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2023.04.06

トラックの幌を再利用してメッセンジャーバッグへ!FREITAG(フライターグ)の挑戦の歴史

FREITAG(フライターグ)」はユーズドのトラックタープ(幌)を再利用して唯一無二の1点もののバッグやグッズを展開するブランドだ。SDGsやサステナブルという言葉が世界に広がる以前から環境問題に取り組み、今なお沢山のファンを持つ。
そんなFREITAGの歴史や取り組みをFREITAG lab.japan株式会社ビジネスデベロップメントマネージャー脇野友輔さんに話を伺った。
「1993年にスイスのチューリッヒで創立したブランドです。代表は兄弟で、兄が『Markus Freitag(マーカス・フライターグ)』、弟が『Daniel Freitag(ダニエル・フライターグ)』です。
FREITAGは直訳するとドイツ語で『金曜日』という意味です。金曜日の五感の良さや日本の『花金』、アメリカの『TGIF』のようなワクワクする感じやテンションをそのままブランド名にしたそうです」
写真 向かって右が兄のマーカス・フライターグ、左が弟のダニエル・フライターグ
写真 向かって右が兄のマーカス・フライターグ、左が弟のダニエル・フライターグ
「兄弟2人がバッグ作りを始めたきっかけを話す前に、スイスのことについて触れた方が良いと思います。スイスは観光地のイメージがありますが、リサイクルシステムが非常に進んでいる国です。
分別も進み、ゴミはゴミではなく、資源として扱われています。このような背景があり、フライターグ兄弟は幼い頃、鉄ゴミの日にはそれを拾っておもちゃにして遊んでいたそうで、彼らにとって捨てられるものはゴミではなく、材料になりうるというマインドを持つことになるのです。
高校生の頃には家族でインドに旅行に行き、捨てられているタイヤやゴミでさまざまなものを作っているところを見て感化された経験もあったそうです。1990年代はカリフォルニアでメッセンジャーたちが出てきた頃で、メッセンジャーバッグが流行り始めていました。
大人になった彼らは、グラフィックデザイナーと商業デザイナー・ビジュアルマーチャンダイザーになっていました。チューリッヒという街はコンパクトで交通網も発達しており、トラム(路面電車)や鉄道に自転車を積むことができるため、自転車があればどこへでも移動できる環境にあり、2人も日々を自転車で行動していました。
メッセンジャーバッグは当時のチューリッヒでは販売していなかったそうです。そこで兄弟は『自分たちで作ってしまおう』と考え、PVC(ポリ塩化ビニール)素材のトラックのタープに着目したといいます。
トラックから外され役目を終えたタープをトラック会社から手に入れ、廃車になった車のシートベルトをショルダーベルトに利用し、縁のバインダー縫いの部分は自転車のタイヤのインナーチューブを縫い合わせて作ったメッセンジャーバッグがすべての始まりです。
これは自分たち用に作ったもので、もともと売るつもりはなかったのですが、周りから欲しいという声が大きくなり、ブランドを立ち上げることになったという流れです」
最初に作られたプロトタイプのメッセンジャーバッグ。ハンドメイドで作られた
最初に作られたプロトタイプのメッセンジャーバッグ。ハンドメイドで作られた

すべてが1点もの。FREITAGの代表的なアイテムたち

FREITAGの沢山のラインナップから代表的なアイテムをいくつかピックアップして紹介してもらった。
「『DEXTER(デクスター)』というアイテムですが、日本ではこれが定番のアイテムとなっています。本体が内側に折り込まれた仕様で、必要に応じて容量を2段階に拡張することが可能です」
「次は『HAWAII FIVE-O(ハワイ ファイブ オー)』という小さいサイズのアイテムですが、セールス面ではこちらが多くの方に選ばれています。シンプルな作りながら、フラップ裏のベルクロが縦にも付いているので、フラップを少し持ち上げて付けると内容量を増やすことができる点も特徴的です」
「最後に『F52 MIAMI VICE(マイアミ バイス)』という大きめのトートバッグを紹介したいのですが、これにはユニークな話があります。スイスのミグロという最も大きなスーパーマーケットの紙袋と同じ大きさなのですが、そのミグロが1996年に『ドンナスターク』(木曜日)というFREITAGのメッセンジャーバッグのコピーを中国で大量生産して作ったPVCのメッセンジャーバッグ(恐らくサステナブルな方法で生産していない)を売り出しました。
『ミグロがFREITAGに似たものを作った』とスイスで当時話題になりました。なぜなら、スタートしたばかりの小さな企業であるFREITAGにとっては大きな脅威だったからです。その後、企業同士で話し合い、ミグロはもう『このコピー商品のPVCのメッセンジャーバッグを売りません』という約束をしてくれたのですが、その後、フライターグ兄弟はミグロ全店舗のレジ横に売っていた通常の紙製ショッピングバッグと同じサイズのものを作って売り出したという裏話があるバッグです。このバッグをF52 MIAMI VICEと名付けました。」
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