PROFILE|プロフィール

Yoshiko Kurata
ライター / コーディネーター
1991年生まれ。国内外のファッションデザイナー、フォトグラファー、アーティストなどを幅広い分野で特集・取材。これまでの寄稿媒体に、Fashionsnap.com、HOMMEgirls、i-D JAPAN、STUDIO VOICE、SSENSE、VOGUE JAPANなどがある。2019年3月にはアダチプレス出版による書籍『“複雑なタイトルをここに” 』の共同翻訳・編集を行う。CALM & PUNK GALLERYのキュレーションにも関わっている。[Photo by Mayuko Sato]
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いままで数回にわたって、わたし個人の視点で触れてきた2010年代ファッションのビジュアル表現におけるゲームチェンジ。もう少し俯瞰した視点で2010年代の輪郭をなぞっていきながら、まだ言語化できない現在進行形のことまでまとめられないかと思い、今回はゲストに村上由鶴さんを招き、紐解いていきます。村上さんは、現在研究者・ライターとして、The Fashion PostやPopeyeで写真の美学を軸に連載を行い、最近では「発明」という視点からファッションフォトの歴史をまとめています。これまで連載で焦点を当ててきた2010年代に起きた新しい身体表現の起点を探りながら、現在進行形で変容している表現や価値観についてお話させていただきました。 そしてこの回をもって、この連載は一区切りとなります。またどこかでゆっくりとファッションにおけるゲームチェンジを語れる機会があれば、そこで皆さんと再会できることを楽しみにしています。
50年代を起点に始まる「女性性」への意識の変容
前回の記事で触れた、モデルキャスティングの変化と新しい身体表現は、理想の美への価値観を崩すカンフル剤としてあらわれ、そこに拍車をかけるようにSNSでのオーディエンスの声は、よりダイレクトに「理想の美」に対しての意識を覆していった。その変革によって「性」に対しての固定概念が取り払われていったわけだが、村上さんの視点から見ると、それらの変革の大元となるファッションフォトの起点は、50年代に活躍していたアーヴィング・ペンやリチャード・アヴェドンらの表現がベースにあるという。この記事は会員限定です。
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