。researchmap
2023年9月11日筆者撮影
脱ぐための旅 大学院生の私は今、高校の観光教育を研究している。先日5日間、島根県の津和野町にいた。しまね留学という国内留学制度を通して、他の地域に移住し高校生活を経験する人たちと、高校生たちをかこむ地域の大人によるまちづくりの研究のためだった。この国内留学制度は島根県海士町からはじまったが、現在ではしまね留学、地域みらい留学と全国に広がっている(地域・教育魅力化プラットフォーム編 2019)。たまたま知り合った島根県立和野高校のしまね留学卒業生の優しさに甘えて、津和野町で行われる5日間のツアーー・プログラムに参加させてもらったのだった。旅行に行くときいつもそうしているように、リュックのなかに洗濯しやすい必要最低限の服と、化粧品、パソコン、カメラを詰め込む。新幹線に乗って過ぎていく景色をみていると、私は普段の自分を脱いでいくような感覚をおぼえる。今の悩みや不安も全部家のなかに置いてきて、ここからはとりあえず別の場所で別の時間を過ごすことに集中する。寝る場所も食べるものも、全部自分以外の人がコーディネートしてくれる生活に身を任せる。その楽さに集中するためにも、装いはTシャツと短パンだけでいい。家をでてから7時間半、ようやく旅行先に到着したとき、重たいリュックを背負った私は一番身軽なわたしになった。
眼にうつる「津和野」 津和野での生活はとても楽しかった。オレンジ色の瓦屋根が集まり、道路のわきには蓋のない水路に水が流れていて鯉が泳いでいる。お店に入れば初対面にも関わらずこの町 の歴史を話してくれたり、道行く人と目が合えば挨拶をしあったりもした。昼間のプログラムでは考現学を学び、ドローイングに出掛けた。夜はBBQやみんなでご飯を食べて過ごした。2023年9月11日筆者撮影 ここでは「大学院に進んだら婚期が遅れる」とか、「まだ社会にでてないんだ、仕事は大変だよ」という普段の私をしばりつけるまなざしはない。参加者が何歳でどの性別であれ、どうしたら自分のしたいことを仕事にできるのかだけを一緒に考えてくれる人たちがいた。わたしの眼にそのとき映ったのは、津和野という地域社会を眼に見えるもの、触れられるものとして動いている人たちの姿だった。ずっと関東で暮らし、「田舎」というものの記憶がない人間にとって、こんなにも人が繋がってかたちになっているのをみるのは新鮮だった。無責任に、町全体を学びの場所として過ごすことができる経験をしたかったと少し羨ましく思った。少しずつ「津和野」がわたしの肌に馴染んでいった。
わたしの一時性 しかし、もちろんこれまでの移住研究を進めるなかで、地元住民と移住者間の対立の問題があることも理解している。こうした無責任な観光者の立場で関わることと、移住して実際に暮らすことは違うことも、頭ではわかっている。わたしが見たのは「田舎」のイメージの一面でしかなく、眼に見える繋がりはプライバシーのなさに転化しうることも知っている。だからこそ、経済的な利益よりも私生活の充実を求めた移住をライフスタイル移住と名付けて研究してきたO’Reilly&Benson(2009)は、「本当の生活」を求める人びとは観光者のように移動を繰り返すと指摘している。加えて 今回のツアー・プログラムは津和野高校の卒業生が中心となったものであり、調査のためについてきた人はその主体ではない。「都会」的な感覚のまま訪れたわたしは、全てお膳立てしてもらい濃縮してもらった「津和野」をまなざしていただけだろう。いくつもの反論が思いついていたのにもかかわらず、それを理解した上でも、この徹底的なよそ者を仲間の輪に入れてくれた人たちのお陰で、これからも5日間の限定的なわたしのままでいたいという気持ちが大きくなっていくのも事実だった。
2023年9月11日筆者撮影 次の日に渋谷で人と会う予定があった私は、最終日に居酒屋で歌をうたった高揚感をのこしつつ、雨の津和野をあとにして 帰路につく。東京にいくらでもいる「26歳の女」を脱いだわたしは、ツアーを通して楽しい仕事を創造しようとする人の一人という服を着た。しかし匿名のまなざしが交差し続ける東京に行けば、きっとあの私にただ戻ってしまうだろう。また、自分が傷つかないように心のなかで緊張し続ける生活が待っている。
2023年9月11日筆者撮影 旅行にいくこと、それは普段の私を脱ぐことだと思う。そしてたまに旅先で新たなわたしを身につける。だが身につけた一時的なわたしは、帰ってしまえば別のまなざしに晒されてまた脱がされていく。さまざまな社会学者が述べるように、人は服を着せかえるようにライ フスタイルを変えていく時代になったのなら(Beck, Giddens, Lash 1994=1997など)、なぜ私はこんなにも喪失感を味わっているのだろう。一時的な移動のなかで「本当の自分を取り戻した」という感覚(Noy 2004)に陥る気持ちがわかってしまった私は、津和野のわたしを脱ぎたくなくて、人から隠れて生きていく方法を探している。それでもまた、今日も東京に向かう。
地域・魅力化プラットフォーム編(2019)『地域協働による高校魅力化ガイド——社会に開かれた学校をつくる』岩波書店 U. Beck, A. Giddens & S. Lash(1994).“ Reflexive Modernization: Politics, Tradition and Aesthetics in the Modern Social Order”, Polity Press[松尾精文・小幡正敏・叶堂隆三訳(1997)『再帰的近代化―近現代における政治、伝統、美的原理』而立書房] Noy, C.(2004).“THIS TRIP REALLY CHANGED ME: Backpackers’ Narratives of Self-Change”, Annals of Tourism Research, 31(1), Pages 78-102. K. OʼReilly. & M. Benson(2009).“Lifestyle Migration : Escaping to the Good Life?,” M. Benson & K. OʼReilly(eds.), Lifestyle Migration : Expectations, Aspirations and Experiences, Aldershot : Ashgate.