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【リレーコラム】「やわらかな衣服ーケアとしての装いー」(garden)

PROFILE|プロフィール
garden

東京藝術大学美術学部卒業。服づくりの企業に勤める傍ら、編み物をしている。

人は毎日服を着る。
装うことに対する興味の有無を問わず、衣服を着ることは一つの選択である。
わたしは服を着ることが好きだ。
日々、いろいろな服を着る。
季節や天候、外出の目的や過ごす相手、そしてまた自分の気分によって、身にまとう衣服が選択される。
このとき、服を選ぶという行為の主体はわたしであり、わたしの心身が衣服を従属させているかに見える。
けれども、自ら選択し身にまとった衣服が、わたしの気分をかたちづくる、そんな方向のはたらきがあることも確かだ。
わたしがわたしの衣服に引っ張られていくこと、そこにわたしはいつも不思議な驚きを感じる。
化繊のシンプルな、プロダクトとしての服。わたしの背筋を伸ばす、武装としての衣服。まっすぐ前を向いて顎を引き、すこしだけ厳しい面持ちで歩く。電車で隅の方に立っている。世界は敵。
くたびれて色あせた、ぶかぶかの服。わたしの自堕落を赦してくれる、免罪符としての衣服。なんとなくひらけた気持ちで、歩く速度はゆっくり。電車でゆったり腰掛けている。世界はわたしを放っておく。
花のように鮮やかで、水のように流れる服。わたしを彩り、相手によろこびを伝える、わたしとあなたへのギフトとしての衣服。くるくると踊るように歩く。電車で窓のそばに陣取って、空を眺めている。世界は隣人。

衣服がわたしの身体のあり方を変え、わたしの気分の持ちようを変え、わたしの世界の解釈を変える。
わたしのまとう衣服が、わたしを大きくもちいさくも、優しくも厳しくも、強くも弱くもする。
では、わたしの一等好きな服、わたしの一等愛しい衣服は、わたしをどこに連れていくのだろう。

手しごとの衣服、繊細な素材の衣服、長い時を経てわたしの手に渡った衣服。
なんの機能も持たない装飾や、身体を離れてたゆたう布地、ちいさな綻びをそっと繕った跡。
つくるにも、扱うにも、まとうにも、わたしの愛情を必要とする衣服。
そんなやわらかな衣服を、わたしは愛する。
こなれた麻、なめらかなシルク、やわらかいコットン、ふんわりしたニット。わたしの皮膚を研ぎ澄ます。
引きずるような裾、指先まで隠す袖、たっぷり寄ったギャザー。わたしの境界をあいまいにする。
連なるごくちいさなボタン、重なったレース、色とりどりの刺繍、ふっくり結んだリボン。わたしの目を手をこまやかにする。

やわらかな衣服を身にまとうとき。それはわたしがもっとも弱くなるとき、もっとも脆くなるときである。
弱さ、脆さ。感受性の閾値が下がること。世界を受け取るわたしのひだが、一等こまかくなるところ。

やわらかな衣服にすっぽりとつつまれるとき、わたしは世界から切り離され、わたしはわたしの住まうところとこの世界が隔たっていることを感じる。
やわらかく脆い衣服が、同じくわたしをやわらかく、脆い存在に引き戻す。

やわらかな衣服を身にまとうこと、それはひどく無防備で、傷つきやすい状態である。
わたしの武装も、虚勢も、すべて剥がれ落ち、わたしは世界に晒されている。
他者は、世界は、得体の知れぬばけものだ。
わたしは世界を恐れ、世界に怯える。
それでもわたしはやわらかな衣服が好きだ。
世界の一等おそろしい色が見えるとき、一等うつくしい色も見えるから。
氾濫する情報や毒々しい街並みや、誰もが余裕なく行き交う雑踏におびえながら、やわらかな自分であることにほっとする。
わたしを呑み込もうとする濁流のような世界の中で、打ち倒されてしまいそうなやわらかく脆い自己を感じること、それはこの病んだ場所にあって、わたしがまだ擦り切れてしまっていないということを再確認することでもある。
やわらかくいたみやすい自分であること。
それは鎧をまとわねば生きてゆけない自分への、精いっぱいのケアであるとわたしは思う。

わたしは服を編む。
もっとも弱く、もっとも脆く、そんなわたしであるための服を。
そんなやわらかな服が編めたら、どんなうつくしい世界が見えるだろう。

人は毎日服を着る。
装うことに対する興味の有無を問わず、衣服を着ることは一つの選択である。
心にかなう衣服を選ぶこと、それらによってわたし自身がかたちづくられること、それが人間として装うということだ。それは、意識されている以上に大きなセルフケアの役割を担いうるのではないだろうか。
憧れの自分に背伸びする装いもよい。状況に合わせて武装するのもよい。あるいは、世界に紛れるための迷彩としての装いもよい。
それと同じに、自分をケアする装いがあってもよいし、そうであったらうれしいと思う。
かわいいやかっこいい、おしゃれやださいといった価値判断、TPOのような基準とは別の地平に、ケアとしての装いというものがあること、それは衣生活に優しい奥行きを与えるものではないだろうか。
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