PROFILE|プロフィール
明津設計(あきつせっけい)
グラフィックデザイナー。書籍やポスター、ロゴマークなどの設計・デザインを中心に活動。
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6月、気温はやや高く梅雨らしい弱い雨が降っていた日、傘を片手に小さな電車に乗ってイサム・ノグチ庭園美術館に向かっていた。最寄りの駅で降り、徒歩20分ほどの道を歩きはじめる。美術館はいつでも入って見てまわれるというわけではなく、時間ごとにツアーのようにしてまわる形式になっていて、このまま駅からまっすぐ歩いていけば開始時刻には余裕をもって間に合う時間だったけど、駅から美術館までの道には石材屋が並び、これから使うための石なのかそれとも何かを作ったあとの残りなのかはわからない切り出された巨大な石がひたすらにゴロゴロと並んでいて、牟礼という古くから石材業が盛んな土地だからこそイサム・ノグチはアトリエを構えたわけだから石材屋が多いのはあたりまえと言えばあたりまえだけど、さまざまな形をしたただの石とは言えない石たちに興奮しながらいちいち反応して立ち止まり、大量の写真を撮りながら歩いていたら、美術館に到着したころにはツアーの解説がすでに始まっていた。 美術館のスタッフに連れられて、20人ほどが傘を差しながらぞろぞろとつらなりながら、柵で囲われた敷地へと入ると、作業小屋とその目の前には半円形に石垣で囲われた砂地の庭があった。そこにはイサム・ノグチの大小さまざまな石の作品が点在していて、その光景を見た途端に体の縮尺の感覚が軽く戸惑い、視点は広い空に向かって抜けて数メートルとんだ。目の前にある作品から数歩で別の作品に近づくことができ、作品 と作品をぐるぐると見てまわることができる距離。箱庭を上から眺めながら同時に箱庭の中を自分の足で歩くような感じ。作品に触れたいと思ってから辿り着くまでのわずかな、でも快適な歩行時間、狭すぎて窮屈することもないし広すぎて歩き疲れることもないだろうという体の無意識な予測(空間の把握)によって、関節と筋肉の自由が自然と作られ気持ちよく全身がゆるむ。一歩一歩、そのとき自分が思ったとおりに足を動かしている、右足が自由で、左足も自由だ。踏んだ砂利の地面と足は勝手に意気投合する。
「ここでならなんでもできる」という身勝手な全能感のようなものが自分の中で膨らみ充満した。敵のいない草原で跳ねる一匹の動物のような。だけどイサム・ノグチもアトリエとして使用するための場だったんだから「ここでならなんでもできる」と思える場を作ったんだろう。
柵や石垣によって目隠しがされているために、入る前に中の様子を予想できなかったということもあるけど、まるで異なる風の中に入っていくような……と、いまあの時のことを思い出しながら軽い気持ちで「風の中」と書いてみたが、それはたしかに台風の目の中にいるような素晴らしい心地だった。
並んでいる作品はそんな場の性格をそのまま引き受けたような形をしていた。
作品は作者の体によって作られるが、その作者の体は場によ って作られる。見えている景色、光や気温、天気によって体は変わり続ける。足元の状況によって体の重心は変わり、部屋の壁の素材によって匂いは変わり気分は変わる。視界の上部とつむじは常に天井を感知している。
これらは決しておおげさなことではなく、たとえばひじが壁にぶつかるような狭い空間ではそれに合わせたような作品の形になるだろうし、腕をいくらでも伸ばせたとしても、その伸ばした手の先から壁までの距離によって腕の動きは変わる。椅子に座るとき、机の下に足を入れているときと、外に足が出されているときとの違いをたしかめてみれば、机の下に足を入れているときは足を上げればひざが机にあたるということを股関節が常に警戒してわずかに硬くなっているのがよくわかる。体の動きは環境によって左右され、心の動きは体の動きによって左右される。