日本におけるスケートボード黎明期の90年代からシーンを牽引してきたプロスケーターの岡田晋。日本と世界のスケートレベルを縮め、日本のスケートシーンの進化と構築に貢献したパイオニア的存在だ。
現在のスケートシーンは、東京五輪で堀米雄斗が金メダルを獲った影響から、さらに進化するフェーズを迎えようとしている。日本のスケートボード界の礎を築いてきた彼に、自分が通ってきたシーンを、自身が履いてきたスニーカーとともに、俯瞰して振り返ってもらった。さらに過去、現在、未来という3つの軸にシーンを分けて、それぞれどう感じていたのかを聞いた。
~過去~ エアウォーク、ヴァンズなどが隆盛を極めたスケボー黎明期
岡田さんがスケートボードを知るきっかけになったのは80年代中盤~後半を席巻したローラースケートブーム。そこから友人の兄が持っていたスケートビデオ(パウエルの“プロパガンダ”)を観て、色々なトリックを覚えていったそうだ。「本場アメリカのスケートビデオを観たことで、アメリカのスケートカルチャーに憧れましたね。俺もここに行きたい! という想いも強くなりました」
当時、今のような整備されたパークは存在していなかったので、公園などに手作りのランプやカーブボックスやレールを置いて滑るのが日常だったようだ。当時、岡田さんはどんなシューズを履いていたのだろう。
「80年代後半~90年代初頭は、エアウォーク(エニグマ、ベロシティ、ディザスター)、ヴァンズ(ハーブキャブ、ジャズ)、ヴィジョンでした。90年代に入り、エアウォークも第2期に入ってきて、ワンやネクスト、ジムといったモデルが出てきた時期。当時としては独自のスケートスタイルを確立し、俳優としても活躍している人気のプロスケーター、ジェイソン・リーのシグネチャーモデルがでたところで、エアウォークが第2次最盛期を迎えていました。
スケートを始めて一番多感な時期がちょうど、それまでのスケートスタイルからストリートをスタンダードにした新たなスタイルがビックバン的に盛り上がりを見せる変革期に入っていました。自分たちは80年代後半から90年代でガラッとスタイルが変わる瞬間を体験した世代だったんですよ」