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2023.08.02

帽子職人としてフランストップの技術を獲得した日本人、日爪ノブキさんが目指す帽子の未来

フランス文化は、その裾野から頂上までを、多様で質実な職人技によって支えられている。それら職人たちの中で、最高峰の技を持つ証として国家から授けられるのが「MOF(フランス国家最優秀職人章)」である。
MOFは1924年に始まった制度で、230以上の職種を対象に4年に一度の試験で認定される称号だ。フランスの技術文化の継承者足り得る、高度な技術を持つ職人に授与される。
パリで帽子職人として活躍する日爪ノブキさんは、2019年に39歳の若さで日本人として唯一の帽子職人(正確には「Modist:婦人帽製造工」)としてのMOFを授けられた人物である。
PROFILE|プロフィール
日爪 ノブキ
日爪 ノブキ

帽子デザイナー。2004年に文化服装学院アパレルデザイン科を主席で卒業。イタリアに渡り、コレクションを発表する。帰国後、国内外の舞台やミュージシャンの帽子・ヘッドピースを制作し、同時にアーティスト活動として「NOBUKI HIZUME」を展開。2009年よりフランスに拠点を移し、数々のグランメゾンのパリコレクション用の帽子を手がけている。2018年には会社「JBK」を設立。翌年5月にフランス国家最優秀職人章を取得し、同年、帽子ブランド「HIZUME」をスタート。

帽子製作経験ゼロが、そのセンスを見抜かれる

「自分の意思では、ほぼ帽子をかぶったことなかったんです。小学校の体育の赤白帽くらいですよ。それくらい帽子が嫌いだったんです」
窓から中庭の涼しい風が時折流れ込むパリの7月初め、パリ市内11区にある日爪さんのアトリエでお話をうかがい始めると、意外な答えが返ってきた。「帽子、似合わないと思っていたんで」と屈託なく笑う。
MOFを獲得した実力者というイメージもあり、一見すると帽子職人という道が最初から開かれていたと思うかもしれないが、実際はそうでもなかったらしい。
日爪さんが本格的に服飾への道へ舵を切ったのは大学を卒業後。「大学だけは出ておけ」と父親に言われ、それに従った後に文化服装学院へ入った。
「専門学校時代は、モヒカン頭にエクステを付けて、バリカンで絵を描くように頭を刈り上げるなど派手でした」と、頭には帽子を載せるスペースがないどころか、ましてや帽子を生業にしようという考えもなかったそうだ。
服作りに熱中し、さまざまなコンクールで賞を獲得。文化服装学院は首席で卒業し、がむしゃらに服の製作をした。コンクール作品がイタリアのアンダーウエア・ブランド関係者の目に留まり、卒業後はすぐにイタリアへ。自らのブランドを持つまでに至った。
しかしそのイタリアで、後に帽子との出会いをもたらす幸いな不具合が起きたそうだ。イタリアでの翌年の就労滞在を更新しようとしたところ、日爪さんを雇った会社の目測が甘く、結果会社が日爪さんの滞在許可の更新でつまずいた。
日本で就職しようと思い、荷物をまとめイタリアを発つ前日に、とある舞台プロデューサーから「舞台で帽子、装身具、ヘッドピースのチーフをやらないか」と日爪さんに連絡が入った。
日爪さんはそれまで「1個だけ授業で作ったことがあったかな」というくらい、帽子づくりの経験はほぼゼロという状態だった。
舞台がどれくらいの規模かも把握していなかったが、若さゆえ「楽勝ですよ」と二つ返事で提案を受けた。それが後に日爪さんの帽子という隠れた可能性を引き出すきっかけとなったという。

業界が小さいからこそ全部できた方がいい

『ザ・ボーイ・フロム・オズ』という舞台がある。オーストラリア人作曲者兼俳優であるピーター・アレンの生涯を描いたミュージカル作品だ。
1983年にシドニーで初演され、2003年にはブロードウェーで、ヒュー・ジャックマンを主演に初上演された。その日本版の制作を手伝ってくれないかとプロデューサーから声がかかった。
日爪さんが学生時代に衣装デザイナーで携わったことがあるカンパニーの舞台をたまたま見たことがあったり、雑誌で紹介された日爪さんのコンクール入賞作品を、以前に目にしたりしていたそうだ。
日本版の舞台発表の当日になって「楽勝ですよ」だった日爪さんは肝を冷やすことになる。顔合わせに出かけ蓋を開けると、日本でもトップ規模の舞台だったからだ。主演に当時V6の坂本昌行さん。その他キャストもそうそうたるメンバーで、メディアの取材も入っていた。「とんでもないものを引き受けたなと思って……」と日爪さんは当時を振り返る。
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