2021.11.24

【リレーコラム】ご馳走としての衣服と論文(加藤聡)

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PROFILE|プロフィール
加藤聡

東京大学大学院情報学環特任研究員。専門はイングランドを中心とした初期近代の書物史。知的な営みとしてのノート作成や辞典・百科事典の編纂に関心がある。論文に「ジョン・ハリス『レクシコン・テクニクム・マグナム』(1720年)にみる百科事典の編纂と出版計画」(『科学史研究』、2019年)など。


好きなファッションに身を包むこと

とにかく服が好きみたいだ。食に関心がない代わりに、衣に向けられている。あるとき、ショップ店員さんと見間違えられるにはどうしたら良いかと考えたこともあった。そんな冗談が言えるくらいファッションに魅せられている。そんなことだから、クローゼットはちょっとしたファッション・ショーの舞台裏みたいになっている。

それにしても、いつから服が好きになったのだろうか。思い返してみれば、きっかけは高校生活にあると思う。私服の学校を選んだことで、服や髪型への関心は尽きることはなかった。同じクラスには服装にこだわる人も多くいて、彼らの影響を強く受けた3年間だった。当時、カリスマ美容師と呼ばれる人たちが雑誌の紙面を飾っていた。あの美容室に行きたいとか、同じブランドの服を身に付けたいとか、そんな話で盛り上がるから、勝手に知識だけは増えていった。

初めてデザイナーの服を購入したときの感動は忘れない。よくわからないが、なにかが違うと感じた。素材がどうとかシルエットがどうとか、そのときは興味がなかったし、そんなことを知りたいという欲求もなかった。ただただデザイナーの名前を冠したブランドの服を着ているというだけで高揚感に包まれた。友人にあの服を着ていると気づかれたいとは思わなかった。雑誌を見て憧れたデザイナーの服を身に纏っているという事実だけで満たされるものがあった。

それ以来、ファッションは自分の気持ちをコントロールするための手段となった。実は出不精な性格のため、仕事でも休日でも外出するのは一苦労である。ちょっとした旅行に行くとなれば、それこそ無駄に気合いを入れなくてはならない。そんなときは好きな服に身を包むことにしていた。すると、なんだか足取りが軽くなり、億劫な気持ちもどこかへ消えていく感覚があった。これがいつしか処世術となっていた。

だから、ぼくにとって、大量生産された画一的なデザインの服に興味はないのである。そうではなく、ある人が長年の経験から考案したデザインと、選び抜かれた素材によって制作した服に魅せられている。

「生み出されたもの」としてのファッションと論文

さっきコレクションと言ったが、手当たり次第に服を購入しているわけではない。自分のなかでルールを決めている。それは自分の仕事を1つ終えたら、服を買っていいというものである。つまり、論文を仕上げた対価として、服を手に入れるということだ。そんなことだから、論文と服は同じものではないだろうかと思ったことがあって、少しばかり調べたことがある。

仕事柄、調べものはどうしても英語辞典と向き合ってしまう。実は、このリレーコラムを執筆中も、『オックスフォード英語辞典』とロジェの『シソーラス』を開いている[1]。せっかくだから、いろいろと言葉を引いて思ったことを書き残しておこう。

さきほどから何気なく「ファッション」という言葉を使っているが、この言葉が指す内容は曖昧なものだと思う。多分、人によって想像するものが違う。辞典ではどう定義されているのだろうか。

「ファッション(fashion)」はラテン語の facere を語源にもち、元々は「(ものを)作る」とか「(何かを)する」という意味をもつ言葉らしい。そこから「作法」や「形式」といった使い方が出てくる。だから、今日ぼくたちがファッションという言葉を聞いて思い浮かべるような、ドレスや洋服、メイクやヘアスタイルといったものはその一部であり、全体としては「生み出されたもの」として捉えるべきなのだろう。

すると、論文も作法とは無縁ではないということに気づく。よく感想文と論文は違うという言い方がされるが、論文はなんでもかんでも自由に書いて良いわけではない。大学の授業に学術的な作法を学ぶ科目が設置されているように、形式は重要な要素である。

たとえば、参考にした文献を引用する場合には、『シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル』といった本を参照しながら、ある形式に従って記述しなければならない。そうしたルールを守りつつ、文献を読み、原典を丁寧に読み込んだ末に、自身の論理を紙面へと反映させる。結局は、論文もファッションと同じように生み出されたものなのである。

ここまでくると、意外とファッションと論文には様々な共通点があるのではないかと思えてくる。たとえば、キーワードは「テクスト(text)」である。ファッションでテクストといえば、「テクスチャー(texture)」、すなわち織物やその質感のことを指す[2]。縦と横の糸を織って作られる生地が組み立てられて衣服になる。それに対して、物書きにとって、テクストとは原典や文章を意味する言葉である。そのため論文は、論理と文字を織り込んでいく作業といえる。実のところ、どちらの言葉もラテン語の「テクストゥス(textus)」に由来する言葉であり、「編まれたもの」を意味するものであると、辞典にはっきりと書かれている。

ご馳走を堪能する

ここまで来たら、もう一歩である。「論文(treatise)」という言葉は、古フランス語の「取り扱う(traitier)」という動詞に由来するものとある。単語をじっと眺めていると、論文のなかに「ご馳走(treat)」が見えてくる。それに気づいたとき、なるほどと思った。

論文は、それ自体が新たな知見を与えてくれるご馳走なのだが、それを執筆したご褒美も用意しなければと思うようになった。じゃあ、それに見合うご馳走はなんだろうって考えたとき、服へと向かってしまったというわけである。ぼくにとって、論文と服はどちらも様々な素材を料理して作られる贅沢なご馳走なのである。

そのようなご馳走を1人で堪能するのは、ちょっと寂しい。やっぱり饗宴はみんなで楽しむものでないと[3]。だから、買い物に行くなら気の合う人と一緒がいいし、慣れ親しんだスタッフさんと雑談しながら服を選んでいきたい。服をただ買えば良いってことではない。コース料理さながら、購入にいたる過程も含めてご馳走なのである。

[1] イギリスで出版された最大の英語辞典で、「歴史的原則(Historical Principles)」に則り、これまで使われてきたすべての語彙の意味を掲載することを目指したものである。この辞典にまつわる映画「博士と狂人」が昨年(2021年)日本でも公開された。ロジェの『シソーラス』とは、ピーター・マーク・ロジェという生理学者が作成した類義語辞典のことである。これら2つの辞典は、19世紀後半に編纂されている。
[2] ロジェの『シソーラス』には、テクスチャーが「建築(architecture)」や「動植物の構造(anatomy)」といった語彙と類義語関係にあることが示されている。建築や解剖学とファッションの関係を突き詰めるのも面白いテーマである。
[3] このリレーコラムを執筆しているときに発見したのだが、イタリア詩人であり哲学者であるダンテ・アリギエーリには『饗宴』(Il Convivio)という未完の百科全書的な著作が残されているらしい。

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