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2023.01.23

原宿生まれのCPH(シーピーエイチ)デザイナーが語る、移り行く原宿

表参道にあった同潤会(どうじゅんかい)アパート[1]で生まれ育ち、今年で24周年を迎える原宿の帽子ブランド「CPH(シーピーエイチ)」のデザイナー渡部健二さんに、原宿の昔と今、そして長年原宿で愛される帽子作りの事を伺ってみた。

同潤会アパートに生まれ、幼少期を過ごした1970年代の原宿

「幼少の頃の1970年代、その頃からもう表参道はにぎわっている場所でした。表参道は都会のど真ん中で、なぜ表参道に住んでいたのか小さかった僕には分からないのですが、当時まだ風呂が付いていない家も多かった時代でした。同潤会アパートは屋上に風呂が付いていて、それを8世帯くらいが順番に使う決まりだったのを覚えてます。
昔は原宿にも銭湯がいくつかありました。例えばとんかつのまい泉 青山本店はもともと銭湯だった建物を改築して使っているので、今でも銭湯の名残が感じられる内装になっています。東郷神社の横にある東郷幼稚園に通っていたのですが、そこでザリガニ取りをしていました。あの敷地は今も少し自然が残っています。その頃はまだラフォーレ原宿もなかった頃で、そこには教会がありました。思い出せる昔の事はそういった感じです」
現在の表参道ヒルズ。その一角には同潤会アパートが復元されている
現在の表参道ヒルズ。その一角には同潤会アパートが復元されている

青春時代を過ごした80年代の原宿

幼少時代を過ごした原宿から神奈川・埼玉へと移り住み、今度は通うようになった青春時代の80年代の原宿。当時文化服装学院の学生だった渡部さんに、ファッション的な視点から見た原宿の街の事を聞いた。
「同潤会アパートには様々なお店などが営業していて、また表参道に面して井戸がある小さな公園があり、その公園の裏側にも古着屋をはじめ様々なお店が営業していたと記憶しています。当時から古着が好きで古着屋にはよく行っていました。90年代のビンテージブームの少し前で、ようやくLevis501の赤耳が流行ってきた頃でした。
それから原宿セントラルアパート[2]。ラフォーレの向かいにある今の東急プラザの場所で、お店や住居や事務所なんかが入っていた建物があり、1階が宝石屋さんやカフェでクリエーターの人が事務所を構えていたり、住んでいたりしていて、地下には原宿プラザがあって個性的なお店がいろいろ入っていたりしました。
あとは文化屋雑貨店とか。宇宙百貨とかキッチュな輸入雑貨のお店が人気だったのを覚えています。表参道は今みたいにハイブランドのショップがいっぱいという雰囲気ではなかったと思います。その頃はDCブランドブームで、人気のブランドはパルコとかラフォーレに入っていて。それらとは対極に、当時も今も変わらずにあるお店もPINK DRAGONA STORE ROBOTなどあります。原宿はいろいろ変わりゆきますが、変わらないものもありますね」

90年代に原宿でスタートしたCPH

ここからは渡部さんの帽子ブランドCPHについて聞いて行こう。1999年に原宿明治通りに面した京セラビル、その地下に帽子屋「C-PLUS HEAD WEARS(シープラスヘッドウェアーズ)」をオープンする。最初から原宿で開業しようと決めていたのだろうか。
「帽子屋をやる前は下北沢のHAIGHT&ASHBURYとう古着屋で働いていたのですが、中古では無く新品のショップをやろうって思ったときに原宿か代官山っていうのが当時のイメージとして強かったと思います。でも代官山はちょっとスノッブ(snob)な感じがしましたし、中目黒は今みたいな若者が集まる街ではなかったので、そう考えると、原宿にお店を出すというのが自然なことだったのかと思います」
1999年に京セラビルの地下にオープンしたC-PLUS HEAD WEARS
1999年に京セラビルの地下にオープンしたC-PLUS HEAD WEARS
「その後キャットストリートに程近い今の物件に引っ越してきました。それが2012年の事です。そして2018年にはブランド名をC-PLUS HEAD WEARSからCPHに変更しました」
2012年の移転から現在に至る、キャットストリートにあるCPHの路面店
2012年の移転から現在に至る、キャットストリートにあるCPHの路面店
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