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2024.10.21

「靴磨き」を芸術にまで高める30歳の職人・寺島直希の技術と価値観

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「靴磨き」という伝統的な手仕事の分野で、前例のない開拓を続ける若き職人がいる。寺島直希、30歳だ。
「靴磨き選手権大会」を24歳で制した国内屈指の実力者は、スーツ姿で革を磨く所作も美しい。いまはオリジナルのメンテナンス剤を使いこなし、京都のアトリエと大都市の高級レジデンスを行き来する。
新しい感性でレザーメンテナンスというジャンルを開拓する寺島さんに、仕事の奥深さとメンテナンスしながらものを使い続ける価値について聞いた。
PROFILE|プロフィール
寺島 直希(てらしま なおき)
寺島 直希(てらしま なおき)

1994年京都府出身。大学時代に、京都の路上で靴磨きのキャリアをスタート。24歳の時に、銀座三越が主催する靴磨き選手権大会で最年少優勝、2020年に靴磨き専門店「HARK KYOTO(ハーク キョウト)」オープンする。11月にはHARK KYOTOの大阪店を出店予定

原点はランドセルと野球グローブ

寺島さんの活動について聞かせてください。
京都にある店舗「HARK KYOTO」を拠点に、靴・鞄・財布などのレザーグッズのメンテナンスを行っています。2022年からは住友不動産の高級賃貸レジデンス「ラ・トゥール大阪梅田」にも出店するようになり、現在は東京でもサービスを提供させていただけるようになりました。
なぜこのような最高級グレードのレジデンスに協力することになったのでしょうか。
住友不動産様からお声掛けいただいたことがきっかけでした。ありがたいことに以前から私の活動を見てくださっていて。靴磨き選手権に優勝した後に「HARK」をオープンして、そのタイミングで、大阪に高級賃貸レジデンスができるという話があり、そこでサービスを提供させていただけることになりました。このご縁に感謝すると同時に、より一層住友不動産様、お客様に喜んでいただけるサービスをお届けできるよう努めてまいります。
寺島さんが靴磨きの道に入ったきっかけは。
実は、振り返ってみると原点は小学生の頃にあったんです。父親が料理に携わる仕事をしていて、休日は家で料理をしてくれていました。必ず包丁研ぎから始まっていて、それが家のひとつの風景でした。カウンター越しに父の姿を見ながら、子どもながらに「自分もこういう風にモノとの付き合い方ができたらいいな」と思っていました。
その感覚を自分で試すようになったのが、小学2年生のとき。最初に磨いたのは自分のランドセルでした。私のランドセルはピカピカでしたよ。遊んで踏みつけたりすることも一度もありませんでしたから。
中学生になると野球のボーイズリーグに入りました。コーチが元プロ野球選手の方で、その方が父と同じように、練習前にベンチでグローブを磨いていました。特に印象的だったのは、素手でオイルを取り、グローブに直接塗り込んでいたことです。その姿をいまでも覚えています。
「どうして手で塗っているんですか?」と尋ねると、「そのほうが愛着が湧くだろ? それに、革がどういう状態なのかを毎日確かめられるんだ」という答えが返ってきたんです。この言葉が、のちのちの私の靴磨きに対する考え方に大きな影響を与えることになりました。
レザーメンテナンスとのファーストコンタクトですね。
ええ。その後も野球は続けていたんですが、高校を卒業したとき、希望の大学に進学できなかったことをきっかけに、その後の生き方を考えるようになりました。このまま大学に入ってどうしたいのか、浪人して志望校への入学を目指そうか。
そのとき、悩んでいるあいだにも靴を磨き続けていることに気づいたんです。「無心になってできるものって、これだな。これなら続くかもな」と思った。そこで「靴磨き」を本格的な仕事にしようと。
でも、どうやったらプロになれるかわかりませんでした。そこで、まず家族の持っている靴や鞄を全部磨かせてもらったんです。すると、自分が思っている以上に両親が喜んでくれたんですよね。それまでは自己満足の域を出なかった「磨くこと」で、人を喜ばせることができる。もっと喜んでもらいたいという気持ちに切り替わって、親戚を回ったり、そのお知り合いを紹介してもらったりしながら、大学生になって2年ぐらいは身の回りの人のレザーグッズを磨かせてもらっていました。

ストリートからの出発

実際に靴磨きが仕事になるのはいつから。
20歳のときです。自分の技術を試そうと、路上での靴磨きを始めました。場所は京都駅の下、京都タワーのすぐ近く。キャリーに道具やお客様に座ってもらう椅子を詰め込んで、大学にも道具を持っていって、授業が終わったら路上に出る。週6か週7でほぼ毎日やっていました。
代金は1円から。お金を稼ぐことよりも、まずは見ず知らずの人からどんな反応が得られるのかを知りたかったんです。
ストリートで磨いていた頃の写真
ストリートで磨いていた頃の写真
苦労もあったのでは。
きついことのほうが多かったですね。すべてのことが手探りでした。そもそも京都の路上に靴磨きをやっている人なんていないんです。お客さんによると、「40年前ぐらいに靴磨きの人がいたかなあ」という感じ。路上の使用許可もとれなくて、行政とのトラブルになることもありました。また、京都は夏も冬も厳しくて、季節による温度変化で靴磨きがやりにくかったり、道具の管理にも困りました。
そのなかでInstagramでの情報発信を始めたことが転機になりました。徐々にSNS経由でいろいろな人に見てもらえるようになって、メディアの方にも面白がってもらえるようになりました。ファッション雑誌で特集を組んでもらったり、テレビやラジオに出演したりする機会があると、お客様も徐々に増えていきました。物珍しく見てもらえる方も多かったので、自分なりに楽しみながら続けられました。
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