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2023.05.01

【リレーコラム】「生きざま」としてのモード(二村淳子)

PROFILE|プロフィール
にむらじゅんこ
にむらじゅんこ

博士(学術)。白百合女子大学文学部准教授。比較文化研究、藝術学、仏語圏研究。主著に『ベトナム近代美術史:フランス支配下の半世紀』(原書房、第20回木村重信民族藝術学会賞、第1回東京大学而立賞受賞)、『常玉 SANYU 1895-1966 モンパルナスの華人画家』(亜紀書房)、『クスクスの謎』(平凡社)、『フレンチ上海』など。訳書にアニエス・ジアール『エロティック・ジャポン』(河出書房新社)ほか。

あなたが普段着ているものを教えて欲しい。あなたがどんな人であるか当ててみせよう

上の言葉は、19世紀のフランスの歴史家オーギュスタン・シャラメルが、美食家ブリア=サヴァランの名言をもじったものである。シャラメルは、「女性の衣服の流行にこそ、最もフランスらしさが表れる」と信じつつ、フランス衣服史『フランス・モード史 Histoire de la mode en France』を編んだ。偉人や王族の列伝や政治史ではなく、人間の生活文化にこそ真実があると考えた点においては、彼はアナール学派の先駆的存在だった。

シャラメルは著書のなかで、「移り気で、抗しがたい力を持っている」modeとは何かと問う。モードとは何か。これは、シャラメルだけが取り上げた問いではない。これまでにも、多くの人がモードの意義を考えてきたと彼は述べる。「モードとは、狂人だけではなく、賢者ですらも追うものである」、「決してモードに一番に飛びつかない。だが、最後までしがみついてもいない。それが賢者である」など、多くの名言が存在した。

さて、いったいmode(女性形)とはなんだろう。私の机の上にある日仏辞書には、ただ「流行、ファッション」「ファッション業界」と書かれている。しかし、フランス学士院の辞書をひくと、その第一義は「(ある人物や社会集団に特徴的な)流儀、方法、術」などと記されている。ずいぶん違う定義だ。そして、後者の辞書には、「佇まい、存在の仕方 manière d'être」とも書かれている(ちなみに、fashionは17世紀終盤にイギリスから入ってフランス語化された言葉である)。

このmodeという言葉の語源は、「方法・測定・整える」などを意味するラテン語のmodus。「治癒」を意味する語根med-と同源だ。確かに、「治癒」も「モード」も、どちらも人間の存在・状態・身体に深くかかわる概念だ。

前置きが長くなったが、本来のmodeとは、ある特定の人やグループの考え方、行動の仕方、食べ方、暮らし方、趣味を指す言葉である。つまるところ、ある人を、その人たらしめているものが、modeということになる。

「生きざま」としてのmodeの範疇

もちろん、modeは、「着こなし方、装い方(manière de s'habiller)」を連想させる言葉でもある。ただし、modeは、モノとしての「服」を即座に連想させる言葉では決してない。ここが大事なポイントだ。modeもfashionも「服」ではない。先に述べたように、modeやfashionは、あくまで流儀であり、方法/術であり、それ自体は消費できない。

デザイナーもアパレル工場もmodeやfashionそのものは作れない。さらにいえば、衣服・髪型・帽子・化粧・香水といった装いだけでなく、あらゆる暮らし方、生き方がmodeの範疇になっている。趣味に没頭したり、本を読んで自分の身近なことに照らし合わせて考えたりする習慣も立派なmodeだ。また、料理をただ食べることはmodeではないが、おいしく食べる工夫をしたり、誰かとの食べるためになテーブルを用意したりするセンスはmodeである。

つまり、着こなしだけではなく、社交、教養をもひっくるめた「生きざま」がmodeなのである。だからこそ欧州の「ファッション誌」には、新発売の服と、文学・国際問題記事などが同列に並ぶ。これは、18世紀終盤から19世紀前半にかけて出版された画期的なファッション誌 『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(婦人流行新報)』以来、現在のMarie-ClaireやELLEにまで受け継がれているフランス女性誌の「伝統」のようなものと言っていい。

フランス革命直前のファッション・プレート版画。衣服のみならず、髪型と帽子も大きな関心事であった。「イギリス風」帽子とは、麦わら使用のもの(左)。宮廷風の盛り上げたヘアスタイル「プッフ・ア・ラ・ピュス」(右)C. Desrais, P.T. Leclerc et al., 5e Cahier des Costumes Français pour les Coeffures depuis 1776 [gravé par N. Dupin, E. Voysard et al.] 1778-1787.
フランス革命直前のファッション・プレート版画。衣服のみならず、髪型と帽子も大きな関心事であった。「イギリス風」帽子とは、麦わら使用のもの(左)。宮廷風の盛り上げたヘアスタイル「プッフ・ア・ラ・ピュス」(右)C. Desrais, P.T. Leclerc et al., 5e Cahier des Costumes Français pour les Coeffures depuis 1776 [gravé par N. Dupin, E. Voysard et al.] 1778-1787.
「パリの衣装」『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(婦人流行新報)』1797年版より。(Costume Parisien, Journal des dames et des modes, 1797 gravure n°8)。この頃、フランスは政情不安定が続き、ナポレオンが名声を高めていく。ナポレオンが求めた古代ギリシア的なインスピレーションが女性の衣装に既に現れている。
「パリの衣装」『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(婦人流行新報)』1797年版より。(Costume Parisien, Journal des dames et des modes, 1797 gravure n°8)。この頃、フランスは政情不安定が続き、ナポレオンが名声を高めていく。ナポレオンが求めた古代ギリシア的なインスピレーションが女性の衣装に既に現れている。

ファッション編集長の草分け、ピエール・ラメザンジェール

このように、現在までも影響力を及ぼしているファッション雑誌『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(婦人流行新報)』の名物編集長、ピエール・ラメザンジェール(1761-1831)は、目利きで有名な着倒れインテリであった。哲学者・神学者として膨大な学識を持つ聖職者であり、由緒正しい王党派の学校の教師だった彼は、フランス革命で失職の憂き目にあう。だが、パリに上京し、その文才と審美眼ゆえ、女性向けファッション雑誌編集長に抜てきされ、その名を馳せることになった。

ラメザンジェールは、画家たちに美しいファッション・プレートを依頼し、軽やかなポエムを書き、パリの街の噂とエッセーを綴る。優しい皮肉、洒落た言い回しなど、編集長としての彼の才能は大きく開花し、ラメザンジュエールは、欧州最大のインフルエンサーとなる。去年の夏、仏文学者・鹿島茂さんのコレクション展で実際の版画を見る機会を得たのだが、200年以上前の雑誌からラメザンジェールらの息吹が伝わってきて興奮してしまった。

ラメザンジェールが亡くなったとき、2,000足もの靴、1,000足以上のデザインのタイツ、丸帽だけでも100個以上、40本もの日よけ傘がクローゼットから出てきたという逸話が残っている。日々の生活に金銭を惜しまぬ「京の着倒れ」風な彼は、常に完璧な装いと、知的会話術で一目も二目も置かれる存在だったようだ。

シャラメルによれば、ラメザンジェール編集長の「美意識」や「趣味」は、「観察」に基づくものだったという。ラメザンジェールはあらゆる催事に顔を出し、モードを観察し、品定めし、自ら筆をふるった。王政、革命、共和制、帝政、王政復古と、目まぐるしく変化するフランスにおいて信じられることと言えば、社会的な価値や地位・財産などではなく、自分の「生きざま」だけだったのだろう。

ラメザンジェールの編集した雑誌に収録されている版画「尻尾の邪魔」。長い裾のドレスが流行し、男性は気軽に女たちに近づけなくなった。その結果、女性が神聖化される現象があったという。版画自体は1801年、作者は不明。« Le Bon Genre : L’embarras des queues », Pierre de Lamesangère, Observations sur les modes et les usages de Paris, 1829.
ラメザンジェールの編集した雑誌に収録されている版画「尻尾の邪魔」。長い裾のドレスが流行し、男性は気軽に女たちに近づけなくなった。その結果、女性が神聖化される現象があったという。版画自体は1801年、作者は不明。« Le Bon Genre : L’embarras des queues », Pierre de Lamesangère, Observations sur les modes et les usages de Paris, 1829.

Modeにこそ人間らしさが宿る

ラメザンジェールほどではないものの、裕福な貴族からインテリ貧乏まで私のフランスの多くの友人たちは、食・哲学・衣服・住まいを含めた「生きざま」に情熱を持ち、それぞれのこだわりを持っている。都市部においては、modeを持たなければ、我々は単なる消費活動をする動物でしかない。何にもまして、人間らしさ、その人の存在感が宿るのがmodeだからだ。

断っておくが、フランス文化が優れていると主張するつもりは筆者には毛頭ない。辞書でも確認したように、modeというフランス語の言葉の体系(下位概念や上位概念)が、日本語の「ファッション」や「モード」とは異なっており、意味的に一部しか重なっていないということを指摘したかったまでである。

ところで、これからmodeはますます重要になっていく気がしてならない。なぜなら、社会が不安定な時代にこそmodeが輝いていたということがフランスのmode史から読めるからだ。グローバル化とIT化が進み、世の中が均質化し、既存価値が崩れる近未来、modeは、我々を人間らしく保ってくれる装置になると筆者は考える。

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