2022.09.15

【リレーコラム】「美しい顔」に関する生物学的な一考察(加藤由真)

PROFILE|プロフィール
加藤由真
加藤由真

名古屋市立大学薬学部生命薬科学科卒業、東京大学大学院薬学系研究科薬科学専攻博士課程在学中。専門は分子生物学、神経科学。研究テーマはアルツハイマー病治療のための基礎研究。

私の専門分野は分子生物学・神経科学であり、普段は認知症の最も多くの原因であるアルツハイマー病治療を目指した研究を行っている。

分子生物学とは、生物学の中でも分子に注目し主に一細胞レベルの動きを追う分野であり、遺伝子操作などを伴う実験などを多く行っている。神経科学では、専門ではないが脳がどうこの世界を感じ(認知)、関わろうとするのか(行動)にも興味を持って勉強している。

博士課程学生で分野を代表するのは大変おこがましいが、このような場で、「ファッションとテクノロジー」について、主に生物学での知見を元に個人の考えを述べてみようと思う。

あくまで一個人の意見であり、個人的な攻撃を意図していないことだけは付記しておきたい。

生物学的に魅力的な顔

このテーマをもらった時、「美」について、まず思い浮かんだ実験がある。LangloisとRoggmanによる『Attractive Faces Are Only Average(魅力的な顔とは、平均顔である)』という論文だ(Langlois and Roggman, Psychol. Sci., 1990)。

この実験では、複数人の若い男性と女性の顔写真を用意し、それぞれの画像をコンピュータ処理して、2人、4人、8人、16人、32人分の顔を混ぜ合わせた合成画像を作成した。そして、元の個人の顔と合成顔を300人の評価者が5段階の魅力度で評価すると、個人よりも2人、2人より4人と混ぜ合わせた顔、さらに混合度の高い複数人の合成写真の方がより魅力的であると評価された。

つまり、私たちは平均的な顔を魅力的だと思うようになっている、という結果を報告しているのだ。

この事実の生物学的解釈の一説として、『コイノフィリア(koinophilia)』という仮説がある。この仮説では、有性生殖する(パートナーを必要とする)動物がパートナーを選ぶ際、極端で珍しい特徴を持つ個体は生存に不利な変異(例えば奇形や疾病に弱いなど)を伴っている可能性が高いため、主に平均的な特徴を持つ相手を求める。という仮説である (Koeslag, J. theor. Biol., 1990)。

つまり、「美しい顔」がまずあるわけではなく、「生存に有利な顔」が美しいと思うように脳がプログラムされているのではないか、ということなのである。

ここに、グレスゴー大学で発表された、各国の男女のモーフィング(合成)画像がある。皆、揃いも揃って美形であることが、上記の説を支持している。まだ人種や民族によって多少の違いがある特徴が、今後更なるグローバル化によって混ざり合っていくことが、「ハーフ」がもてはやされがちな今の風潮からも予測されるだろう。(1)

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画像: https://leadingpersonality.wordpress.com/2013/09/30/average-faces-of-men-and-women-around-the-world/
https://leadingpersonality.wordpress.com/2013/09/30/average-faces-of-men-and-women-around-the-world/

生存戦略としての遺伝子の混ぜ合わせ

遺伝的バックグラウンドを混ぜ合わせることの意義としては、疾病への免疫獲得という面でも重要だろう。15世紀末にヨーロッパ人がアメリカ大陸を「発見」し、征服を始めた時、アメリカ大陸原住民はヨーロッパ人が持ち込んだ旧大陸由来の自身にとって未知の感染症(インフルエンザ、麻疹、天然痘)によって多くが犠牲になった。様々な環境へ曝露し、免疫を獲得した個体は生物の至上命題である「生存・繁殖」を遂行できる。

だからこそ、顔(今回は顔に限定してしまっているが身体的特徴の何か)が美しいと感じることは、「遺伝子がよく混ぜ合わさっている」「病気に強い」「生存に有利」な個体をパートナーとして選ばせ、自身の子孫に有益な遺伝情報を分け与えたいと思う本能の表れなのではないかと考えられる。

後天的な外見に介入する整形手術に嫌悪感を抱く人が多いのは、まさにこの本能的直感からくる無自覚的なものなのではないかと思う。

しかしながら文化的、社会的背景からも「美」というものは変化しうる。生物学的に考えると自分の身を守りつつ、狩りを行ったり、農耕を行うなどして食糧を得られる個体が生存に必須であった。しかし近世・現代においては必ずしも自分の獲物を用意するわけではなくなった。

中世ヨーロッパの華美な装飾品に代表される「自分でそのような(ある種原始的な)営みをしなくとも済むような富の象徴」としての不便さが過度に発達した変遷などを見ると、生物は一様に変化するわけではないということが面白いと思う。

多様性を許す社会というものは、それだけ余裕があるという見方もできる。

生物学的戦略

生物学を勉強していると、文字通りリーズナブル(Reasonable=reason + able; 合理的で納得できる)な本能や進化に気づけて面白い。

自分が思った『何となく』や『直感』といったものが納得できる形で説明できるのは面白い。しかし、実験的検証がなされているものが多いにしろ、あくまで解釈の一例であることは強調しておきたい。

『最近のアイドルは顔が似ている』や、『最近の若い人は“シュッとした”人が多い』というのは、よく混ざり合って生物学的な一つの方向性に進んでいる証拠でもあるといえる。

しかしながら生物は同時に、多様性も許容するものである。少しずつ違う個体をたくさん用意しておいて、環境が変化したときに(残酷な言い方ではあるが)どれが生き残るか、どれかが生き残れば良いだろう、という「進化論」での生物の基本的戦略である。

「美形」が「美形」として持て囃されるのは生物学的にも根拠があるという暴論を紹介した後で、自分の美しさはどうなんだと我に返り、気分を害したら申し訳なく感じた。

もちろん自分が平均とかけ離れていた場合、平均に近い(≒美形)パートナーを選ぶというのは一つの解答ではある。しかし凸凹のように、自分の凹を補ってくれる凸のような存在と出会えたらいわゆる「美形」よりももっとフィットした魅力を感じたりするのではないかとロマンティックなことを考えたりもする。

ファッションも、自分を均質化した「美形」に近づけるよりも、フィットする何かがあるのではないかと思う。その方が自分の凸凹を、凹凸を持った誰かが見つけやすくなってくれるのではないか?

本能は本能として、自分としては「何を大事にしたいのか」ということと、「本質」を見失わないでいたいと常に思う。

(1)Coren L. Apicella, Anthony C. Little, Frank W. Marlowe. (2007). Facial Averageness and Attractiveness in an Isolated Population of Hunter-Gatherers Perception 36(12):1813-20.

 

関連論文:この論文では、ヨーロッパ人とタンザニアのハッザ族でそれぞれ作られた平均顔をお互いに評価した際、本文で述べている平均顔へのより高評価と同時に、ヨーロッパ人はハッザ族の平均顔も好印象であると評価するのに対し、ハッザ族はヨーロッパ人の平均顔に好印象を持たなかったことを報告している。考察では、ヨーロッパ人が西洋とアフリカの両方の顔に触れる経験がある(要するに見慣れている)一方、ハッザ族はそうではないので、平均顔を美しいとする基本原理は同じものの、結果は環境と文化的経験に依存しているとしている。人材や情報の交換が進んだグローバル化によって多くの異なる文化圏が混ざり合ってきたため、我々の美の価値観も変化してくるだろう。

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