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2022.09.01

レジェンドが語る、スケートボードの 「過去・現在・未来」

日本におけるスケートボード黎明期の90年代からシーンを牽引してきたプロスケーターの岡田晋。日本と世界のスケートレベルを縮め、日本のスケートシーンの進化と構築に貢献したパイオニア的存在だ。
現在のスケートシーンは、東京五輪で堀米雄斗が金メダルを獲った影響から、さらに進化するフェーズを迎えようとしている。日本のスケートボード界の礎を築いてきた彼に、自分が通ってきたシーンを、自身が履いてきたスニーカーとともに、俯瞰して振り返ってもらった。さらに過去、現在、未来という3つの軸にシーンを分けて、それぞれどう感じていたのかを聞いた。

~過去~ エアウォーク、ヴァンズなどが隆盛を極めたスケボー黎明期

岡田さんがスケートボードを知るきっかけになったのは80年代中盤~後半を席巻したローラースケートブーム。そこから友人の兄が持っていたスケートビデオ(パウエルの“プロパガンダ”)を観て、色々なトリックを覚えていったそうだ。
「本場アメリカのスケートビデオを観たことで、アメリカのスケートカルチャーに憧れましたね。俺もここに行きたい! という想いも強くなりました」
当時、今のような整備されたパークは存在していなかったので、公園などに手作りのランプやカーブボックスやレールを置いて滑るのが日常だったようだ。当時、岡田さんはどんなシューズを履いていたのだろう。
「80年代後半~90年代初頭は、エアウォーク(エニグマ、ベロシティ、ディザスター)、ヴァンズ(ハーブキャブ、ジャズ)、ヴィジョンでした。90年代に入り、エアウォークも第2期に入ってきて、ワンやネクスト、ジムといったモデルが出てきた時期。当時としては独自のスケートスタイルを確立し、俳優としても活躍している人気のプロスケーター、ジェイソン・リーのシグネチャーモデルがでたところで、エアウォークが第2次最盛期を迎えていました。
スケートを始めて一番多感な時期がちょうど、それまでのスケートスタイルからストリートをスタンダードにした新たなスタイルがビックバン的に盛り上がりを見せる変革期に入っていました。自分たちは80年代後半から90年代でガラッとスタイルが変わる瞬間を体験した世代だったんですよ」
笑顔を絶やさないナイスガイの岡田さん。海外のビデオパートに登場していた当時から、スケーターとしてのバイブスは変わらない
笑顔を絶やさないナイスガイの岡田さん。海外のビデオパートに登場していた当時から、スケーターとしてのバイブスは変わらない
90��~00年代にかけて岡田さんが履いていたスケートシューズ、エメリカ。当時としてはボリューム感のあるそのフォルムが、ストリートでも人気だった(岡田さん提供)
90~00年代にかけて岡田さんが履いていたスケートシューズ、エメリカ。当時としてはボリューム感のあるそのフォルムが、ストリートでも人気だった(岡田さん提供)
あのコンバースもスケートモデルを展開していたのは驚き。これは貴重な資料だ。(岡田さん提供)
あのコンバースもスケートモデルを展開していたのは驚き。これは貴重な資料だ。(岡田さん提供)

~現在~ 堀米雄斗の活躍に象徴される現在のスケートシーン

現在は全国各地にスケートボードパークも増え、スケボー人口も爆発的に増加。あれよあれよという間にスケートボードは東京五輪からオリンピックの正式種目になっている。岡田さんは現在のスケートシーンをどう見ているのか聞いてみた。
「やはりオリンピック効果で、世界的な盛り上がりを見せていますが、競技的な部分がフォーカスされすぎて多少先走りしているようにも見えます。スケートボードのコアなところってやはりカルチャー的な部分だと思うし、もっというとストリートでビデオを撮って作品で世界中に表現していくというのがスケーターの醍醐味で、それは普遍的だと思っています。
そしてそこにはアートやファッション、音楽などスケートボードをハブにしてさらに多様な世界が広がっている。それこそがスケートボードの1番の魅力だと思います今はオリンピックで競技的なものが入り口だとしてもです。だからこそ、五輪で金メダルを獲った堀米雄斗の存在は大きいと思いますよ。彼は本当のプロスケーター。L.A.のストリートでビデオパートをとりつつ、大会でも優勝する。両方できるからこそ本物のプロだと思うんですよ。スケートボードのすべての要素を異次元で体現していますから」
岡田さん曰く、彼がスケートを始めた90年代初頭は、大会で優勝して、スポンサーから物品提供を受けることがプロとしての認識だったが、現在ではその様相も変わっている。
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