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【リレーコラム】「生きざま」としてのモード(二村淳子)

PROFILE|プロフィール
にむらじゅんこ
にむらじゅんこ

博士(学術)。白百合女子大学文学部准教授。比較文化研究、藝術学、仏語圏研究。主著に『ベトナム近代美術史:フランス支配下の半世紀』(原書房、第20回木村重信民族藝術学会賞、第1回東京大学而立賞受賞)、『常玉 SANYU 1895-1966 モンパルナスの華人画家』(亜紀書房)、『クスクスの謎』(平凡社)、『フレンチ上海』など。訳書にアニエス・ジアール『エロティック・ジャポン』(河出書房新社)ほか。

あなたが普段着ているものを教えて欲しい。あなたがどんな人であるか当ててみせよう

上の言葉は、19世紀のフランスの歴史家オーギュスタン・シャラメルが、美食家ブリア=サヴァランの名言をもじったものである。シャラメルは、「女性の衣服の流行にこそ、最もフランスらしさが表れる」と信じつつ、フランス衣服史『フランス・モード史 Histoire de la mode en France』を編んだ。偉人や王族の列伝や政治史ではなく、人間の生活文化にこそ真実があると考えた点においては、彼はアナール学派の先駆的存在だった。
シャラメルは著書のなかで、「移り気で、抗しがたい力を持っている」modeとは何かと問う。モードとは何か。これは、シャラメルだけが取り上げた問いではない。これまでにも、多くの人がモードの意義を考えてきたと彼は述べる。「モードとは、狂人だけではなく、賢者ですらも追うものである」、「決してモードに一番に飛びつかない。だが、最後までしがみついてもいない。それが賢者である」など、多くの名言が存在した。
さて、いったいmode(女性形)とはなんだろう。私の机の上にある日仏辞書には、ただ「流行、ファッション」「ファッション業界」と書かれている。しかし、フランス学士院の辞書をひくと、その第一義は「(ある人物や社会集団に特徴的な)流儀、方法、術」などと記されている。ずいぶん違う定義だ。そして、後者の辞書には、「佇まい、存在の仕方 manière d'être」とも書かれている(ちなみに、fashionは17世紀終盤にイギリスから入ってフランス語化された言葉である)。
このmodeという言葉の語源は、「方法・測定・整える」などを意味するラテン語のmodus。「治癒」を意味する語根med-と同源だ。確かに、「治癒」も「モード」も、どちらも人間の存在・状態・身体に深くかかわる概念だ。
前置きが長くなったが、本来のmodeとは、ある特定の人やグループの考え方、行動の仕方、食べ方、暮らし方、趣味を指す言葉である。つまるところ、ある人を、その人たらしめているものが、modeということになる。

「生きざま」としてのmodeの範疇

もちろん、modeは、「着こなし方、装い方(manière de s'habiller)」を連想させる言葉でもある。ただし、modeは、モノとしての「服」を即座に連想させる言葉では決してない。ここが大事なポイントだ。modeもfashionも「服」ではない。先に述べたように、modeやfashionは、あくまで流儀であり、方法/術であり、それ自体は消費できない。
デザイナーもアパレル工場もmodeやfashionそのものは作れない。さらにいえば、衣服・髪型・帽子・化粧・香水といった装いだけでなく、あらゆる暮らし方、生き方がmodeの範疇になっている。趣味に没頭したり、本を読んで自分の身近なことに照らし合わせて考えたりする習慣も立派なmodeだ。また、料理をただ食べることはmodeではないが、おいしく食べる工夫をしたり、誰かとの食べるためになテーブルを用意したりするセンスはmodeである。
つまり、着こなしだけではなく、社交、教養をもひっくるめた「生きざま」がmodeなのである。だからこそ欧州の「ファッション誌」には、新発売の服と、文学・国際問題記事などが同列に並ぶ。これは、18世紀終盤から19世紀前半にかけて出版された画期的なファッション誌 『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(婦人流行新報)』以来、現在のMarie-ClaireやELLEにまで受け継がれているフランス女性誌の「伝統」のようなものと言っていい。
フランス革命直前のファッション・プレート版画。衣服のみならず、髪型と帽子も大きな関心事であった。「イギリス風」帽子とは、麦わら使用のもの(左)。宮廷風の盛り上げたヘアスタイル「プッフ・ア・ラ・ピュス」(右)C. Desrais, P.T. Leclerc et al., 5e Cahier des Costumes Français pour les Coeffures depuis 1776 [gravé par N. Dupin, E. Voysard et al.] 1778-1787.
フランス革命直前のファッション・プレート版画。衣服のみならず、髪型と帽子も大きな関心事であった。「イギリス風」帽子とは、麦わら使用のもの(左)。宮廷風の盛り上げたヘアスタイル「プッフ・ア・ラ・ピュス」(右)C. Desrais, P.T. Leclerc et al., 5e Cahier des Costumes Français pour les Coeffures depuis 1776 [gravé par N. Dupin, E. Voysard et al.] 1778-1787.
「パリの衣装」『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(婦人流行新報)』1797年版より。(Costume Parisien, Journal des dames et des modes, 1797 gravure n°8)。この頃、フランスは政情不安定が続き、ナポレオンが名声を高めていく。ナポレオンが求めた古代ギリシア的なインスピレーションが女性の衣装に既に現れている。
「パリの衣装」『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(婦人流行新報)』1797年版より。(Costume Parisien, Journal des dames et des modes, 1797 gravure n°8)。この頃、フランスは政情不安定が続き、ナポレオンが名声を高めていく。ナポレオンが求めた古代ギリシア的なインスピレーションが女性の衣装に既に現れている。
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