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【リレーコラム】モノは旅する、物語は変形する(安ウンビョル)

PROFILE|プロフィール
安ウンビョル(あんうんびょる)
安ウンビョル(あんうんびょる)

韓国仁川出身。東京大学大学院情報学環助教。博士(学際情報学)。専攻はモビリティ研究、メディア・コミュニケーション研究。鉄道で移動すること、そこにおけるさまざまな相互作用に関する研究を進めている。過去の鉄道旅行に関する資料から見える世界、「今」通勤電車や地域鉄道路線で起きていることを捉えること、両方に関心を持っている。

東京メトロ飯田橋駅には忘れ物センターがある。私はここに、2回お世話になったことがある。電車に置いてきた物は、最初は家の鍵で、次はコートだった。コートを取り戻すのは簡単だったが、鍵の場合は少し話がある。 
家の鍵がないことに気づいたのは学校帰りの夜9時ごろ、家の前だった。その日は連休の初日で、翌日角煮を作るつもりで買い物をしたため、私の手にはたくさんの荷物があった。カバンを逆さまにひっくり返しても鍵が見つからないので、私は自分がはいていたズボンのポケットが、物が抜けやすくなっていたことにようやく気づいた。まず最寄りの駅に問い合わせし、私が探している物が届いていないことを確認した。 
翌日、今度は東京メトロのお忘れ物取扱所に電話をかけた。私が探している物とそっくり似たような物が、昨夜届いたことを確認した。安堵の瞬間もつかの間、その物を取り戻すためには、私がその物の持ち主であることが証明できる何かが必要だと言われた。要求されたのは、「それ(忘れ物)と同じ鍵」であった。正確に言うと、同じシリアルナンバーを持つ別の鍵。スペアキーあるいは普段大家さんが保管する非常用の鍵のことだ。大家さんは家の近くには住んでいないので、非常用の鍵を最寄りの駅前の不動産屋に預けていた。しかし残念ながら、その不動産屋に置いてあるはずの鍵は、私の部屋の引き出しの中にあった。つまり、以前鍵を紛失したときに不動産屋からもらった鍵を、すぐ返却せず家に置いていたのだった。もちろん、忘れ物センターはこのような事情を聞いてくれるような場所ではない。センターの人は繰り返し、「(その鍵で開けられる家の中にある)その鍵がないと、その鍵を渡すことができない」と言った。

私たちは、毎日たくさんの物を運ぶ。「運ぶ」には人や物の位置をAからBへ変える、という意味合いが強いので、それより「たくさんの物を身体に乗せて動かす」、あるいは「たくさんの物とともに旅する」という表現がより正確かもしれない。その日、鍵は私のポケットから外れ、そのポケットは私のズボンに付いていた。ズボンは体に付いた形で、私との旅を無事に終えた物の一つだった。ズボンなどの服のほか、手で持つ、あるいは肩にぶら下がった形で、書籍やノートパソコンなどがその日私とともに旅をしていた。服というのは、体に直接付着した形で私たちと毎日の旅をするという意味で、紛失することの難しい特殊な物であり、そういった意味で服を帽子、傘、そして鍵のような物と区分できるかもしれない。もちろん私の2度目の忘れ物がコートだったことからも分かるように、服もたまに体との付着を失って移動中に紛失物になることもある。また、なかなか紛失することのない物の一つとして靴があるが、新しい靴や足に合わない靴を履いて出かけた日には、靴に依存して移動していながらも靴が移動を制限する足枷になったかのように感じることもある。
私たちとともに移動する物、言い換えれば、移動する中で失われかねない物は、ますます移動的になっていく私たちの生活に大きな影響を及ぼす。それらとともに旅すること、それなしに旅すること、両方の側面で。それと「ともに」旅することについては、荷物が多いときにどれほど苦労を経験するかを思い浮かべてみよう。それ「なしで」移動することについては、スマートフォンを家に置いたまま出かけてしまったときの困難や不安を考えてみれば分かりやすい。
おそらく私たちが同行する/しない物に明確な注意を払うことになるのは、航空モビリティを利用するときであろう。私たちは航空機に乗るとき、その前日にスーツケースの中を慎重に選別した物で効率的な建築を試す。そしてお預かり手荷物とのしばらくの離散、保安検査場を通過するためカバンを広げる苦労など、自分の世界をスーツケースに圧縮し、それを巨大なシステムに任せ、到着先でそれをまた広げるといった、一連の過程を生々しく体感することになる。しかし、より日常的な移動空間、私が鍵やコートを落とした鉄道の空間でも、ともに移動する「モノ」と関連するさまざまな物語がある。興味深い文献の一つは、ローラ・ワッツがランカスターからセント・アイヴスまで、10時間にわたってイギリスを縦断する列車旅行の中で遂行したモバイル・エスノグラフィーである(Watts 2008)。自らも一人の乗客として参加した列車旅行中に、このエスノグラファーは他の乗客が列車に乗ってハンドバッグを座席に置き、そこからモノを取り出して携帯電話でどこかへ連絡を取る姿を観察しながら、人類学者のアルフレッド・ジェルの「分配された人格(distributed personhood)」という概念に従ってこのように書く。
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