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2023.07.27

ビザ取得のため最高裁判所でゲリラショーを開催 パリ在住17年、ファッションデザイナー大浦雲平の旅路

日常からの逸脱による出会いの中で、自分の輪郭をしなやかに、軽やかに変幻させていくこと。“旅する服”をコンセプトにする、パリ拠点のユニセックスブランド「CLOUD LOBBY(クラウドロビー)」のデザイナー、⼤浦雲平さんの話を聞いていると、旅の意義について考えずにはいられなかった。
「機能性の高さを謳う意味での“旅する服”とはちょっと違うんです。洋服と僕自身が旅をしながら、雲のように形を変えて、どこまでも流れていく。カラダを解放して、ココロを喚起する洋服を届けたい」と話す⼤浦さん。
パリ在住17年目を迎える彼は、異国の地に根を張る現在進行形の経験と、世界中で出会う人々、パリでの日常風景といった、自身の人生の旅を「CLOUD LOBBY」に投影する。留学先の大学の中退や、デザインではなくビジネスサイドからの経験、パリ最⾼裁判所でゲリラショーを開催するなど、指針となる軸を貫きながらも、まさに雲のごとく風に身を委ねて現在地に流れ着いた。
時にフランス特有の変動的な法制に翻弄されながら、すべての経験を洋服へと落とし込む、大浦さんの17年の軌跡を辿る。
PROFILE|プロフィール
⼤浦 雲平
⼤浦 雲平

「CLOUD LOBBY」創設者兼デザイナー
2003年にベルギー・アントワープ王⽴芸術アカデミーに留学後、2006年パリに渡り、パターン学校A.I.C.Pにてレディースパタンナー資格を取得。「Haider Ackermann」「Veronique Leroy」「Lemaire」など数々のアトリエで研鑽を積み、2013年に自身のブランドを創設。一人で手縫いで制作するところから始まり、コロナ禍以降に受注生産に加えて卸も開始した。現在はポップアップや、レストランで行うワイン×フード×ファッションのプレゼンテーションなどを通して、「CLOUD LOBBY」の物語を紡いでいる。

⼀着に関わる⼈々が紡ぐ物語

まず、ファッションとの出会いについて聞かせてください。幼少期からデザイナーを志していたのですか?
高校まで野球少年だった僕は、昔から洋服が好きでした。ただファッションではなく、デザインという広義な意味でクリエーションとモノ作りを学びたかったため、東京造形大学の室内建築を専攻しました。
おもしろいことに、ファッション系の学科がないにもかかわらず、年に一回学生がファッションショーを開催するイベントがあったんです。独学で洋服を作りながら毎年参加し、洋服を作ること、ファッションショーを開くことの楽しさを体験しました。
海外留学のきっかけは、「アントワープ王⽴芸術アカデミー初の日本人卒業生」という記事が目に留まったこと。当時の僕は何故かフランスの学校には目もくれず、アントワープ王⽴芸術アカデミーとイギリスのセントラル・セント・マーチンズ美術大学を下見に行き、前者に決めました。
パリを意識していなかったにもかかわらず、結果的にここに辿り着いた経緯とは?
東京造形大学で学業を修め、2003年に学生としてベルギー・アントワープに渡りました。でも描いていた学生生活と現実は違ったんです。アントワープ王⽴芸術アカデミーは、基礎ありきで育成・発展させるという方針で、それまで服作りに関しては独学でやってきて、基礎をしっかり身につけたかった僕は他の場所で学ぶべきだと思い、2年で退きました。
そして、当時アントワープを拠点にしていた「Haider Ackermann(ハイダー アッカーマン)」のアトリエの門を叩いたら、アシスタントのアシスタントみたいな雑務をさせてもらえることになり、3ヶ月ほど働いた頃にアトリエがパリに移転すると同時に僕もパリへと移りました。
ところが僕が日本への一時帰国からアントワープに戻るとアトリエがもぬけの殻で、人伝でなんとかパリの別のアトリエを見つけたっていう紆余曲折ではあったんですけどね(笑)。
2006年からパリ生活がスタート。どのように生計を立て、キャリアを積んでいったのですか?
パリはアントワープよりも物価は高いし、貯金も底をついてきて…。「Haider Ackermann」の後に「Veronique Leroy(ヴェロニク ルロワ)」で働き、パターン制作について学びながら、フランスの語学学校に通い、日本食店でアルバイトもしました。
アトリエで働くといっても、実力がないと生計を立てられるほどの給与はもらえないのが当時のフランス。この地のファッションの世界で生きていくためには、実力の証明となる資格が必要だと思い、パターン学校A.I.C.Pに入学し、アルバイトで学費を捻出しながらレディースパターンナー資格を取得しました。
それから「Lemaire(ルメール)」やと「DIOR(ディオール)」や「NINA RICCI(ニナ リッチ)」などの生産工場であるLazar Cuckovic Couture(ラザール・キュコヴィック・クチュール)でパターンナーとしての経験値を上げられたのが、今に繋がっています。
ただ、目標はあくまで自分のブランドを立ち上げることであって、パターンナーの仕事は生活のため。目標を逆算したら、ブランド全体、特に販売について学ぶべきだという考えに至り、アトリエであえて生産管理の職務に変えさせてもらい、その後は「Kris Van Assche(クリス ヴァン アッシュ)」 と「Alexander Wang(アレキサンダー ワン)」でセールスに携わり、海外取引についての実経験を培っていきました。
クリエーションに関わる業務はもちろんですが、ビジネスの成り立ちを学べたのは貴重でした。
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