本稿執筆時、陰謀論者アレックス・ジョーンズが運営する極右/陰謀論/フェイクニュースサイト「InfoWars」の
ライブ配信に出演したYeは、ナチス礼賛ととれる発言によって非難を受けていた。
遡って2013年、Yeこと当時のカニエ・ウェストは「なぜ服にこだわるのか」というテーマに関して、BBCラジオの
インタビューでこう発言している。
「それは裸でいることが違法(illegal)だからだ」
いかにも人を食ったようだが、奇妙に忘れがたい。アドルフ・ロースの箴言「装飾は犯罪(crime(1))である」を想起するからか?裸でいることが違法で、身を飾り付けることが犯罪ならば、われわれのなんと罪深きことか。
ところでボディスーツ、特に
セカンドスキンと呼ばれるようなアイテムがここ数年、トレンドの傍らを流れ続けている。もはやMarine Serreの三日月はインフルエンサーの肌に
焼き付いて久しい。ここまでの議論をふまえると、着衣ながらに裸体を想起させるこれらの装いは、いわば違法と犯罪の重ね合わせであり、恐るべき背徳に他ならない。
肌、彩、罪...... さてこのあたりで、原初的な彩られた裸、すなわちタトゥー(2)の召喚が求められる。事実、近代の衣服に限っても、そのデザインにおけるタトゥーへの参照は歴史深い。
例えば、三宅一生は活動の最初期である1971年に「
タトゥー」と題されたボディスーツを発表しているし、1989SSにMartin Margielaがトロンプルイユのテーマのもとに提示した
シアートップスや、Jean Paul Gaultierの1994SSコレクション「
Les Tatouages」も有名であろう。
あるいは、これら系譜の合流点としてさしあたり、2021AWのsacai x Jean Paul Gaultierで
発表された、
Dr.Wooのグラフィックによるセカンドスキンをプロットしてみてもいいかもしれない。
先に引いたロースはタトゥーについて「もし近代人が刺青をすれば、その者は犯罪者か退廃した人間だ」と述べ、その装飾性を非文明的なものの代表として挙げた。
crimeの語源は「分けること」を意味する印欧祖語*krei-であり、批評(critique)へと接続する。一方でillegal(legalの否定)の語源は「集める」を意味する*leg-であり、これは同時に「話すこと」の意を持つ。もの言わ(*leg-)ぬ(il-)肉体を針がかき分け(*krei-)その奥に黝い徴を吐き出す。
タトゥー、ファッション、テキスト。対象が肉体であれ、布であれ、言語であれ、われわれはそれを切り分け、断面について何かを言わずにはおれない。これが罪だというのなら、まさしく原罪と呼ぶにふさわしいだろう。
タトゥーは原則として消せないゆえに、ファッションにおけるトレンドとはいささか位相を別にする。とはいえ、時代ごとに前面化するスタイルが変化していることは疑いようがない。
例えば、SNSを通じた高解像度の画像の交換が、近距離での鑑賞を前提とした繊細な表現の流行に寄与したであろうことは、多く指摘されている。代表的な例を挙げれば、シングルニードルによるジオメトリックやドットの表現、ホワイトインク、UVインクといった日常ではまず気づかれないカラーの選択などがある。