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【リレーコラム】もの言わぬ肉体をかき分けることについて——タトゥー、ファッション、テキスト——(青山新)

PROFILE|プロフィール
青山新(あおやま・しん)
青山新(あおやま・しん)

1995年生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了(デザイン)。anon press〉編集長。SFや未来志向型のデザインを中心に、執筆/表現活動を行なっている。主な作品に「オルガンのこと」(樋口恭介編『異常論文』所収、早川書房)、「ココ・イン・ザ・ルーム」(日本科学未来館「セカイは微生物に満ちている」にて展示)など。 
https://scrapbox.io/shinaoyama/

本稿執筆時、陰謀論者アレックス・ジョーンズが運営する極右/陰謀論/フェイクニュースサイト「InfoWars」のライブ配信に出演したYeは、ナチス礼賛ととれる発言によって非難を受けていた。
遡って2013年、Yeこと当時のカニエ・ウェストは「なぜ服にこだわるのか」というテーマに関して、BBCラジオのインタビューでこう発言している。
「それは裸でいることが違法(illegal)だからだ」
いかにも人を食ったようだが、奇妙に忘れがたい。アドルフ・ロースの箴言「装飾は犯罪(crime(1))である」を想起するからか?裸でいることが違法で、身を飾り付けることが犯罪ならば、われわれのなんと罪深きことか。
ところでボディスーツ、特にセカンドスキンと呼ばれるようなアイテムがここ数年、トレンドの傍らを流れ続けている。もはやMarine Serreの三日月はインフルエンサーの肌に焼き付いて久しい。ここまでの議論をふまえると、着衣ながらに裸体を想起させるこれらの装いは、いわば違法と犯罪の重ね合わせであり、恐るべき背徳に他ならない。
肌、彩、罪...... さてこのあたりで、原初的な彩られた裸、すなわちタトゥー(2)の召喚が求められる。事実、近代の衣服に限っても、そのデザインにおけるタトゥーへの参照は歴史深い。
例えば、三宅一生は活動の最初期である1971年に「タトゥー」と題されたボディスーツを発表しているし、1989SSにMartin Margielaがトロンプルイユのテーマのもとに提示したシアートップスや、Jean Paul Gaultierの1994SSコレクション「Les Tatouages」も有名であろう。
その後、ドン・エド・ハーディーとクリスチャン・オードジェーによるEd Hardyや、COMME des GARCONS HOMME PLUSの2015AWコレクションにおけるJK5(ジョゼフ・アリ・アロイ)との協働といったタトゥーアーティストとファッションブランドの蜜月が重ねられ、現代日本のわれわれもGAKKINTAPPEIらの影にその歴史を見ることができる。
あるいは、これら系譜の合流点としてさしあたり、2021AWのsacai x Jean Paul Gaultierで発表されたDr.Wooのグラフィックによるセカンドスキンをプロットしてみてもいいかもしれない。
先に引いたロースはタトゥーについて「もし近代人が刺青をすれば、その者は犯罪者か退廃した人間だ」と述べ、その装飾性を非文明的なものの代表として挙げた。
crimeの語源は「分けること」を意味する印欧祖語*krei-であり、批評(critique)へと接続する。一方でillegal(legalの否定)の語源は「集める」を意味する*leg-であり、これは同時に「話すこと」の意を持つ。もの言わ(*leg-)ぬ(il-)肉体を針がかき分け(*krei-)その奥にくろしるしを吐き出す。
タトゥー、ファッション、テキスト。対象が肉体であれ、布であれ、言語であれ、われわれはそれを切り分け、断面について何かを言わずにはおれない。これが罪だというのなら、まさしく原罪と呼ぶにふさわしいだろう。


タトゥーは原則として消せないゆえに、ファッションにおけるトレンドとはいささか位相を別にする。とはいえ、時代ごとに前面化するスタイルが変化していることは疑いようがない。
例えば、SNSを通じた高解像度の画像の交換が、近距離での鑑賞を前提とした繊細な表現の流行に寄与したであろうことは、多く指摘されている。代表的な例を挙げれば、シングルニードルによるジオメトリックやドットの表現、ホワイトインク、UVインクといった日常ではまず気づかれないカラーの選択などがある。
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